導かれている感覚

言葉は、非常に大きな力を持っています。
ですが、時と場合によっては必要ないと感じることがあります。
先週末、
暖かい日差しに包まれた一日。
何を考えるでもなく、何を得ようとするでもなく、ただ「導かれるまま」に撮影をしたイメージを、この二日間で掲載しています。
そこには、言葉が存在していなかった。
そんな感覚でした。
この感覚、通じる方には理解いただけるものだと思っています。
そこに、何があろうと、誰がいようと。
ただ、ひたすら大きな力があり、そこに引き込まれるように導かれる感覚。
流れに任せる感覚。
頭を使わない、とは、こういったイメージなのだと思い出しています。
それは、
幼少の頃の「おすわり」ができた時期の感覚だったことを。
この記事で、
幼少時の感覚を思い出したことを記しました。
同じ感覚を感じることが、極端に多くなっています。
代って、これまでのように次々と言葉が湧いてくる感覚は減少傾向です。
素晴らしい力を送っていただきありがとう。
素晴らしい時間をありがとう。
恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
素晴らしい力をありがとう

圧倒的な存在感。
言葉は不要でしょう。
天邪鬼です。
いえ、桜に罪はありません。
すると、こうして「こっちに向いてごらん」と、呼び寄せられます。
その先にある圧巻のエネルギー。
生命とは、こうしてコミュニケーションを取ることができる存在。
そして、同じ周波数はシンクロする大原則・大法則。
素晴らしい会話に感謝の言葉を。
素晴らしい力を送っていただきありがとう。
素晴らしい時間をありがとう。
恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
時には薄味の奥深さを感じてみたい

濃い味付け。
それは、パンチの効いた刺激を得ることができるでしょう。
人目を引き、そこに接点を生み出す原動力になり得たでしょう。
これまでの世では。これまでの社会では。
インパクトを永遠に与え続けること。
バリエーションを無限に生み出すこと。
その「右肩上がりカーブありき」な思想には、もう触れることはありません。
いえ、正確には「もう二度と触れたくもありません」。
人は、こう言います。
「時には無駄も必要だ。」
「多くの人を纏めるには苦味(にがみ)も要るものだ。」と。
ええ、確かに。
でも、これからは必要とされなくなりつつあるように見えます。
もう、濃い味付けを煮詰め切って、これ以上は炭になってしまうよ。というところまで来ているのに、当の本人たちには、それが判らない。
茹でガエル理論を地でやってしまっていることにさえ。
そして、時には苦味も必要だと。
わたしは、要らない。必要ない。味わいたくない。
そんな、黒焦げになったものを。
だから、自分が望むものを追求して行きます。
そのためには、
一度リセットしてから、薄味を選んでみます。
薄味には、その素材の持つ魅力を感じることができるはずです。
いま、そんな大転換期を過ごしています。
どの道を希望しますか。
どの道を歩みますか。
口にする言葉だけでなく、心に抱き・描くエネルギーが、人間の集合意識を形作ります。
これまでに十分学んだのなら、その教科書はもう処分してしまいな。
ここに到達するまでに存分に体験を重ねたのなら、その時々に得られた「感覚」は大切に自分の胸の内にしまっておきな。
ここの問題はなぁ、そうじゃないんだ。違うんだよ。
何度言ったら分かるんだ!
そんな教師役。もはや時代は必要としなくなっていることに氣がつかないのはその教師ばかりなり。
千里眼にも似たエネルギーを見分ける力を得られたことに、ひたすら感謝の氣持ちが溢れてきます。
薄味を選択したからこそ感じられるようになったものです。
本当にありがとうございます。
貴重な体験、そして貴重な能力を取り戻しつつあるこの瞬間に感謝申し上げます。
恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
類は友を呼ぶ

類は友を呼ぶ。
同じ地下茎で繋がっていれば同じ仲間。
一つの同じ体という見方もあるかもしれません。
そもそも植物自体が、種族全体で一つの集合意識だとも。
生き物すべてそうした存在なのだと感じます。
同じ周波数はシンクロが起き、同じ仲間だけが合致した意識に収斂してゆく。
そんな時代に入ったことが判ります。
美しいものを美しいと言うのは自由。
そう感じないものを、無理に感じようとする必要はないでしょうし、どのように感じ、何を表現するのも自由だと考えます。
否定の接頭語や接尾語が、その方向のエネルギーを生み出し、時と場所を変え、自分自身に戻ってくる。
自分に戻るだけならまだしも、そこで生み出したものが、集合意識を汚し続ける。
もう、これまでに学び終えているために不要であるにも関わらず。
この部分を考慮せずして、「汚す体験をする必要」が、ほぼ皆無になった、洗い上がりの真っ白な生地に、真っ黒な雫を垂らす愚は避けたく。
だから「発言に氣をつける」。
だから、これから進む道では「心に抱く意識に氣をつける」なのでしょう。
まだ「リトマス試験紙」が残っていました。
この地では永遠に残り続けるでしょう。
わたしは、そこで居残り授業を受ける予定はありません。
恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。