アンド・エム宮本陽/宮本章光ブログヘッダーイメージ

宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

Archives [All Entries:2877]

顔を上げて周りの仲間に意識を馳せる

IMG_7976_2023.webp

普通の市街地道路。
歩道に茂る街路樹。
近隣の方にとっては迷惑になる、そんな生え方かもしれません。
歩道を歩く者が、ふと顔を上げてみると見えてくる眺め。


時間に追われ、まるでスキーの「後傾姿勢」になったような感覚に囚われている心理状態では、ちょっとの「コブ」に乗り上げた瞬間に飛ばされてしまいます。
(スキーをなさる方にはストレートに伝わる感覚だと思います)

ゲレンデでは、顔を上げてしまうと姿勢が崩れ、前傾姿勢のバランスまで狂うのでタブーだったかもしれません。
でも、
日常のアスファルト舗装された歩道では、顔を上げてみると、こんなに元氣な生命が、今を謳歌しています。


多忙すぎると見えない風景。
連日、朝の5時半までデスクに向かい、タクシーで帰宅したあとシャワーを浴びれば再び出社。
激しすぎる着信で携帯のバッテリーが消耗し電源が切れると、嬉しくなった感覚。
食べ物を口にする時間さえも取れず、行き着いた先は真っ白なシーツが敷かれた固くギシギシと音のする平たい板。
点滴という名の付随物を体に装着され離せなくなった、冷たく空虚な空間でした。


いま、当時を思い返してみますと、
まさに「見ている風景」がまったく異なっていたことに氣がつきます。
もっと言えば、住んでいる世界が完全に違っていたのです。
自分の現実は自分の意識が創っている。その人体実験でした。


だから、何度も何度も繰り返して綴ります。
心に描くものが、タイムラグを経て自分の現実になります。


顔を上げてみませんか。
もっと深呼吸してみませんか。
日常のアスファルト舗装された歩道でも、顔を上げてみると、こんなに元氣な生命が、今を謳歌しています。

素晴らしい現実を、自分で創り上げる練習をさせていただけるこの地・この地球。
ありがとうございます。感謝申し上げます。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

さりげなく・しっとりと・奥ゆかしく

Iitate2020_img_0578P.webp

休日になると雨天になる法則?
そのように故意に仕組まれているかどうか?は、別として、そう思う人たちが多いから「そのように現実となる」のでしょう。
なかなか興味深い実証実験が進行中。といったところです。

変わって、
今年2023年の桜前線は、全国的にほぼ北上を終えた時期でしょうか。
例年にも増して、素晴らしい写真作品を数多く拝見することができました。web上に溢れかえる春の悦びの力を存分にいただきました。

毎年のことではありますが、作品の中には「これでもかっ!どヤ!」ってな感じでギラギラとした、ちょっと引いてしまうエネルギーを感じる作品があります。
それはそれで、撮影者の方がそのような意識を込めたものだと思われるので、他者が何らコメントすることはありませんが、「その波動がさらに強く伝わってくる」ようになりました。

この数年の混乱期以前には、フォトコン審査のお仕事をずっとさせていただいていたので、作品に込められた「思い」を、単なる鑑賞者を超えた部分で、さまざまに触れる経験をしてきました。
言葉にするならば、
「バシバシ」と伝わってくる感覚だとか、
「さりげなく」でも「わかってくださいますか?」といった感覚で、奥ゆかしく見えてくる感覚もありました。
(審査の会場では、すべての作品を拝見し評価しますので、終了後には激しい疲労感に襲われ精神的にも肉体的にも消耗します。)


この地・地球の波動自体が比較にならないほど上がってきているのは、もう言わずもがな。多くの人々が肌感覚で体感し、理解しているはずです。
それと同時に、
この地の生き物、そしてそれは人間も含め、同じように「伝わる」体験が増えてきていると思うのです。
「伝わる」のは、良いもよくないも、どちらも等しく伝わります。

隠しごとは、なんとなく…ではありますが、伝わります。
他方、好感を持って触れるならば、その感覚も十分に伝わってくるのですね。

それならば、
どんな氣持ちが伝わるのが望ましいでしょう?
答えは自ずと導き出されるはず。
ただ、無理に「ポジティブごっこ遊び」をする必要はないですし、それは百害あって一利なしですから。
その無理矢理感は、よくない感覚として伝わりますね。


さりげなく、そして、しっとりと伝わる感覚。
どことなく、奥ゆかしい感覚。
でも、はっきりと主張するものを込めている。
そんな氣持ちを心に描くと、そのように伝わるものではないでしょうか。
これこそが、この国の人たちが最も得意としてきた感性ではなかったでしょうか。

素晴らしい自然と、素晴らしい言葉、そして素晴らしい感性と。
わたしたちは、なんと恵まれた環境で体験し学ばせていただけるのでしょう。
こうして感謝の感情が溢れ出ます。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

無になる時間・無になれる場所

無になる時間・無になる場所

無になれる場所とは。
無になる時間とは。

無とは、文字通り「無」。
そこに、言葉は存在していませんし、目の前の風景も、意識の中からその存在が消滅します。


無になる時間。
無になれる場所。
いずれも「無」であればこそ、そこは「無」であり、そのまま「無」となること。

ありがとうございます。
感謝申し上げます。


わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

生きている多くの仲間に感謝

大きな力を宿す樹々

こういったタイトルを掲げますと、途端に、
「浮ついている・フワっている」
「世間知らずな浅い輩」
だとか罵られたのは、僅か一年前でさえ、まだまだ残っていたように思われます。


ご自身で過去因果の解消に苦しみ、そして乗り越え、心で感じるという深いところまで理解が進んできますと、前述のような「言葉面(ことばづら)」だけで「人を判断する愚かさ」に氣がつきます。

自分の心に描くものが自身の現実になるという仕組み。
この至ってシンプル、且つ、極めて強力な原則を実体験するに従って、生命を宿し、この地で共に生きる数多く仲間たち。そうした存在に、さらに・もっともっと深く意識の波長が合致する感覚が判るようになります。
生命のエネルギーが、手に取るように伝わってきます。
その躍動感が目に見えるようになってきます。


晴れ渡る青空と、歴史ある樹木を撮る。
ありふれた単なる一枚。
それだけで、こんなにも力強い絵が残るようになってきます。
単なる一枚の画像データに止まらず、そこに心が載ってゆく。という感覚が伝わりはじめます。

もちろん、精細感を残すような配慮やコントラストを意識する画像処理、あるいは撮影時点で光の具合と時間帯を意識している…。
といったようなプロセスを経た結果。というのはあるかもしれませんが。

目に見えない強い力を送ってくれたこの樹々。
この前を通り過ぎた後にも関わらず、わたしを振り返らせ、そしてポケットからスマホカメラを取り出し記録する。
そこまでのエネルギーを注いでくれたことに、御礼と感謝を。

こうして、二者のコラボレーション結果がここに残せました。
仲間との共同作業だからこそ、大きな力を宿すのだと。
そんな多くの仲間たちに感謝を忘れず。
すばらしい体験と感動をありがとう。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
105813269
rss_logo

New Entries

Archives / Serch

Categories