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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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「蝉時雨」の言葉を残したこの国の先人

アブラゼミの休息 photo 宮本章光

蝉時雨(せみしぐれ)。

わたしが陳腐な解説をする必要は皆無でしょう。

「しぐれ」という響きと。
「その五音」のリズム感と。

時雨のごとく降り注ぐその合唱と。


この国の先人が残した、偉大な遺産。
この国の言葉。

その言葉が齎す響きと心で感じる波長が響き合います。
ありがとうございます。

「ありがとう」と感謝の心を贈り届ける

各地で切り倒される樹々 photo 宮本章光

各地、本当に多くの場所で、樹木が切り倒されています。
ええ、もちろん理由はあるようです。
「周辺環境に悪影響があるから処分する」
と、お役所や公的機関の名で張り紙が掲出されていることが大半かと思われます。

それなら、その悪い影響を及ぼすとされる周辺に何があるのか?

それは、
結構な頻度で、近く(周辺)に「監視カメラ」の存在が確認できます。

もう多くを語る必要はないでしょう。
この国・この世界が向かう先は決まっています。
これ以上、この波長が持つエネルギーに触れる必要がありませんので、離れます。
旧いレイヤーには、わたし(たち)が望む近未来の姿は存在していません。


ここで「けしからん!」と叫んでも世の中は変わりません。
ここで「桜さん、辛かったろう、苦しかったろう。」と悲嘆に暮れても何ら状況が変わることはありません。

取り組むことは、ただひとつ。
「いままで毎年、素晴らしいお花を咲かせてくれてありがとう。」
「わたしの歳よりも長い期間、この地に美しい感動を披露してくれありがとう。」
「桜さん、またいつか・どこかでお会いしましょう。ありがとう。」

心から、その氣持ちを送り届ける。
心からの感謝と多くの感動をいただいた御礼の氣を贈る。

いま求められているのは、この心から送り届ける感謝のエネルギー。
わたしはそのように考えています。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

響き合う

朝顔と会話する photo 宮本章光

会話する。
それぞれ種類の異なる植物たち。

同じ波長で響き合う。
それが会話だったことを。

異なる周波数は、異なるもの、として認めればそれでいい。
思い出しています。
再会しています。
響き合います。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

昆虫の完全変態のように抜け出してみる

昆虫の完全変態のように photo 宮本章光

自分で自分を乗り越える。
そのためには、蛹から成虫への「完全変態」が必要かもしれません。

肩を張らず、必要以上の制限を設けず。
そして、そのプロセスを楽しむ感覚を忘れず。

この延長線上に、自分自身から抜け出す感触があるはずです。


抜け出す瞬間は、あっけなくやってきます。
それは「強制終了」の合図かもしれませんし、大きな転換を示唆する啓示であるかもしれません。
味わった方々には、容易に理解できるでしょう。

但し、
機会そのものがスルッとやってくる割には、スルッと成虫にはなれない。
そこには、大きな苦しみと激しい痛みが同居していることも多いはず。
しかも、それは短時間ではなく、人生の大半を捧げる必要がある長きに渡る試練かもしれません。

ここで多くを語ることは避けますが、
わたし自身13〜15歳時に、激しい家庭内の混乱・困惑の渦に翻弄されました。
連日連夜、一切の家財、食器、あらゆるものが宙を舞い、破壊と崩壊が続いたのです。併せて叫び声と悲鳴が耳をつんざき、その轟音から逃れることができなかった日々。最後は…。
その日以来、これら忌まわしい記憶を「玉手箱」と称した心の奥底の不可侵領域に、二度と解かないと誓った紐で、固く固く縛ったのでした。

そして、45年以上が経ち、氣がつけば「玉手箱」は消滅していました。
いえ、正確には「もう中身を詳細に思い出すことができない」レベルにまでエネルギー量が減少した。が正しいでしょうか。

思えばそれ以降、ずっと蛹の中でドロドロに溶けた人生を重ねていたことを。
そしていま、ようやく羽化しつつあることを感じています。
完全変態への激しく長期に及んだ道のりは「ようやく終了」へと向かっています。

紆余曲折、冷たい板の上に伏すだけではなく、あるいはこの借り物の体を失う瀬戸際まで、自分から迫って行ったことまで。
今世・今生大半に及ぶ長大な時間をかけて蛹から完全変態を実現させる。
あまりにも膨大な体験が必要であったことに驚きを隠せません。


いま、こうした蛹から成虫への大きな一歩を、多くの方々が、その兆しとして「自分の直感」へ訴える強力な力として感じているはず。

せっかく羽化しても、美しい羽は、その直後にボロボロに傷んでしまうかもしれません。
けれど、蛹の中で学んだことは、永遠に失われることがないとされます。
だからこそ、
これほど貴重な体験をさせていただけたことに感謝の氣持ちが溢れ出るのです。
感謝とは、物質次元の欲望や自我を満たすために引き寄せるツールではありません。


自分で自分を「抜け出して」みる。
取るに足りない「苦しみの勲章」を握りしめることなく。
信じること。
歩みを止めないこと。
そして、
この先に続く道を、自らの心から生み出してゆくことを忘れず。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
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