とめどなく沸き起こる感謝の心

この地に生きているからできること。
この地で生きているからこそ感じられること。
五感に触れ、五感で感じることが可能なもの。
日の光に輝く、多くの植物たち。
日の光を通し、緑に煌めく新緑の葉。
日陰に隠れ、濃淡の色彩感を醸し出す、多数の若葉や役目を終えた葉。
みんな、どれも、この地だからこその体験。五感でキャッチできる体をお借りしているからこそ叶うこと。
その恵まれた環境と、その満ち足りた日々に感謝が湧き上がります。
忘れてはなりません。
わたしたちは、今すでに、これほどまでに恵まれていることを。
わたしたちは、今すでに、これ以上望む必要がなく満ち足りていることに。
物質社会における不足している部分にフォーカスし、
足りないから…、と、欲望を満たすために手繰り寄せる引き寄せではなく。
平和でない…、と、故意に作り出され意図的に仕組まれた世界にフォーカスし、
すでに平穏平静な心を、自ら負の力で荒らしてしまうが故の祈りではなく。
忘れてはなりません。
いま、これほどまでに恵まれていることに。
感謝とは、不満を解消するためや不足に焦点が向いた、この世の欲望を導き寄せるための道具ではなく、心の底から溢れんばかりに、とめどなくどこまでも拡がり続け湧き上がる氣持ちであることを。
ありがとうございます。
当たり前にこそ、感謝を。
わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
脈々と流れ続ける

無理をしない。
とは、いい加減なことや怠惰な姿勢をとることではなく。
明るく楽しく、心穏やかに。
とは、嫌なことから逃げ出せということでもなく。
言葉面、上面だけを都合のいいように切り取って解釈する。
それはダメだろう。そう語られることが多かったはずです。
けれど、
それさえも、もう起きなくなっているかもしれません。
その負の力を持つ現実を自分が生み出さなければ、発生しないという仕組み。
嫌なことを導き寄せない思考ができるようになると、その現実は目の前に具現化しなくなります。
嫌なことが起きないから、「嫌なこともあるさ。乗り越えて努力してこそ人生だ。」式の思考そのものが生じなくなります。
何が良いかよくないのか。
自分自身の判断と選択。
正解も不正解もなく、それぞれの判断が生み出す目に見えない力と、その結果という循環に則った、因果応報の仕組み。
いい加減がいいんだ。と思えば、それが自分の選択。
好き嫌いで生きればいい。と考えれば、それが自分の選択。
但し、
その思考・判断・行動が生み出す「結果」まで自分自身で享受する。
因果は必ず返るもの。
時と場所と手段を変えて。あるいは世代を超えて。
極めてシンプル。
至って明快。
その仕組みは、いつまでも変わらず、永遠に続きます。
脈々と流れ続ける川のように。
わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
大空はいつでも偉大な芸術家

空を見上げると、姿勢は上向きとなり、呼吸も大きく深くなるように感じます。
わたしたちは、そんな単純なことさえも忘れていたのかもしれません。
撮って。
とメッセージを送ってきたのでしょうか。
僅か1分ほどのちには、見事に消滅してゆきました。
そのイメージを描いてみようとしても、同じものは決して再現できないでしょう。
写真なら残せるでしょうか?
確かに、見た目の形状はデータとして残せるはずです。
けれども、その瞬間に伝えてきた目に見えない力は、受け取る側が「その意図を汲み取ろう」として能動的に受け取らない限り、その力を維持できません。
そして、
そこで語られる大きな力を受け取って、それを残し・伝えようとする意図を持って記録し・伝えない限り、決して響き合うことはないでしょう。
大袈裟でなく。
18年前の創業直前。
冷たい板の上で心に誓ったこと。
「何かを使って何かを伝える役目」
「何かを残して価値を生み出す役目」
それが自分の仕事だと。
もちろん「物理次元の地球の歩き方」を外れることはできませんが、志を忘れない限り、自動操縦のごとく自動的に歩み続けられること。
わたし自身がそれを証明して見ていただくこと。
これからも、忘れずに。
大空は、いつも大きな存在。
大空は、いつでも偉大な芸術家。
その目に見えない力を受け取り、形に残し伝えます。
貴重な素晴らしい時間と、限りなく透き通った大きな波を送っていただきありがとうございます。
わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
「梅雨明け宣言」って何だろうね

-- まだ梅雨が明けないから。
-- まだ梅雨明けしていないから。
そんな枕詞、無意識に口にしていませんか?
だから、何?どうしたいの?
その宣言にどんな価値があるの?
昨日の記事で少し触れました。
こうして無意識に言葉を発する、わたしたちが生み出した「目に見えない力」が束ねられて、現実という風景が形になってゆきます。
---◇◇◇---
「めちゃめちゃ暑いね。どうなってんやろな。」
「今日も暑いね。氣をつけて。」
多くの方々が、そのように言葉を発します。
それ、挨拶だから当たり前でしょ?
それ、時候の挨拶でしょ?
確かに。
でも、そう語るからそのようになる。その仕組み。
---◇◇◇---
【もうそろそろ次のステップへ】2023/07/18(Tue) [Link]「梅雨が明けたと思われます」と、
そんな宣言は今後止めるんだ、と発表された時期があったように思われますが、結局、また復活しているのですね。
そして、
その「宣言」を待つ人々…。
どうして待つのでしょう?
待って何が変わるのでしょう?
植物も昆虫も、そんなものに一喜一憂することなどあり得ません。
激しい雨に見舞われると命に関わる、そんな生き物の代表。
この季節ならば「セミ」でしょう。
羽化のタイミングに豪雨に合うとアウト。命に関わるはずです。
だからこそ、その稀有なチャンスを本能的に察知し、蛹の中でドロドロに溶けたようなプロセスを経て体の組成を組み替え、ようやく成虫となると言われます。
しかも、羽化プロセスは十分に羽を伸ばし乾かす時間も必要なようですし。
知っているのですね。彼らは。
そうでなければ、即刻、命を落としますから。
何から何まで、この数千年間は隷属化のための策が徹底的に取られてきました。
もうこれ以上語る必要はないと思われるので、ここで止めます。
だからこそ、自分から「創る」のです。
いつまで「居心地のよい檻」の中で囚われの生き方を続けますか。
いつまで「氣がつかないフリをして」自分の直感をスポイルし続けますか。
これからも、勘をダメにする食べ物を、ずっと口にし続けますか。
これからも、勘が効かなくなる言葉を、ずっと発言し続けますか。
まだ梅雨明けしてないし…。
まだ梅雨が明けたと言われていないし…。
「梅雨明け宣言」発表されました!!と、
その言葉を聞くと、途端に「元氣が出る」のですね。
その言葉を聞くと、途端に「やる氣が出る」のですね。
ご自身がそう感じるのなら、それもヴァリューがあるのかもしれません。
自分の意志で、支配からの生き方を卒業し脱出しようとするのなら、古い教室からは、一刻も早く退出したいものです。
ただ、その仕組みの中で燻り続けるのも一つの生き方かもしれません。
それが、ご自身でカスタマイズした「今世のシナリオ」であるならば。ですが。
「梅雨明け宣言」って何でしょうね。
わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。