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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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生命を生み出すのは

生命を生み出す大地 photo 宮本章光

生命を生み出すのは大地である。
いえ、種子だとか苗ではないのかなどと、そういう言葉あそびをするのではなく。
土がなければ植物は育ちません。
いえ、水と光も必要だとか、そういう粗探しの話をしているのではなくて。


自然という言葉で示される、この地のこの大地。
砂・土・石。
全ての元だからこそそこに意識を持ってゆく必要があるはずです。
それゆえ、
今生のあと、完全に白紙にまで戻して学び直しをするためには、石や岩石の存在からやり直しをするのでしょう。

生命を生み出し、育て、ともに成長してゆくことで自らの存在を認識するという全てのスタート地点。
動物存在に「踏みつけていただいて」ようやくその瞬間に「自分が石であることを知る」という体験から、成長という永遠の学びをスタートする。

腐り切った心のセンサーを元に戻す意識がないのなら、ある意味では、もうここからやり直すしか仕方ない。
そんな氣がしないでもないわけですが、それは「その道を望む人が自分から選択する」道。
わたしはその道を選びません。
この地で人間として生存させていただくことができ、この歳まで学ぶ機会をいただけたご恩を、すべて白紙に戻さなければならないほどの無礼をするつもりはありません。
やりたい人だけがやればいい。

生命を生み出すのは大地であり、そして自らの心が創り上げる成長と進化を再認識する。
大転換期には、天と地を結ぶ道管の役目を果たす必要があることを知ります。





ひとそれぞれの学びの道

輝くすすきに photo 宮本章光

ひとそれぞれ。
それぞれのシナリオ。

洗脳が深すぎる人は、その人が選んだカリキュラムに忠実なだけだ、と落ち着く時期を迎えました。
触らない。
それだけ。

いずれ氣がつくでしょう。
あるいは、
今生ではそれを望んでいないのでしょう。
もしくは、
古い過去生の因果解消の意味もあるのかもしれません。

違う脚本を見て騒ぐこと。その意識そのものが過去の旧い教科書でした。
脚本はひとつしかない。真実はひとつだけだ。
という論法自体に意味がなくなりました。

それはその人が生み出したタイムラインだから。
まして、チャネリング的なエネルギーを追いかけ右往左往するなど恥ずかしさの極み。
あるいは宗教に染まりきった頑固な思想、貨幣経済への執着など、もう必要のない過去のエネルギー。
自分の心が指し示す直感や勘が最高の指導者であることを学べばこそ。だから磨きに磨いて磨き上げ環境を整えてきたのです。


これを離れるべきノイズというのではないかと。
これこそが悟りではないのかと。

行き着くはずのゴール地点は永遠に遠いまま、未来永劫辿り着けません。
けれど、小学校から中学に、そして高校へというような節目節目の区切りがあるように、そのタイミングで成長度合いを認識できれば良いのだと。

ひとそれぞれの学び。
自分はどの道を歩むのか。
それだけは外さないよう。





堪能したのなら次へ

秋を過ごす photo 宮本章光

もう十分。
楽しんだなら、味わったなら。

それが意志表示。
それが選択。

そして、
選択が結果を導きます。時差を経て。


すべての結果は、すべて自らが下してきた選択の顕現化。
その語りも、もう十分。
その感触さえ、もう満腹。

堪能したら次の場所へ、
味わい尽くしたら次のステップへ。


紅葉と落葉とは、新たな春を迎え新たな生命を紡ぐための準備と熟成の体現。
その一つひとつの行程さえも美しく。





それが大人の責任

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いつまでも騒ぐのは恥ずかしい。
心地よく望ましい未来を生み出してゆきましょう。


かぼちゃの祭りを見るや否や、それ悪魔崇拝やぞ!子供の誘拐人身売買の隠された世界を知らんのか!
と騒ぐことはもうやめにしませんか。
心地よく望ましい未来を願うのならば。

それが大人の責任。
それが良識あるこれからの世を作り出す人の責任だと。


ええ、もちろん知っていますとも。
この地の隠された裏側で何が行われていたか。
でもね。それを叫び続けても「何も良くならない」ことを学びましょうよ、ということです。

責任という言葉をご存知ですね。
わたしたちは、心に抱き心に描いたものをエネルギーとして目に見えないフィールドに生み出しています。もう語り尽くされてきました。
幽霊などその最たるもの。
わたしたちが、恐怖によって心の中から作り出したエネルギーが、集合体となってまさに目に見えない幽霊というエネルギー存在として生まれていたこの仕組みを。
生み出したのは、わたしたち自身の責任であることを忘れていませんか。

ですから、心地よく望ましく暖かいエネルギーを生み出せるよう意識を維持すること。
これが大人の責任。
これが、この先の世を創り上げる者が果たす役割。


もっとストレートに伝えられていますね。
そうしたエネルギーを選択しない者は、この地ではこの先「お呼びではない」と。
よって物理実体である体をお返ししたあとには、再教育プログラムを最低でも25,800年間、もし最長ならば50億年もの期間、それ相応の地でやり直し・学び直しですよと。
今までと同じく苦しみもがくイバラの道で学び直す。石ころからやり直し、動物に踏んでいただいて自らの存在を認識するといった一次意識からの学び直しを希望するのも自分自身の選択次第であると。


緑化協会の人たちが、丹精込めて作ってくれたのです。
信号待ちをする人たちが、歩道の端で心和むように、と。
そこには、悪魔崇拝も人身売買も存在せず、純粋に「かわいいうさぎ」が楽器を奏でる姿が表現されているのです。
そして、それを制作してくれた方々は、季節感を醸し出すための心配りとして、そこにかぼちゃを置いたに違いありません。
かぼちゃに罪はありませんし、結果として制作にご尽力いただいた方に失礼な、負のエネルギーを自ら放つなどもってのほか。


何でもかんでも、それは悪だそれは悪者だ!と叫び騒ぐ。
幼い精神、未熟な精神性が露呈します。自分の稚拙な行動に対する恥ずかしさにさえ氣がつかない。
それが御霊(身霊)相応。

純粋に、かわいい姿、微笑ましいその姿、それを設置していただいた方々の氣持ちに心を合わせてみませんか。
きっと暖かく心地よいエネルギーがそこに感じられるはずですから。

それが大人の責任。
それが良識あるこれからの世を作り出す人の責任だと。





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