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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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色々な道をさまざまに歩む

光と影が織りなす石畳 photo 宮本章光

道。
歩む道は、人それぞれ。
そして、行き着く先も十人十色、千差万別。

どの道を選ぶのか。
どういう歩き方をするのか。

この、
「旅行スケジュール」を立てる段階を楽しみ、
「旅行その時・その瞬間」を楽しみ、
「帰ってきてから思い出を」楽しむ。

旅は「三度おいしい」と言われます。
わたしたちは、この3要素の2つ目をエンジョイしている真っ最中。
ここまで理解が到達しますと、楽しまないわけにはゆかないでしょう。


初めての海外旅行。
それなのに、冷凍食材を解凍して切り盛りしただけの「日本食」を、わざわざオーダーし、滞在先の部屋に閉じこもって「ネット経由の日本のメディアニュース」を見て、こう叫びます。
なんだよ、この料理は!
なんなの、この人たちは・この政治家は・このタレントは…!と。

何のために海外旅行に出かけたのでしょう。
その地にしかないものを食し、その地だけの空気感を楽しむためだったはず。
目にするもの、口にするもの、胸いっぱいに取り込むその地の空気感を感じるためではなかったでしょうか。


素晴らしいものを体験し、素晴らしいと感じ、素晴らしいと伝える。
美しいものを美しいと感じ、美しいと讃える。

それが、大宇宙の「標準仕様」だとされます。
デフォルトでそういった仕組みなのだと語られています。

でも、退屈だったのかもしれません。
もっと「苦労」してみたかったのでしょう?
痛み・苦しみ「うまくゆかない現実」という名のゲームを試してみたかったに違いありません。
だから、この地に降り立ったのでした。
自分から手をあげて、自分から希望して、やってきたのでした。

まるで、せっかくやってきた初めての外国で、日本食に文句を言い、日本のメディアに煽られ、負の感情を盛大に溜め込むかのようように。
何のために?なぜここにやってきたのでしょう?
何のために、旅行にやってきたのでしょう?
でも、これも目的の一つだったとしたら?


この地を目一杯楽しむ。
もちろん、その一つの要素として「うまくゆかない現実ゲーム」を体験する時間があり、苦労そのものを味わうのは、標準アクティビティに含まれていたはず。
あるいは、オプショナルツアーとして、病床で苦しむ体験さえも「自分で予約」したはずなのです。
けれども、苦しみのオプションは一度体験すればもういい。もう十分です。
これから先の道では、選択しないだけのこと。

ここまで「思い出した」のなら、もう楽しむしかありませんでしょう。
楽しみ、存分に味わって、それを「楽しい」と表現する。
これ以外にありません。
その波長に共振するエネルギーが、その先に展開する「自分自身の道」を創り上げてゆきます。
まさに、自分だけの完全オーダーメイドのアクティビティとオプショナルツアー。

そして、その心が生み出す力が「感動」を呼び、そこからさらに拡大する充実感と達成感が「感謝」へと繋がってゆきます。

色々な道を、さまざまに歩む。
この素晴らしい仕組みに、あらためて感謝を申し上げます。
ご一緒しましょう。
同じツアーで、同じ波長を保持なさっている皆さまと。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

そこに響き渡る音色を

飯舘の初夏を感じる photo 宮本章光

この国に生まれこの国で育った人は、誰でも容易に感じることができるはず。

そこに響き渡る、小鳥の囀り。
そこに流れる、風の香り。
そこに満ちる、心に響く音色を。


感じよう、と、意識してみれば「感じられる」はずなのです。
ところが、
盲目的に、口を開けて待っていれば「自動的に与えられる」というスタイルに麻痺してしまったわたしたちの感性。

感性とは、偉い先生が演台で語る「文字に落とし込めないほどの難しく高い芸術性」のことではなく、特別な能力がなければ「受け取れず・感じられない」、別にそんな高尚なものではなかったはず。


自分から「合わせて」ゆきます。
それは無理矢理に「全く楽しくもないのにわくわく」することではなく。
それは無理をして「感じたくないタイミングに」心を開くことでもなく。

自分から、感じてみたい。
と、響いた瞬間に。
自分から、感じてみよう。
と、閃いた瞬間に。
心を合わせてゆきます。

まさに、勝手に、とでも言うような感覚で心が動く瞬間があります。
そのタイミングを逃さず、そこにある波長に合わせてゆきます。
そうすればこそ、
思いもよらない「大きく、そして暖かく包み込む」力がそこに存在していることに氣がつきます。

自然とともに響き合う。
それは生業として従事するという形ではなくとも、心の波長がガツンとシンクロした瞬間が判る、その感覚。
大切にしたいと思うのです。

そこに響き渡る感覚を。
そこに響き渡る音色が理解できた瞬間に、感謝の氣持ちが溢れ出ます。
こうして生きていることに。
このような体をお借りして、調和と共鳴の波長を体験できることに。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「初心者」ずっと続けます?

美しく花開く photo 宮本章光

--「いえいえ、まだまだです。」
--「とんでもない、わたしなんて全然ダメですから。」


何らかのお褒めの言葉をいただいた時。
高い評価をいただけた時。

無意識に、そのような言葉が口をついて出てしまうことはありませんか。
それが礼儀だと思っていませんか。
それが正しい返答だと勘違いしていませんか。

もちろん、
スゲーだろ!それ見たか!ドヤ、これが実力や!
とは言いませんし、その言葉はちょっと危ない…感覚であることは疑いようがありません。


言霊。
言葉として発したものは、そこに「目にはみえなくとも言葉の力」が存在していること。
「まだまだです。」と言い続けている限り、永遠に「まだまだ」な現実が。
「全然ダメですから。」と発言する限り、いつまでも「全然ダメ」な現実を自分自身が創り出していることに。
もう十分に理解が行き渡ったはずです。
耳にタコがいくつできたか数え切れないものと思われます。

客観視すること・俯瞰して自分が立っている今のステージを認識するのはとても大切なことだと思われます。
これができないと、単なる痛い人で終わってしまいますから。


であるならば、お褒めをいただいたら、何と回答しましょうか。
「ありがとうございます。嬉しいお言葉に感謝申し上げます。」
この感覚
ではないかな、と思うのです。

でも、そこまで発言できない。どうも恥ずかしい部分が残る。
と仰るのなら。
「お褒めの言葉をありがとうございます。これからもより一層磨いてまいります。引き続きご指導のほどよろしくお願いいたします。」
でしょうか。
ここにこそ「感謝の心」「感謝の氣持ち」が必要
だと感じます。
(感謝は、個人の欲求・欲望を満たすための道具ではないこと、再確認です。)


心の世界が重要視されるようになるにつれ、そしてそこに理解が到達するに従い、過去の過ちや不甲斐なさを「客観視し・俯瞰して」認める。
とても大切なプロセスだと思われます。
でも、いつまでも「そのフィールドに居続ける」と、進歩・進化が停止してしまうのです。

--- こんなにダメだった。こんなに苦しんだ…。
--- でももう浄化できたので、いまはスッキリです。

そう仰るのなら、
「もうその部屋からは出てゆくこと」が必要ではないでしょうか。
卒業生は、現役生と机を並べることはできません。
これから先「やるべきこと」にフォーカスしてゆきたいものです。

いつまでも「初心者」です。
と、言い続けるから「万年初心者」にとどまります。
いつまでも「まだまだ」です。
と、間違った言葉を発するから「永遠に旧いレイヤー」から脱出できません。


--- これは自分の失敗だった。
--- 失敗があるから成長できたんだ。
それを知り、十分に学んだのでしょう。
それならば、「体験させていただけた教室」にありがとう、と心からの感謝を伝え「退出」するのです。
こうして、心の底から湧き上がる感謝を伝えてゆきます。


「初心者」
これからもずっと続けます?

認識を新たに、もう一段上へ向いて階段を上がりましょう。
そして、望ましい近未来に続く道を、私たち自身の心から創り上げましょう。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

自分のカラーを知り・活かすことによって新しい世界を創り上げる

斜面に咲き誇る朝顔 photo 宮本章光

自分の色。
それを認識し活かすことで、さらに「心のありよう」が拡がるのだと思います。

それは、ストレートに言葉が示す「カラー」そのものではなく、自分らしさだとか、自分の得意分野を知ることでしょうか。
その媒体は、言葉や文字であったり、絵やアート作品であったり。
あるいは、語りやトークであったり。
対象や手段を固定しない、さまざまな表現方法そのものなのかもしれません。

そこには、多種多様な手段・媒体・方法があると思われ、その「使いこなし」を心得ている方ほど、より魅力的で具体的な表現が可能になるはずです。

いま、わたしたちは、
この「自分色の使いこなし」によって「自分という存在そのもの」集大成を編纂中ではないでしょうか。
長大な時間・期間を、途切れることなく埋め続けてきた経験がモノを言う、そんな自分史ならぬ、自分表現大全集…的な感覚。
そして、ようやくそのアーカイブを実地に活かすフェーズに入ったのだと思っています。


多くの方々が、「自分はこんな過去を生きてきました。これほどまで苦しんだのです。」と綴ってらっしゃる記事を拝読しています。
けれども、続いて「でも、それは自分が勝手に思い込んでいただけ。」
あるいは、
「それは必要だからこそ体験させてもらえたのです。」と。
こうして、次のステップへ移行なさっている様子を拝見しています。

この「登り続けよう」「切り拓き続けよう」とする進化の力。
これこそが「望ましい近未来」を創り上げる原動力なのだと判ります。

こうして、心の中から描き続け、創り上げる、
--- そのための「自分のカラー」「自分色の使いこなし」。
こうして、心の中から表現し続け、作り続ける、
--- その時にこそ力を発揮する「心から生み出す力」。


ようやく、わたしたちは「心のありよう」によって、自分自身が望み・願う近未来を創造する方法を「思い出そう」としています。
本当に凄い時代を生きている。と感じています。

でも、そこには「極限まで肩を張り詰めて」自分を追い込み、苦しまなければ結果は出ない!などと叫ぶ愚を繰り返すことなく。
自分のDNAに刻まれたカラーを、あますことなく「その時」が来れば披露する朝顔の花たちのように、美しく自分らしさを表現する。
そして、それが実現する時代の幕開けを迎えたように思います。

ともに、素晴らしい道を創り上げてまいりましょう。
それは大自然の仲間たちだけではなく、同じ波長で響きあえる皆さまとともに。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
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