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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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わたしたちはいつでも完全な状態です

空に描く願いと希望 photo 宮本章光

-- 忙しすぎる。
-- 過密スケジュール。
-- 慌ただしく流れて行く時間と日々。

昔のわたしは、そのように追われ続け、それが当たり前だと思っていました。
今のわたしは、その選択をしない道に乗り換える瞬間を経て、ここに在ります。
もちろん、
強制終了の啓示が降りてきたからこそ実現したものです。
強制終了のタイミングを迎えた時にリセットボタンを押せなかったならば、既にこの世には存在していないはずです。
そして、この記事も存在していないことになります。


すべて「自分自身」の選択。
そして、自分が行った判断の結果が、現実として生まれ続ける。
永遠に。です。

わたしたちの存在は、エネルギー体そのものとされます。
だからこそ、心に描き心に抱くものが共振共鳴し、具現化してゆきます。
それならば、望ましい波長と響き合いたいと思うのです。

残酷かもしれません。けれど、それが大宇宙の仕組み。
あるいは、至ってシンプル。単純明快とも受け取れます。


そして、この地に降りる前にサインした契約書の「重要事項説明書」には、赤い文字で目立つように以下の文字が書かれていました。

---◇◇◇---
【わたしたちはいつでも完全な状態】

学びと成長のために、自分から立候補してこの地での体験を希望しました。
二極化と二元性の世界を味わうために。
それが大きな成長になるからだ、と。

重要事項説明書には、赤い文字で目立つように以下の文字が書かれていました。
「99パーセント以上の確率でその泥沼から抜け出せなくなるリスクがあります」
「抜け出すには自分自身の心の潜在能力を使う以外に方法はありません」
「どれだけ苦しんでも救助・救援は一切ありません」
「何度も氣がついたと錯覚しますがそれでも次々に卒業試験をクリアしなければ脱出不可能です」

了解する、にチェックを入れご丁寧にサインまでしてこの地に降り立ったのはわたしたち自身。
---◇◇◇---
Official Blog / 宮本章光の視点 2022/09/15 [Link]

そして、いまを生きながら、毎瞬ごとに「選択」し続けているとされます。

現状に満足していないのであれば、なぜ、これからもずっと「現状を選択し続ける」のですか。
現状が満ち足りていないと感じるのなら、なぜ「そう感じるのか」その仕組みを理解しようとしないのですか。


すべては、自分が創り出した「学習教材」。
すべては、自分が行った「選択」だったのです。

いま、すでに十分に恵まれていますでしょう。
いま、何ら一切の不足はありませんでしょう。
それなのに、
なぜ、更にもっともっと、と願い続け、引き寄せ続ける必要があるのでしょう。

引き寄せるために感謝するのではなく、すでに満ち足りて、すでに恵まれているからこそ「感謝せざるを得ない」氣持ちが湧き上がってくるのです。
強く強く上ってくる力が「先にあって」、そこから押し出され止めることができず溢れ出てしまうのが「感謝の心・感謝の氣持ち」だと、わたしは感じています。


すでに恵まれており、すでに満ち足りているはずなのです。
こうして、ここに自分が在り、満足に生きていることに。
さまざまに苦しんだご経験をお持ちの方ほど、現在ここに在る、その感覚は強いでしょう。
そして、湧き上がる感謝の氣持ちも大きいことが伝わってきます。


わたしたちは、いつでも満ち足りています。
わたしたちは、いつも恵まれています。
そのこと自体に感謝が湧き上がるのです。
引き寄せの「道具」や「材料」に使うのが「感謝」ではない。
と、わたしは強く思っています。
よって、
わたしの目の前の現実は、そのように具現化し続けています。
それが、自分の選択だからです。

わたしたちはいつでも完全な状態なのです。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

何を描き・何を創り上げますか

夕暮れ時の大空アート photo 宮本章光

感じるものを大切に。
見えるもの、見えないもの、いずれも分け隔てなく大切に。
上も下も、右も左も、どちらも分け隔てなく大切に。

価値は自ら創り出し、意義も自ら認め合う。
変化を恐れず、変化を楽しむ。

必要以上に「力」をかけすぎず。
必要以上に「力」を抜きすぎず。

何に合わせ、何を望み、何を得ますか。
何を抱き、何を描き、何を創り出しますか。

足りないものを引き寄せようとせず、すでに満ち足りていることに感謝を忘れず。


わたしたちは、いまここに存在していることに意味があると知り、いまこの時を生きています。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

存在していることに意味がある

木の切り株に宿る魂 photo 宮本章光

何ものも。
何ごとも。
そこに有り、そこに存在していることに意味がある。

価値があるのか、ないのか。
そのように「考え・悩む」体験をしたかった。
何のために生きているのか。
そのように「思いめぐらせる」感覚を味わってみたかった。

こうした目的を果たすために、自分から希望してこの地にやってきたのでした。

体をお借りして「生きて」いる間に味わうこと。
体をお返ししたあと「魂」としての存在に戻ってから活かすこと。

これを、何度も繰り返すことによって成長を成し遂げる、とされます。
だからこそ、
いま生かせていただいている瞬間を十分に味わうこと。
それぞれの瞬間に十分に役目を果たすこと。
ここに意味がある、と理解が深まります。

存在していることに意味があります。
存在していることに価値があります。
満ち足りた心地よさを維持し、望む風景を描き続け、さらに大きく拡げてまいりましょう。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「考える・感じる」をともに満たす

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考えずに感じよ。
そのように語られて久しい昨今です。
ところが、何をどのように感じればいいのか。
この段階から、すでに躓いてしまいます。

習っていないから「そんなことはできない」と。
わたしたちは、「心で感じる」ことさえも忘れてしまった可能性があります。


そして、知らぬ間にメインストリームに躍り出てしまったワードだけが一人あるきしはじめます。
「考えることはダメで、感じなければならない。」と。
しかしながら、そのように偏った教えは、少々リスキーな香りがします。

この言葉によって伝えられている本筋・核心は、
思考で弄りまくるのではなく、直感や心に響く感覚を大切にする練習をしましょう。との意だったはずなのです。
それが、伝言ゲームのごとく劣化コピーされてしまったのかもしれません。
語り手により、独自の主義主張がアドオンされ、また手垢にまみれ、まさに「流派」が生まれ、知らぬまに経典になってしまったのでしょう。


ですが幸いなことに、芸術やアート、文学の世界からヒントを得ることができそうです。
絵画はその最有力候補かと感じます。
もちろん、文学も同じく。

そこに描かれているのは、作者の意図によって創り出された世界そのもの。
意識を寄せてゆくことで、その独自の世界に引き込まれます。
描かれているものが「文字」であれば、さらに鮮明に。
そして、写真であれば、よりストレートに明確に。

そこは、現実でもなく夢でもない、ある種の不思議な世界が展開されているのです。
そして、ハッと氣がつくのは…。

考える・感じる。
これを共に満たしているのではないのか?と。
な〜んだ、別々のものじゃなかったんだ。と。


多くの人たちの伝言ゲームに付き合っているうちに、
自分自身が、見えない鎖に繋がれ、自分から制約を課し、本末転倒な世界に囚われてしまっていたことに氣がつきます。

見て・観て・読んで・味わって。
そのプロセスには、頭で考えることと、心で感じる感覚的な感触と。
同時に、そして両刀使いできてるじゃないか。と。

無理に分離しなくてよかったのですね。
メインストリームに乗ったワードや名言的な響きに翻弄される必要がないこと。
まさに、ここでも学びと体験を得ることができたのでした。

感じる。考える。
ともに使いこなしてみませんか。
と言いますか、元々、それらは表裏一体だったのですね。
ともにセットで味わう、この地の約束ごと。あらためて目が覚めるとともに再認識する瞬間です。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
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