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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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「通じる瞬間」は相互に認識できるもの

街中を流れる小さな川 photo 宮本章光

目に見えようが、見えまいが、関係なく。
通じるものは通じ、伝わるものは伝わるものだと感じる瞬間があります。

となり町(鉄道で一駅分の距離)への徒歩移動をする機会があります。
その道すがら、出会う人たち。
お互いに面識はありません。

途中、いつも美しく咲かせる花々を、玄関先や庭先に披露されているお宅が何件もあります。
そしてそこで、庭木の世話をなさっている人であったり、掃き掃除をされている方であったり。

美しく見事なその花々を拝見し、心の中でそこに波長が合ってゆく様を感じます。
すると、
向こう側から会釈なさるのです。あるいは「こんにちは」と声をかけていただけることもあります。
まったく知らない方です。(お名前は表札から読めますが、それ以上の情報は何もありません。)
そしてそれらの方々は、毎回異なった人たちなのです。


共通点は、ただ一つ。
こちらから、美しいその花々に心の中でフォーカスを合わせた瞬間に。
美しいものを、美しい。と感じた瞬間に。
そうした方々は、その軒先や玄関先の植物と一体化した心の周波数をお持ちなのでしょう。
こちらから、そのお花に意識が合った瞬間に挨拶なさるので、そこにシンクロする感覚が伝わってくるのです。

ああ、これが「同じ波長は響きあう」という、まさに物理法則そのものだと。
周波数が同じだからスマホが通信できるのと同じように。


目に見えるものだけを信じる。見えないものは徹底的に否定し排除する。
それはそれで、その人の自由です。
しかし、
目に見えようが、見えまいが、通じる瞬間には「そこに電流が流れるかのように」判るもの。体感しているからこそ公に記すことができます。
その昔、なんやら流行ったワードがあったような。
「ビビビッと感じる」というアレです。

こうした話題を掲げると、途端に「フワってる!地に足がついていない!」と蔑む人たちが存在していましたが、もう過去のもの。目の前からは綺麗さっぱり消滅しました。
これも、まさに「異なる周波数は合致しない」物理法則。
異なるキャリアのスマホは通信できない原理と同じでしょう。

大切にしたいと感じます。
心の中で響き合う、美しいものに対するフォーカスと、そのビビビ…の感覚を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

仲間に逢いにゆく

山で生まれる川の源 photo 宮本章光

山に入ります。
このあたりも、五十数年前と随分と印象が変わりました。
けれども、そこに数多くの仲間たちが存在していることに違いはありません。

大自然は、刻々とその面持ちを変えてゆきます。
それは、
季節や氣温による植物・微生物の活動具合、日差しの具合…と。
そして最も大きな変化は、
自分自身の心の持ち方・感じ方の変化だと理解できるようになりました。


新しい世界、新しい創造とは、
どこか別の場所に移動することではなく。
別の舞台が、誰かによって作られていて、それを受け身で感じるのではなく。
そして、
いま、最も多くの人たちが関心を寄せる「しあわせ」についても然り。


わたしたち、一人ひとりの「心の中に感じる感覚」。
これこそが「幸せの正体」だと。
同じく、
その対極に位置する「負の感情」についても、それを絶対値としての同じ大きさのパワーとして尊重し、受け止め受け入れる。
だからこそ、そこに比較対象として「ホンモノのしあわせ」の大きさを実感できるのだと。


多くの仲間たちに逢いに行きます。
そこに、間違いなく生存する生命がある限り。
そこに、間違いなく共鳴する、暖かく・明るく・心高まる波動が存在する限り。

創り出して参りましょう。
描きあげてゆきましょう。
ご一緒しましょう。
仲間とともに。

そこに、望ましい世界に通じる道を拓くという、強い意思がある限り。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

色々な表現・ざまざまな抑揚

威厳と尊厳 photo 宮本章光

人それぞれ得意分野があり、独自の「表現方法という言葉」を持っています。

すべて同じでなくてはならない。
すべて答えは一つしか存在しない。

教育段階からそのように教え込まれ、それが唯一無二の答えだと無意識の中にプリントされた歴史を背負い、いまを生きているわたしたち。
言葉の上では、こう言うのです。
-- 「人それぞれだから同じでなくていいんです」
-- 「お互いを尊重しましょう」
でも心の底には、そんな意識は微塵も存在していない。

こうやって本音と建前を使い分けることが世渡りのスキルなのだ。と。


こういった生き方をすると「どんな味がするのか」?
こういった道を歩むと「どんな感覚なのか」?
それを知り、体験し、糧として自らの成長を楽しむ旅。
現在も進行中です。

目一杯、味わいたかったから、この地への転生に「立候補」しました。
目一杯、楽しみたいと思ったから、この旅に「自分から手を上げ」ました。

味わい足りない方は、もっともっと体験なさってください。
わたしは…。
もう喉元まで一杯いっぱいな感じです。


自分の感覚で。
自分の心に響くものを選ぶ。
誰が何を言おうと、それに揺さぶられる必要はないはずです。
もちろん、
何度も繰り返し綴ってきましたように「物理次元・地球の歩き方」に沿った意識から外れることはできませんし、その原理原則からも逃れられません。
行動という物理的制約に結果が左右される点に目をつぶることもできません。

でもやっぱり。
満腹。

もっともっと色々な表現があってよいと思うのです。
ざまざまな抑揚を、さらに大きく表現できるように。
ようやく、あるいは「やっとこさ」その意味が通じる方々が増えてきた感覚です。

もっと大きく、さらに幅広く、心を合わせることによって実現する素晴らしい世界を楽しみませんか。
同じ波長を束ね、より大きく拡大し、ともに歩みたく思います。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

暑い暑いと叫んでも涼しくならないよ

美しい川の流れを眺める photo 宮本章光

ええ、それが挨拶としての言葉なのは理解しています。
はい、それは社交辞令的な枕詞としても使われていること、知っています。
日本語、生まれてからずっと使ってきましたので。

でも、よく考える時期を迎えているように思うのです。
言霊という極めて重要な考え方・意識を。
言葉には命が宿ることを。
そして、その言霊の力が、目の前の自分の現実を形作ることを。


暑いね〜。どうしようもなくジメジメと不快やね。
ホンマに鬱陶しい天氣やわ。
もういい加減にしてくれよ。

そんな言葉を挨拶に使うのなら、

いよいよ夏本番が近いね。体力蓄えて活動しような!
セミもそのうち大合唱を始めそうやな。楽しみに待とう!
だとか、異なる「音の響き」を自らの発言としてみたいものです。

なぜなら、
自分の意識が心の中に生み出されただけでも想像を絶するレベルに強力で広範な影響を及ぼす力があるにもかかわらず、それをさらに「言葉に落とし込んで」、尚且つ「口から音として発言し」、「その響きを空間に放って」いるのですから。

こうして負の力を響きとして放ち具現化してしまう責任を。
こうして、知らず知らずのうちに何らかの因果を積み重ねていることを。
あなたが理解していれば、違う発言になるはずですから。


澄みきった水。
手を浸してみると、切れるように冷たいのです。暑さなど吹っ飛びます。
川底の石は、もう何年もの間、水の流れという土台を形作り裏方としての仕事を果たしてきたはず。

今世・今生でのこの地の人間としての生を無駄にすると、石ころからやり直し。
との論説もあるのです。最短でも50億年コースなのでしょう。

空気に触れることは叶わず、太陽の光も水という媒体を通して味わう。
裏方としての生き方。
そこで学んだことを生かし、永遠に続く成長のための体験を積み重ねてゆきます。


わたしたちは、そんなルーツからスタートしたのかどうか、知る由もありません。
けれども、数々の氣の遠くなるような時間・年月を経て、やっとの思いで「人間の体をお借りして学ぶ」ところに到達しているのだとされます。

いまこの瞬間を、自分の心を。
平穏に保ち、望ましい波動で満たしてみませんか。
その先に、必ず願う風景が現れてきます。
それが、大宇宙の普遍的な原理原則であり、そういう仕組みなのですから。
暑い暑い、と叫んでいても涼しくなりませんから。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
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