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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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もうそろそろ次のステップへ

川べりに美しく花開く photo 宮本章光

わたしたちが心に描く想念が、目の前の風景に…。
ようやくその本質を理解し、自分の言葉として語ることができる方々が増えてきました。

「めちゃめちゃ暑いね。どうなってんやろな。」
「今日も暑いね。氣をつけて。」
多くの方々が、そのように言葉を発します。

それ、挨拶だから当たり前でしょ?
それ、時候の挨拶でしょ?

確かに。
でも、そう語るからそのようになる。その仕組み。
もう満腹ですね。


実証された事例も増えてきました。
数年前までの「台風上陸数」と、この3年間の比較。
多くの人たちが、もはや氣象操作が当たり前だったことに氣がついた結果だと。
ソースはどこや、エビはあるんか。
と騒ぐ人たちも、もうすっかり鳴りを潜めてしまいました。
これが「集合意識」というものなのでしょう。肌で感じることができるようになりました。

自分たち自身で、さらにもっともっと暑くしていたんだ、ということ。
氣づいてもよい時期を迎えたと思っています。


---◇◇---
暑いね〜、熱いね〜。
その言葉が、言霊が、意識が、その状況を現実として具現化してゆきます。

地球地軸の傾きが大きく変化しただけにとどまらず、わたしたちの集合意識が「さらに暑くしている」ことを知りましょう。

台風しかり。
もう上陸して甚大な被害を及ぼす台風。この2年間では記憶にないはずです。
そう、こうして「意識」が現実を創り出します。
---◇◇---
【暑いね〜と言うから熱くなる】2022/07/03(Sun)[Link]


次のステップ。
次に取り組むことは。

次のステップは、楽に生きる。嬉しく楽しく日々過ごす。
これを実践することではないでしょうか。
心地よく昼寝をするネコたちのように。


君、アタマ大丈夫か?
それをお花畑と言うんとちゃうか!

ええ、大丈夫です。
自分で人体実験してきました。わたし自身がこの一生をかけて。
そして結果がここに出ています。
ここに生きて証明しています。
もちろん、過去には「学び」として、思いっきり遠回りもしましたし、痛く苦しい思いもしました。でも、もう味わい終えました。もう要りません。

昼寝をするネコたちは、人生に失敗したなどと落ち込みませんし、それによって命の危機を感じることもないでしょう。
貨幣資産を築くのが成功者の証。そのために願いを実現させて引き寄せるんだ。
などと考えませんでしょう。
むしろ真逆です。
負の力が渦巻く泥沼に自ら深く嵌ってゆく人間より、よほど幸せなはずです。
優雅な寝顔がそれを証明しています。

こうした、心地よさと幸福に満ちた感覚とされる事例を、数多く示すこと。
その実例を、可能な限り共有すること。
その言葉を実践している方々の波長が大きく広がっていますでしょう。


次のステップは、自分自身で選択し、自分で歩むことでしか実現しないのです。
「行動せよ」
「行動こそ結果を得る方法だ」
そう豪語なさっていた人に限って、ここに至って実践しない。いえ、できない事例も多く見えます。

歩みましょう。
ご一緒しましょう。
自分で道を創り出し、自分でその道を歩みます。
すべては「自分の心の中」から生み出してゆくのです。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

この地に桃源郷を創る先鋭隊に手を上げる

夏場の紅葉に意識を合わせ photo 宮本章光

この場でご縁をいただいている多くの皆さま、みるみる「身軽」になっていらっしゃる様子が分かります。
素晴らしい仕組みを手に入れつつあるように見えます。
凄い時代に生きているんだな、と感じます。


わたしたちの本当の役目は何だったのでしょう。
空を見上げると、その答えの、ほんの触りの部分だけでも感じられるはずです。

美しく会話を続ける小鳥たち。
穏やかに頬を撫でる優しい風。
そして、優雅に昼寝をする猫の姿まで。

ここに波長を合わせてゆきます。
そうすればこそ、その同じ周波数が「幸せ」で「美しい」風景を現実のものとして創り上げる力が生み出されてゆきます。
多くの方が語り始めていますように、「幸せを感じる」感覚を維持する。その氣持ちを持ち続ける。
ここにこそ役目があったことを思い出します。
そして、
そうではない!桃源郷などあるわけない!苦しめ!
と叫ぶものは、すべて権力者層が臣民を支配下に置き隷属化するための洗脳であったことまで。
ようやくここに到達できたのだと思っています。


-- 人生、苦あれば楽あり。
-- 楽しいことだけではダメなんだ。
この論法。
もう卒業できた頃でしょうか。

この旧来のメソッドが誤りだと言っているのではなく、わたしたち自身、それを経験して成長を重ねてきました。
これまでは。です。
これまでの教室で使用する学習教材。しかも自分で編集した教科書でした。

でも、そう叫び続ける限り「その現実だけしか具現化しない仕組み=負の感情と負の力に覆われたマトリックス」しか作り出せない&そこから逃れられない仕組みに氣がついたからこそ、その波長が持つ力からはきっぱりと離れたのでした。
ならば、
「そうではない方向・まったく正反対の方向」の力にフォーカスしてみてはどうなのか。

この実験をする「先鋭隊」として立候補した者たちが居ました。
それが、わたしたちだったと、各々が氣づきはじめたのでしょう。


だから、これからの道を歩むに際し「必要ない荷物」は処分したはずです。
だから、この先の道を進むために持つべきものは「心から生み出す力」だと認識しそれを使いこなす練習を重ねているはずです。
そして、
そのために「望ましいイメージ」をまず初めに描き、それを現実に落とし込みます。もちろん、ここでは「物理次元地球の歩き方」の外枠を超えて飛び出すことはできないため、その制限の認識、そして行動を外すことはできませんが。


-- 何を心に描くのか。
-- 何を意識し何を創り上げるのか。
毎日、同じことを書き続けています。
でも、
来る日も来る日も、そうした言葉が降ってくるので、それが消滅するまでキーボードを打ち続けることになりましょうか。それも役目なのでしょう。

この地に、次世代社会としての桃源郷を創り上げるための先鋭隊。
立候補したからには、その役目を全うしたいと思うのです。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

耳を澄ませて

雨上がりの虫と花との会話 photo 宮本章光

この国には、音が多すぎる。
この国の人々は、音に麻痺している。

ことあるごとに、そのように感じています。
以前の記事でも、何度も何度も触れてきました。

良いかよくないかという、その論議を超越した部分で、心に響く声や心で感じる波長を、一切スポイルしてしまうノイズという名の数々の音。
いえ、
ノイズになるかどうかは、受け取る人それぞれですから、断定はできませんが。


部屋に響き渡る「時を刻む秒針の音」だけに耳を傾ける。
空に響く風の音や小鳥の会話を聴いてみる。
それだけで、随分と心の中が綺麗になると氣がつきます。

-- そんなこと、教科書には書かれていないし一度も習ったことはない。
-- そんなこと、誰にでも容易にわかるレベルの話には価値がないに決まってる。

いつまでも形だけに囚われてしまうと、その落とし穴にハマり続け脱出不能になります。何度試行してみても、砂が舞い上がるばかりのバンカーショットのように。


とにかく、人の手が加えられた音から離れる。
可能な限り、音を消してみる。
試してみますと、心が鎮まり平穏な世界が無限に拡大してゆく感覚が分かります。

その「下拵え(したごしらえ)」を行ってから、自然との会話に入ります。
すると、途端に世界が変わるのです。
瞬間にレイヤーを跨いだ感覚です。

目の前に、植物と昆虫の会話が繰り広げられていることに氣がつきます。
それまでの雨が、美しい雫となって花を引き立てる姿がそこにあることにも。


目の前の現実は、自分の心が生み出すというその仕組み。
目の前の風景は、自分の心が創り出すというその本質を。
実体験しようとしないから、いつまでも理解できないのかもしれません。

「頭でっかち」な生き方。
もう卒業できましたでしょうか。
そのトリガーとして「音」にズームインしてみてはいかがでしょう。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

もういいかい?もういいよ!

壁面に美しく咲き誇る朝顔 photo 宮本章光

かくれんぼ。
誰しも経験がありますでしょう。

もういいかい?
まあだだよ。
もういいかい?
もういいよ。

地域性もあるでしょうか、こういう掛け声ではない所もあるかもしれません。


目隠しをしている人(オニ)にとっては、「もういいよ」と、その声が発せられる場所が、ある程度判明している(=声の聞こえる場所)ので、その場所へ狙いに行きます。
公園などの隠れる場所があまりない所では、木の影などに限定されるため、すぐに見つかってしまいます。
でも、そのプロセス自体を楽しむことができました。
一連の流れそのものを味わうことができたのでした。

ここで思い出す感覚。
それは、
「完璧に隠れなくてよい」ということ。
いえ、むしろ「隠れてはダメなんだ」と、その地域の年長格の兄さん姉さんに指導を受けたのではなかったでしょうか。

時として、意図的に「頭隠して尻隠さず」な、ちょっとだけ「見えるようにしておく」その配慮、といいますか、その「遊び方」の極意です。


完全に隠れてしまうと、探す立場のオニさんが苦労します。
それに、探し回る時間が無駄に流れて、次のオニの役へと変わることが叶いません。何より沈黙の時間は必要以上にあってはならないのです。

息を潜め、そして笑いを堪えて…隠れます。
でも、足先だけをほんの少し見えるように出しておくので、すぐに見つかります。
だからこそ次々にオニの役を交代して、飽きずに繰り返し遊べたことを。

完璧に隠れて、どこに居るのかまったく解らない。
そんな子が一人でも残ってしまうと、「もうええやん、ほっとき。」(もう探す必要ないよ。放置しておけばいい。)と、その時点で仲間外れにされてしまうことさえあったように思われます。
今にして思えば「かなり微妙な心と心の接点」を「感覚的に駆け引きしながら」遊んでいたのだな、と感心します。


そう、その年代(幼稚園児から小学生くらい)には、子供たち同志で、「相手が何を考えているのか」「相手が何を感じているのか」が、お互いに理解できていたことを思い出します。
そして、
(少々言葉が適切ではないながらご容赦願って)そうした「相手の氣持ち」をあまり感じられない子も存在していたわけで、彼ら・彼女らに対しては、地域の年長者が、面倒を観ながら、先ほどの「もうええやん、ほっとき。」と発言する者に対しても、「そう言わんと、みんなで遊ぼや。」と、「お互いに楽しく時間を過ごせる工夫」をしていたこと。
この風景も、しっかりと思い出すことができます。


いつの頃からでしょうか。
人のことに触れるな。人の考えなど放っておけ。
このように、どんどん心の触れ合いが消滅してゆきました。
そして、今。
再び、こうした心の接点を復活させたいと願う感覚が戻っていませんか。
(他人の考えに左右される、という意味ではありません。)


失われた感覚。
故意に仕組まれ、意図的に忘れるよう変えられてきた社会。
極端に片側に触れた振り子は、必ず元に戻ろうとします。
戻そうとする力は、わたしたち一人ひとりの「心」から生み出すのですね。

引力に引かれて勝手に戻るやろ。ほっとけ(放置しておけ)や。
ではないはずだと。
自ら心に描く。
自分から心が触れあうシチュエーションに持ってゆく。

思い出していますでしょう。
ともに、その感覚を拡大してまいりましょう。
同じ波長で響き合える皆さまとともに。

もういいかい?


わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
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