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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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淀んだ空気を入れ替えよう

飯舘で出会う小鳥たち photo 宮本章光

閉め切った客室の空気のように。
長時間討論が行われた後の会議室のように。
淀んだ空気が溜まっている感覚。
かなり重い感覚。

そんな「氣」を感じることが増えてきました。
居心地のよい空間・場所も、新鮮な空気に入れ替える必要があることを再認識しています。

それは「氣のせい?」でしょうか。

氣のせい。とは、
「思い過ごし」だと、本来の持つ意味とは反対に刷り込まれ、潜在能力をスポイルされてきたこと。
もう多くを語る必要はないでしょう。

氣のせい。とは、
氣というエネルギーが「無意識の中にアラートを鳴らしている」状態。
その無意識が顕在意識に拡大し、あれ?何か?と、微妙な感覚に訴えてきている状態だと。


鳥たちは、人間の存在に氣がつくと、一目散に飛び立ちます。
そこに人の「氣」を感じるのでしょう。

淀んだ空気を入れ替えませんか。
淀んだ氣を解放しましょう。

わかる人は判るのですね。
無意識にリフレッシュなさろうとしていることが伝わってきます。
新鮮な氣を送っていただきありがとうございます。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「感動」から「感謝」への道筋

キャンドルに照らされたディナーテーブル photo 宮本章光

今日は久々に「上から押されている感覚」が強いため、その流れに任せてみます。「感動」から「感謝」への道筋。
これが、つい先ほど流れてきたワードでした。

ワクワクして。
ポジティブな心をキープして。
そんな言葉が増えていますね。と昨日の記事に書きました。
良いことだと思います。
でも、
無理にそうした氣持ちを保持し続け、無理やりに努力をすること。逆に辛くなるように思えます。

腹が立つ時もありますし、許せない氣持ちが湧いてしまうこともあります。
それを無理に「ワクワク」でなければ。
などと切り替えできませんでしょう。その瞬間にはハッキリ無理だと感じます。

どういった感覚・どちらに向いているエネルギーであるかが「俯瞰」でき「認識」できればそれでいいのでは、と思っています。
この部分の心のセンサーが生きている限り、意識のフォーカスをそこから離すところに注力できさえすれば。


個人的感覚に過ぎません、何ら強制も強要もしません、と前置きして続けます。
ポジティブな感覚に「至る道筋」は、
本来は「感動」があるからこそ「感謝」へ。だと思っています。

とびっきり素晴らしいアート作品に巡り合った感動かもしれません。
抜群の舞台パフォーマンスに接した瞬間に感じる感動かもしれません。
極めて高い完成度と洗練された感性による音楽演奏に触れた感動かもしれません。
あるいは、
素晴らしい味と調理のセンスを披露する料理に巡り合った感動かもしれません。

こうした瞬間に、心の底から湧き上がる「感動」そのパワーを感じるからこそ、その感動に対して「感謝」の氣持ちが生まれてくるのではないでしょうか。
自分自身は「こうして発生した感動こそ」ポジティブなエネルギーだと思っています。
「感謝」せずにはいられない。そういった恍惚感にも似たような感覚です。
「感動--->感謝=強烈なポジティブ感」
「素晴らしい--->ありがとう」
この道筋なのです。自分にとっては。


ところが昨今の流れを見ていますと、ワクワクが先にありきに見えてしまいます。
例えてみるならば、
小学生時代に課題として出された問題集に「先に答えを見てから計算式を考える」ような流れに見えてしまいます。

問題集の最後に「解答」のページが付いていましたでしょう?
先にここを見るんですよ。誰しも一度ならず経験があるはずです。
「ああ、答えはコレだな。」
「じゃ、この答えになるように式を合わせればいいや。」

ポジティブでいよう。ワクワクで居続けよう。
何はなくともまずこの答えがありき。
そして、
だから今、腹が立っていてもワクワクしなければ。と計算式を後付けで無理にくっ付ける。
こんな流れ。まさに相似形ではと感じてしまいます。

もちろん否定はしません。
カルチャーの写真・カメラ講座の講師時代にも似た経験があります。
「まず形から入る」
「まず機材から入る」
これで良い結果が得られる場合もありますし、ベクトルが変わることも体験していますので、それはそれで素晴らしいことだと思っています。
(ただ、裏側に隠され、浄化されないままのエネルギーが残されて放置されているリスクが将来的に火種になる氣がしています。)


もう上から流れてこなくなりました。
自分の想いのほうが強くなって上書きされ消滅したようです。
個人的な雑念で、エネルギーの流れが切断されたのでしょう。
なかなか難しいですね。

「感動」から「感謝」への道筋。
わたしはホンモノを追い続けたいと思っています。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

賢人、多くを語らず。

飯舘村旧飯樋小学校向かいの丘に立つ荘厳な樹 photo 宮本章光

賢人、多くを語らず。
そんな言葉が存在するのかどうか不明ですが、勝手な造語だよね、と軽く流してくだされば。その文字からイメージのみ描いていただければ嬉しいです。

楽しいことだけを考えよう。
ワクワクだけをイメージして。
そうしたワードが、ここに来て一氣に溢れるようになった感覚があります。多くの方々がその道を歩み始めた証でしょうか。
大変素晴らしいことだと思います。

並行して、
そうは言ってもな。現実をみろよ!
地に足をつけよ!
フワっていても現実は変わらないぜ!
こうした声も増えてくるのですね。バランスを取っていることが判ります。

そして、
両方を見て、両方を受け取って、両方を流し去ります。
どちらも不要だから。


いますでに恵まれています。
いますでに満ち足りています。
すべて与えられている、と語られている通りに体感できるようになったからです。

続いて、
どちらも「引き寄せる必要はないし、否定する言葉も必要がない。」ところに到達すれば、まさに「口にすることさえ不要」となってきます。
多くを語る必要がありません。
ただし、
当たり前が当たり前にできることへの感謝の氣持ちを忘れずに。

見よ!この生命の重厚感を。という感じの一枚です。
(某・塾歌ではありませんが、「見よ。」その言葉が似合います。)
上へ伸びるほどに枝を拡大し、その存在感は圧倒的です。


多くを語らずとも、そして虚勢を張らずとも、そこに存在しているだけで大きなエネルギーがバランスする。
素晴らしい生命、素晴らしい地球の仲間だと感じます。
この地・この瞬間には、非常に大きな力を感じ、受け取っていました。
今でもはっきりとその感覚を思い出すことができます。

だから、ここに感謝の意が生まれてきます。
何の飾りも必要がありません。

まずは、ここに到達すること。
賢人、多くを語らず。
ともに歩みましょう。

この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

しあわせへの片道切符

紅葉と観覧車 photo 宮本章光

自分を大切に。
自分をいたわって。
そんな声が増えてきました。
とても大切なことだと感じます。
ところが、
自分を大切にする、すなわち「自分に金銭的な贅沢をさせる」「自分を経済的に豊かにさせる」という観点で語られているように見えることも少なくありません。

間違ってはならないこと。
それは、
物質社会・貨幣経済の枠組みの中だけの意識…ではないのですよ。という点だと感じます。

いま目の前に存在する物質社会は、
貨幣経済という支配層への富の集中の仕組み・洗脳の仕組みだったことまで理解が到達したのですから、自分を大切にするため、という大義名分の根本に「貨幣経済ベースの豊かさ」を望んでいては、その旧来のエネルギーを抱き続けるだけで進化が伴っていないかもしれませんよ。ということなのです。

資本主義社会とされる現状を卒業するところが、まずは目的地ではありませんか。
ええ、もちろん日々生きてゆくためには、まだ必要な枠組みであることは間違いありません。
いきなり、理想論で浮き足立ってフワついていては本末転倒です。
ですが、例えるなら、小学校を卒業すれば、次のステップとなる中学校で必要な学びがあるはずです。
もう中学生になるんだぞ〜。と言いながら、掛け算の九九は暗記してるんだし、自分の名前も漢字で書けるよ〜。
という枠組みの中だけで思考している限りは、全く成長が叶いません。

もう旧い枠組みからは卒業する予定なのですよね。
そしてその意志を持っているのですよね。
それならば、
小学生ではなく、それを超越した「中学生」としての思考と意識(例えです)を持ちたいのです。
いますぐには難しいでしょう。
でも、目指す先・当面のゴール地点に「小学生の教科書」を置いていては進歩できない例えです。


大昔から、わたしたち人間は、大自然とともに生きてきました。
大自然そのものが「神」だった時代もあるでしょう。
自然を尊敬し、自然に流れを任せ生きていたはずです。

自分の足で、自分の意識により一歩づつ歩けること。
自分の手で、自分の意志によりものを形作ることができること。
美しい青空の下、思いっきり深呼吸ができること。

この当たり前が、当たり前にできるありがたさを忘れてはならないはず。
この当たり前に自然と共存できるありがたさを忘れてはならないはずです。
これほどまでに満ち足りて、
これほどまでに恵まれて、
この上に、まだ何を望む必要がありましょう。

このように恵まれ、満ち足りている今。
このようにすべて与えられている今に、最大限の感謝を捧げたいと感じるのです。
その感謝の氣持ちこそが、
次の社会で求められる感覚ではないでしょうか。
まさに、これこそが、
「望むしあわせ」への片道切符ではないでしょうか。


この場で、ともに同じ方向のエネルギーを束ねていただけるみなさま。あらためて貴重なご縁に感謝申し上げます。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
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