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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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わたしたちは何に取り組みますか

はかなき人生 短くも美しく photo 宮本章光

響き渡っています。
心の中に。
わたしたちは、何をやりたいのでしょう。

全身全靈を傾けて、ただ一つ。
美しく花開きそのサイクルを終える仲間たち。

短くも美しく。
儚き人生、儚き夢見し。

ポートレートモード(背景ボカし機能)の抜けが稚拙だとか、そんなことはもうどうでもよいのです。
本質を見極め、本当にやりたいこと・取り組みたいことに、心のフォーカスを合わせてゆきます。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

そのままでいい

春を謳歌する photo 宮本章光

さまざまな存在。
色々な友・仲間。

みんなそれぞれ精一杯生きていることが伝わってきます。
取り繕うことなく。
何ら飾り立てることもなく。


-- 人にどのように思われるのか。
-- 人の目にどのように映るのかを氣にする。
そういった感覚が必要な「学年」がありました。この地・地球学校では。
そのような感覚に意識を巡らせ、体験し、感じる必要がありました。

そして、ついに到達しつつある「この学年の最終章」。
これまでに学び身につけた体験・意識、そして肌感覚を、大切に心にしまっておく時間になりました。

捨ててはなりません。
しっかりと心に刻んでおきます。
この「学年」の後半に入りますと、負の感情を捨ててしまうのが良い。といったような勘違いをすることがあります。
ポジティブごっこ遊びの落とし穴に、足を取られ落ちてしまいませんよう。
自戒を込めて。


そのまま。
得たまま、感じたまま。
ありがとう。この学年で共に学ぶことができた皆さま。
そして、
同じ道に進む皆さま。これからの世界でこそ本当のシンクロ体験を大切にしてゆきたく思います。
ありがとうございます。重ねて感謝の意を伝え、それを送り続けます。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

助け合って生きるという究極の姿

時には首飾りのように煌びやかに

何を考えて生きますか。
何を思って過ごしますか。

人のため。
だとか、
人に役に立つことをする。
とか。

もちろん、それを否定しませんし、とても大切なことだと思います。
でも、
その裏側に「見返りを求める潜在意識」があるとすれば、それは良くないことでしょうか?
そういった感覚さえも卒業する時期を迎えたようです。


〇〇をしたんだから、XXの見返りは当然だ。
〇〇をしてやったんだから、XXがあってしかるべきやろ。
はい、
この考え方。もちろん「あってよいこと」だと思います。

変に格好つけて、そんなことを求めるのは人としてどうなんだ!
だとか言わなくてもいい。


すべては、
何も特別に意識せずとも、何も特に考えなくても、自然に出てくる感覚。
そこまで到達できるのは素晴らしいです。

感謝という心も同じでしょう。
「感謝しなければならない。」
「感謝することが美徳。」
その裏側には、感謝するという意識を持ったのだから「幸せがやってくる」。
そんな見返りを潜在意識で持ち続ける感覚。

ええ、この地は二極・両極ともにセットでなければ存在できないので。
だから、どれも正解・どちらも正解。
この地点からさらに意識を拡大し、そして成長を重ね、無意識にそして無条件に、それらの発想や心持ちに到達できれば美しいですね。


森に存在する仲間たち。
彼らは、お互いに支え合って生きていることが判ります。
時には、
首飾りのように美しく。
あるいは、
アート作品のように煌びやかに。

ここに「助け合って生きるという究極の姿」を見ることができるのではないでしょうか。
素晴らしい仕組み。素晴らしい世界。
ここに氣がつき、その境地に「ほんの指先だけ」でも届きつつあること。
もう少し、あと少し手を伸ばして、その美しい世界に仲間入りしたいと感じます。


わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

色々な道・さまざまな生き方

IMG_7975_2023.webp

十人十色。
百人百色や千人千色…という言葉は存在しないでしょうが、それも良い感覚なのかもしれません。

人によって歩む道、求める行き先、それはさまざまでしょう。
よく語られるのは、
ゴールは同じ、道はさまざま。途中、どの道を通るかが、その人の学びだと。

いよいよ心の浄化と魂の成長が進んできた証でしょうか。
道だけではなく「ゴールもさまざまであってよい」のですよ。という言葉も増えてきたように感じます。

一つの考え方を述べるのか、哲学的回帰を求めるのか、はたまた大宇宙の摂理を論じるのか。
そのテーブルによって見解は千差万別だと思われるので、それをキチキチと分類・分析し、いつまでも討議する。
そうした時間を費やすのは、今後はもう居残り授業希望者だけで良いでしょう。

昨2022年、ある場において、
「時には苦味(にがみ)も必要だ」との言葉を受けたことがあります。
苦味は自分にとって過去のもの。もう苦味は要らない。
わたしはそのように判断し、過去の体験のための教科書として感謝の意とともに手放したはずの力だと感じていました。
ところが、
今後の自分の道では不要だと考えるその旧い力が舞い戻ってきたために、わたしは「過去に戻ったような氣分だ」と話したところ、その回答を受けたのでした。
これでは、永遠に無限ループから抜け出せません。
もちろん、必要だという人があって当然ですし、それを望むのも自由。


要は、みんな同じであることが当然。
そんな発想自体から卒業ですよ。というところがポイントなのですが。
--- 苦あれば楽あり。
--- 人生には苦味も必要だ。だから幸せになれるんだ。
こうした旧いレイヤーに存在していた意識。
こうした力は、体験と学びのためには必ず必要なものでした。それは事実です。
けれど、
それを「みんな同じ」であるという前提で留まったままで居るのは、もう終わりにしませんか。ということなのですね。


色々な道・さまざまな生き方。それぞれを尊重し認め合う。
そして、自分の道は、自分で切り拓く。

自分の心から描き出し、それを創造してゆく時代の幕開けです。
素晴らしい時代に入りました。
素晴らしい仕組みと素晴らしいシンクロ体験に感謝いたします。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
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