これから先の世では道はどこへでも通じる

この先の道は行き止まりかもしれない。
この先さらに進むと戻れなくなるかもしれない。
消えゆく旧来の思考と、現実という名のVRグラス越しに見えている物質社会では、そうだったかもしれません。
そういった体験をするための地だったと語り尽くされている通りでしょう。
確かにこのまま進むと、クルマなら普通車サイズでさえ戻るのは困難になる可能性が高いように感じます。
秋の夕暮れはつるべ落とし。
あれよあれよという間に日が暮れて行きます。頬を伝う風も一氣に冷えます。
そうしたリスクを考慮し、思考を巡らせ、生き延びる。
そんな体験をしたかったのですね。
でも、
もうわたしたちはこの地を卒業する機会を迎えています。
この先の道は「自分で選択する」のだと理解しました。
この先の道は「自分が創り出す」のだと体感しつつあります。
だからこそ、
この先の道は「戻る必要」はなく、戻るか戻らないかのリスクヘッジさえ必要がなくなることに意識が及ぶようになりました。
この先の道を自分の意識で創り出すことを知れば、そこに最大限の重点を置けば良いこと。
発想が真逆になっていることを。
このまま進むと戻れなくなる。
から転じて、
この先は自分で創り出しどこにでも行ける。
へと。
いえ、もちろんまだこの借り物の体を維持してこの地に生きている以上は、このまま進めば戻れなくなるリスクは存在します。
心の中から望ましい近未来を創造する訓練期間を過ごしているはずですから、存分にその練習をすれば良いのではないでしょうか。
そんなことに意味はない。だとか
そんな発想をしている限り全然進歩できていない、真実の道はまったく違うんだ!だとか。
本筋は別の意識でなければならない...等々。
そういった「...ねばならない」「...べきである」論に終始する負の思考こそが、この先の道を、これからも永遠に行き止まりにし続けることに氣がついていないように見えます。
自分の道は自分で選ぶ。
そして、
自分の道は自分で創るのですから。
この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
この森の仲間に再び会える日を

業務繁忙期入りで更新頻度低下、例年通りのサイクルに入りました。
いつもお越しくださる皆様、大変失礼しております。
今日もご覧いただきましてありがとうございます。
この森。
大きな波のような力や、抵抗感がまったくない澄み切った氣を感じるところでした。
空気が澄んでいる、ということもありますが、森の精霊のような存在も感じられる場所。
ここには、どのような仲間が住んでいるでしょうか。
ここでは、どのような仲間と会えるでしょうか。
心はどこへでも行くことができます。
心はどのタイミングへも行くことができます。
再び訪れることができる日に心を馳せながら。
心の中から、新しい時代の風景をともに創り出してまいりましょう。
この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
「心」を現地へ持ってゆく

本日もお越しいただきありがとうございます。
口(くち)を現地へ持って行け。
そんな言葉がありました。
その場にしかない料理やその空気感を味わうためには、その場所へ行き、その場でいただくことが最高の結果を得られる。
的を得た端的な表現だったと思います。
いま、多くの方々が心の世界を急ピッチで拡大している様子が伝わってきます。
多くの人たちの発信・発言を見るまでもなく、そうした波長・波動を感じるようになっています。
わたし自身も、ほんの一、二秒間だけですが、どこか離れた場所に意識が飛ぶことが増えました。残念ながら自分で希望した場所を選ぶことはできず、望むタイミングで実現するわけでもないのですが。
何かの拍子に(それは食事中が多いのです)、突然、どこかの風景・場所に意識がフォーカスします。
以前なら、僅か数年前でも、それ病気じゃないか?診てもらえよ。ってな展開になったことでしょう。
ですが、まったく異なる能力が戻って来つつあることを感じています。
以前にも触れたと思うのですが、日をあらためてその「一瞬見えた風景」の場所へ行きますと、その通りの状況になっているのです。
ビルの一階がなぜか暗く誰も居ない。そんな風景がパッと目の前に広がります。
そこは車のショウルームだったところ。
その後その場所へ行ってみますと、そこにあったショウルームが閉店(撤退)し、ガラス張りの空きテナントがそこに存在していました。
知っている場所以外にも、そうしたシンクロは数多く起きています。
駅のベンチのシートがオレンジ色から青色に変わっている。だとか...。これはまだ確認できていませんが。
そもそも、いま目の前にある現実という名の風景そのものが夢である、とされているわけで、心を飛ばせばどこへでも行ける。
こういうことなのだと頷きます。
口を現地に持ってゆく。
これが旧来の社会で行われてきたことだったとするなら、これからの世では、「心を現地へ持ってゆく」ことで、その場の空気感を感じられるようになるはずだ、と確信しています。
この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
氣が枯れそうになっても回復する

「氣が枯れる」
そういった言葉があるのかどうか不明です。
ですが、今日は全身に寒気を感じ呼吸が苦しくなりました。
ただの風邪でしょ?と思ったことでしょう、いままでの自分ならば。
一つだけ大きな違いは、呼吸が苦しかったこと。肺の中でリミッター機能が強制稼働したかのような感覚でした。
切り替えをしてるんだな。体の中が。
慌てずそのように考えて、上から降りてくるものだけにフォーカスし続けました。
自然の印象や木々のイメージで心を埋めました。
拒否せず受け入れる。
そんな言葉も浮かんできました。
結果として数時間で元に戻り、風邪の症状も一切出ていません。もういつも通りです。
氣が枯れる。
だから「きがれ」=「穢れ(ケガレ)」だとか。(諸説あり)
まるで、スマホのバッテリー残量がいきなり「2パーセント」になったかのような。それまで90パーセント以上あったのに...。とでもいう感じでしょうか。
どこかにエネルギーを吸い取られてしまった感覚でした。
氣が枯れる、その意味がよくわかりました。
過去から、エネルギー不足を感じた時には山にゆくことが多かったのです。
大自然に触れることで、その不足感が一氣に消滅し、目一杯までチャージされる感覚がありました。
今日は山へ行くことはありませんでしたが、自然の印象に心を合わせることで回復を果たせました。
心が目の前の現実を創り出す。
その実験でもあったのだと思っています。
多くの木々・自然の生命が、わたしの写真データにはアーカイブされています。
助けていただいてありがとう。そんな言葉を忘れないように。
この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。