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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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ひとつだけの存在

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同じ幹・枝から数多く咲く花の中には、二つとして同じものがありません。
形や大きさ、微妙な色合いまで。

そして、その花を眺めるわたしたち自身も、同じ人間は誰一人として存在していません。
(この世は、Android/botが大多数という論説もかなり目にするようになってきましたが、ここではあまりにも論点が飛躍・乖離しすぎるため触れません。)

何より、人と自分は違う。
人それぞれ、誰一人として同じではありません。
その分離状態を体験するためにこの地に生存しているのですから。


ひとつだけの存在。
それは、
もともとが一つであった。と思い出しましょう。の意とは正反対に、
誰ひとりとして同じではない、唯一無二の存在である。の意味もあるはずなのです。
いえ、むしろその感覚こそが実感できる肌感覚ではないでしょうか。

もっともっと、この地での学びを味わい尽くしませんか。
さらに大きく深く。
違いを感じ、違いを楽しむ。
それを可能にするのが、この地であり、そのための場所ですから。

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

失敗なんてないのです。そこには体験があるだけ。

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失敗?
昔からよく言われていますね。
「自分が失敗だと断定しなければ、どこにも失敗など存在していない。」と。

でも、望ましい結果を期待していながら、その期待値を得られなかったとしたら、それは失敗ではないのか?という考え方も当然あるでしょう。

ここで、期待値を得られなかったのは現実の結果として認めます。
しかし、期待値を得ることだけではなく「得られなかった」体験をする必要があったのだと考えます。
望んだ結果を得ることだけではなく「得られなかった」体験をする。
この部分、大変貴重であると知る必要があるのではないでしょうか。

学校の試験で、常に100点だけしか取れないとしたら?
いかがでしょう?
とても退屈ではありませんか。
何をやっても、何度受けても、必ず100点満点。
期待値を実現したことには違いありません。けれども「期待値を得られない」体験は、その時点で永遠にできないのです。
(自慢する意図は皆無です、初めにそうお断りした上で続けます。過去、そうした時期があり自分自身が体験していました。非常に退屈なのです。100点以外が取れないので「それ以外の結果を得る」という体験ができなかったわけです。)


そして、ここで氣がつきます。
期待値を間違いなく得る・実現するといった、望んだ結果を導くことだけが成功の証だと考えてきた、そのこと自体が「片方だけの体験」しかできていなかったことに。もっと言えば、これこそが支配者の仕組んだ洗脳の一部であったことも。
(そのためには努力しなければならない。苦しみがあるから成功できるんだ、などと貨幣資産を築き上げることだけに血眼になる、いまだにその呪縛から逃れられない方々も多数…。いつか理解できる日が訪れますように。)

この地は、成功も失敗も両方セットで体験するための場所。
十干十二支が一巡りする長い期間を費やして、ようやくここに至ることができたと感じています。

もともと失敗なんて存在していないのです。
そこには体験があるだけです。

素晴らしい体という衣をお借りし、
素晴らしい体験をさせていただき、
素晴らしい氣づきに至ることができた、この現実に感謝しかありません。
これ以上に、何を引き寄せる必要がありましょうか。
これ以上に、何を望む必要がありましょうか。

ありがとうございます。
感謝申し上げます。

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

何を見て何を感じますか

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よい空気に触れると、その感覚が心に響き渡ります。
心地よい感覚を抱き続けると、周囲の環境が心地よく変化してゆきます。

心に描くものが現実になる。
このようにして、わたしたちは学び、成長を重ねてきました。


発言・言葉に注意し責任を持つ。
口にする食べ物を意識し命を捧げてくれる生命に感謝する。
多くの体験をさせていただける借り物の体に感謝する。
そして、いま。
心に抱く感覚を、心に描く感情を、
最も注視し、その感覚を望む近未来の青写真として創り出してゆきます。

このサイクルをさらに拡大し続けます。
これほどまでに満ち足りて、これほどまでに恵まれていることに氣がつきます。
感謝の氣持ちが溢れます。

これほど嬉しいことはありません。
ありがとうございます。
すべての生き物・仲間とともに。

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

何ごとも目一杯に詰め込まない

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目一杯に詰める。
それが良いことだと。
そのように無意識に感じてきたのかもしれません。

目一杯にスケジュールを埋める。
そうすることで安心する。
目一杯に時間を使い切る。
そうすることで充実感が感じられる。

果ては、
移動中の列車内で、スマホ片手に駅弁を口に掻き込む。まともに噛むことさえもせずに。
「俺は鉄の胃袋の持ち主さ!」と、豪語する人たち。平成初期のバブル期には、そうした人たちが溢れていました。
彼らの多くは、その後病院のベッドに横たわり、それを勲章にしてきました。

それを学びとして得たのであれば貴重な体験でした。
わたしも同じ過ちをトレースしたひとり。そして、あろうことか繰り返しました。

でも、いまも尚、同じことをずっと続け、
還暦過ぎたってさぁ。何を喰っても健康そのものさ!たとえ毒でもへっちゃらさ!と豪語する方々。
ええ、素晴らしいです。その恵みに感謝なさると尚よいかもしれませんね。
いつか氣がつく時がくるはず。と、暖かい心で見守ります。


同じだと思うのです。
目一杯に詰め込む。
余裕がないのは、何も胃袋だけではなく心の状態。です。
余白を作ってみると、そこには「新しいエネルギーが入って」きます。
そんな体験をしてみても良いのではないかな、と感じることが増えました。

捨てなければ入らないものがある。
でも、
それとともに、空白を作らなければ、その居場所がないのですね。

何ごとも目一杯に詰め込まないほうが良い結果が導かれる。
わたしは、失敗を繰り返したからこそ、その本当の意味を感じています。

その「隙間」に味わいがあると思いませんか。
詰め込まず。詰めすぎず。

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
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