アンド・エム宮本陽/宮本章光ブログヘッダーイメージ

宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

Archives [All Entries:2878]

そう思えばそうなる・エネルギーの仕組みが神そのもの

IMG_7882_2023.jpg

息切れしていませんか。
卯月13日。
学校は新学期をスタート。世の中、新年度。
日差しは一氣に春を迎えましたが、寒暖の差が大きく、体の弱いところから邪を取り込みがち。


何だか、微妙な花言葉だそうですが「オダマキ」さん。
そう思えば、そのようになるだけ。
自分の心に描くものが、目の前の現実として具現化する、この地の仕組みです。
その仕組みは、エネルギーの流れと向き・螺旋、その振動周波数により生成されていること。
そして、そのエネルギーの仕組みこそが「神」そのものであったこと。

日本人は、この極めて重要な仕組みを「習わない=故意に外され学ばぬようにされてきた」ために、肝心要(かんじんかなめ)の部分を知らぬまま過ごしています。

後世に伝えるために、物語として語ってみたり、擬人化してみたり。
先人は、あの手この手で、わたしたち後世の者へ、その仕組みを伝え残す努力をしてくださったのです。
それは、誰か・あるいは何か、救世主たる人格としての存在があったのではなく、この地のエネルギーの仕組みそのものである、と知る機会を迎えています。


それは、教科書に載っていないから知らなかったのかもしれません。
それは、親から教わらなかったから知らなかったのですね。
昨日まで、いえ、この瞬間まではそれでもよいでしょう。
でも、今日からは「自分の心に響くもの」を選択する道を歩み始めたのです。
そして、
「おばあちゃんの教え」の中には、このような大変貴重で重要な仕組みが盛り込まれていたこと、この場でも何度か綴ってきました。

「おばあちゃんの知恵袋」〜先人の知恵を今日に活かす|宮本章光の視点/noteサテライト|note[Link]

エネルギーの「仕組みこそが神そのもの」であったと。
僅か二世代前の、手取り足取り接することのできる肉親から指導を受けた、数々の教え。
いま一度、思い出す時を迎えています。

「そう思うから、そのようになる。」
では、
何を思い描きますか。
何を心に抱き現実化させますか。


恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

多くの仲間がここにもあそこにも

IMG_7844_2023.jpg

仲間は、ここにも、あそこにも。
友は、向こうにも、こちらにも。

目に見えない世界に注目が集まりはじめました。
とても大切だと思います。
こうして、心の世界をさらに拡大してゆく素晴らしい時代です。
もう流れは止まりません。
旧来のレイヤーで「居残り勉強」したい人のエネルギーは、もう視界から消滅しつつあります。


でも、目に見えるか見えないか。
そこばかりに注目せず、目に見える「この物質社会」にも、数えきれないほどの仲間が存在していることを忘れないようにしたいものです。

足元のこの地、わたしたち人間は、この地の「お土を練って創られた」との言葉をそのままイメージしても現実味を感じませんが、その本質を理解してみようとするならば、ここに「すべての根源があり、すべての仲間が存在する。」その意味が理解できると思うのです。


共存しています。
共存することが当たり前でした。
暖かい光とともに。

今日も、素晴らしい仲間に素晴らしい風景、心地よさを体現してくれるすべての仲間に。
ありがとうございます。感謝しています。

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

御恩をお返しするために

IMG_7829_2023.jpg

わたしは、幼少時期から、この池をはじめとするこの山の大自然に育ててもらったと思っています。
わたしの父は、休日ごとにこの地を訪れ、固形燃料で湯を沸かしアウトドアライフを楽しんでいた人でした。
恐らく、このあたりは目を閉じても歩ける(例えです)ほどだったのではないかと感じます。

現在は、整備が進んだと言えば耳あたりは良いのですが、人工的に手が入りすぎて生態系も大きく変わったように思います。


こうした時代の変化は、良き面もそうでない面もあります。
しかしながら、そこに抗ってみたところで何も変化は起きません。

いま、心が生み出すパワーが底知れぬ強さを秘めているところにまで理解が進んだのならば、これら大自然に恩返しをするために「心の中から望ましい御礼と感謝の氣持ちを生み出すこと」が必要ではないかと。
そして、
まさに今。その機会を迎えているように感じています。

美しく、そして常にすべてを包容するこの大自然に対し、感謝を申し伝えたく思います。
永きにわたり、いつも見守り続け、いつも暖かいエネルギーをお送りいただけるこの山、この地この場所に。

ありがとうございます。
数々の貴重な体験と、すばらしい稀有な環境に感謝しています。

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

言葉にトゲを生やさず・トゲを埋め込まず

IMG_7855_2023.jpg

言葉にトゲ?
なかなか難しい感覚でしょうか。でも伝わる感覚だと思っています。
このところ、そうした感触を強く感じるケースが増えています。

それは「違和感」から派生した感覚と言えばよいかもしれません。
そして、その違和感が「良い方向への違和感ではなく」よくない方向へのムズムズ感を伝えるのです。
自分自身が、過去から大量にそうしたワードを放出してきたことに対する自覚もあります。
過去、その時点では、何の違和感も感じませんでした。
いえ、むしろ「ああ、スッキリした。」とでも言えば良いのでしょうか。文字に落とし込むことによって「ストレス発散」した。とも置き換えられる行為でした。


いま、そうした「トゲのある」言葉を放つことによって、目に見えないフィールドに「トゲのあるエネルギー」を生み出していることが理解できるようになりつつあります。
言葉をwebに記すだけではなく、心に描き・心に抱くだけで、そのトゲが目に見えない力として「何もなかったところに産まれている」ことを。
もっと正確に書くのなら、
「何もなかったところに負のエネルギーを自分が生じさせた」でしょうか。

そして、その力は、非常に強力に「心を突き刺す」ことが分かってきました。
トゲなので、痛い!と。
指先なら、痛っ!で済むでしょう。ところが、心が受けるダメージは非常に大きいようです。


言葉に込めた「心の状態」。
言葉に載せた「氣持ちの色合いや明暗差の感情」。
そうしたものが、一つひとつのワードに、まるでHTMLで言うところの「エンベッドタグ」に埋め込まれているかのように。
ブラウザで表側を見ている限り、HTMLソースは見えません。
でも、ここには動画をリンクしていますよ。だとか、ここに埋め込み記事が表示されるようにしていますよ。という指示があるのと同じように。
あるいは、
写真画像データに埋め込まれた、撮影時の機器設定や撮影時刻・位置情報までも含まれる「Exif情報データ」のように。


「言霊」と言われているものは、実はこのエンベッドタグのリンク先にあるエネルギーだったのかもしれない、と。ええ、もちろん例えですけれども。
だからこそ、
「口にする言葉には十分に氣をつけなさい」と、幼少時期のおばあちゃんの教育は口すっぱく伝えられてきたのだと、今になって理解したような次第です。

少なくとも、トゲを埋め込んでいる限り、そこで自分が生み出したトゲは自分に戻るわけで。
いえ、自分に戻るだけではなく、せっかく「真っ白に洗い上げた新生活を彩るための純白のドレス」に、ドス黒く汚れた負の力を含む液体をぶち撒けるような行為だけは避けたいと思うのです。


これから先に「何を望み何を願い」ますか?
言葉に「何をエンベッド」しますか?

恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
105816140
rss_logo

New Entries

Archives / Serch

Categories