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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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落とし穴にハマってばかり

飯舘村で出会う夕暮れ photo 宮本章光

本当に落とし穴ばかりです。
そして、次々と見事にハマってしまいます。

いまを生きる。
とは、
今この瞬間だけを意識して。といわれますが、ここで大きな勘違いをします。
未来も過去もないんだ、この瞬間の氣持ちに従って自由に生きればいいんだ。と。
ええ、言葉の上では間違っていません。
ところがその結果、
計画性もなく、いまの氣分が乗らないから...と、必要なことまで怠惰に放置してしまいます。
これは違うのです。単なる「怠慢」。
やるべきことは山のように待ち構えています。それも過去に自分が作り出した「宿題」が、です。


忘れてはならないこと。
そして絶対に避けて通れないこと。
それは、
「物理次元地球の歩きかた」の大原則からは決して外れることはできず、その法則の「範囲内」でのみしか行動できないという、至極当然のことを忘れている可能性がある点です。

この地・この生では、体という衣をお借りして体験させていただくことが目的でありその学校だと伝えられています。
そしてその体験は、
---「過去に蓄積した負の因果の解消」と
---「うまくゆかない現実ゲーム」
という二つのカリキュラムに沿い、激しく負の方向に振れ偏った条件下で、それを乗り越え対極にある「感謝と希望・奉仕と慈愛の精神」を学ぶことだ、とされます。

よって、目の前には、苦しいこと・辛いことばかりが現れます。
それは自分が過去に作り出した「因」であり、それを自分が刈り取る「果」の経験をして学ぶためでしょう。
楽しいことしか出現しなければ、この地での成長が期待できないことは自明の理かと。

この重要なプロセスにフタをして「見て見ぬふり」。
楽しいコトだけを考えてわくわくしましょう。自分の現実は自分で作るんです。
と、やってしまう。
過去のマイナスポイントの利用は、この地だけの「場所限定」で、且つ「期間限定」です。
溜め込んで抱えているのは「マイナス」なのですから、ここで綺麗さっぱり解消してしまわないことには、永遠にマイナスを積み重ね続けるばかり。
一切の成長が期待できず、進歩どころか退歩し続けていることに氣がつきません。


また、
「物理次元の地球の歩きかた」という、体を使って生きる姿が必須の地なのですから、いまの氣分で、いま思っていること、いま感じていることに従えばいいんだ。
と、心の世界の真似ごとだけ一人前で、必要なこと・必要な宿題に取り組むことさえも放置していては、何も進歩・進化できないわけです。

いまを生きるとは、
いまこの瞬間に何を思い描くのか、何を意識し心に抱くのか。
それが、タイムラグを伴って現実になる仕組みですよ。だから大切にしましょう。
そして、
目の前の風景は、すべてが自分の心の中から生み出されていることを知りましょう。
うまくゆかない現実ゲームと過去因果解消という、苦しみや辛さに根ざした「教材」によって、自分の心が激しく揺さぶられる環境であっても、軸をブラさずキープする練習も兼ねているんですよ。と。

このような教えなのであって、
氣が向かないから怠惰な生きかたをせよとは決して語られていないこと。
楽しくないことだから見て見ぬふりせよ、とも教えられてはいないこと。
確かに、重力により作り出されたとする「時間」が存在するのはこの地だけと伝えられている通りかもしれません。が、その環境を逸脱して学ぶことはできないのです。
ここに大きな落とし穴があることにさえ氣がつきません。


大変難しい教材です。
ですが、仕組みそのものは至ってシンプル。語られている通りです。

シンプルに、いまここだけ・わくわく。
その教えやメソッドが、「何を伝え」「何を学ばせてくれる」のか。
しっかりとコトの本質を理解し、物理次元地球の歩きかたに沿った勉強をしたいものです。

目の前は落とし穴しかないのですから。
その環境下で勉強するこの学校へは、自ら希望してやってきているのですから。
落とし穴に落ちたら、這い上がって次のハードルを超えてゆきたいものです。
崩壊と消滅が決定している、旧いタイムライン上にあるビジネスに足元を掬われないように。


そして、
こうした教材を「学び終えた」なら、そこに至って初めて、その教科書から離れます。
次の教材を手にするために。です。
ここにきてようやく、いまを心安く生きる。いまここにある平穏と平静を享受できる。
という段階に入ってゆけるはずです。

無理にわくわくなどする必要は皆無です。
無理に感謝感謝など努力は一切要りません。
まさしく言葉通りに、
「抑えようなく湧き出す感謝」であり、
「とめどなく溢れ出る美しさと恍惚感に至る悦び」であること。
無理に・努力してやっている限り、その段階はまだ学び足りない証明でしょう。

自動的にそうなるのです。
そうなって初めて、その教材は卒業だ。と教えられているその本質を見失わないようにしたいと感じます。

飯舘村で出会う夕暮れ photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「よい子ちゃん」の世は終わったのです

秋の氣を受け取る photo 宮本章光

よい子ちゃん。
言われたことを、言われた通りに、寸分の狂いもなくトレースします。
そこに自分の意思が入る余地はありません。
人と同じことをやっていれば常に褒められ、試験はほぼ「100点満点」しか取れない。
素晴らしい。と、地元の有力者からも褒められ。すごいよ。と高く評価される。

自分自身が、地でこれをやったから言葉にできます。
大きな間違いを、人生の大失敗を。
違和感を感じながらも、その道を歩いた者だけが語れるはずです。
自分でやりもせずに言うな、と指摘されることはなくなります。

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関連投稿:
【生後21,916日めに思う】2023/05/28(Sun) [Link]
「わたしが歩いた21,916日」の大失敗と覚醒。
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これこそがこの世で最も「素晴らしいコト」だと教わり、大人になってもその道が唯一無二の生き方だと解釈し、その思考を続けます。
いまもなお、それをやっている方々。
ご自身がそれを最善の生き方と信じている限り、他人が口を挟む余地はありません。


しかし、ただ一つだけ間違いなく言えること。
この世で、体という衣をお借りして生きることができる時間・期間は有限です。すでに多くの方々が氣づきはじめたように、その期限を「終えたあと」にやってくる次のフェーズを見極めることも必要でしょう。
この地で「何を成し得た」のか。
この世で「どれだけ成長した」のか。
それは、
貨幣資産をどれだけ多く築いたか。ではありませんし、どれだけ大きなステイタスを誇ったか、でもありません。
それなのに、もっと豊かになるためのお金を...と、引き寄せという罠から抜け出せず、すべてに感謝すれば幸せに...だとか、お金という隷属化の道具を崇める。
恥ずかしさのあまり直視できません。
はだかの王様をやっていた自分の姿に氣がついた人から、すみやかに卒業してゆきます。

こうして、
この地・今生の成果・成績によって、必ず、そして絶対に、客観評価・客観事象として「分相応」の階層に振り分けられるということ。

それが宇宙の仕組み。
それが神の仕組み。
以前にも何度も触れてきましたように、神とは白髪の仙人のような姿をした老人などではなく、この地あの世・大宇宙の「仕組み」であり「法則」そのものであること。

仕組みは、
常に「絶対」であり、
必ず「公平」であり、
間違いなく「正確」であるということ。
それが法則だから。

そして、よい子ちゃんをやっている限り、この地での学びと成長の機会を「自分から拒否」して生きたという実績だけが残り続けます。
次の段階へ進むことは叶わず、再度のやり直し。ということがもう目に見えるレベルで明らかになりつつあるのです。

それが自分の「意思表示」であり「選択」であり、結果としてこの次の世で「再教育」が必要となること。
この教育課程は、
苦しみと負のエネルギーによって、その対極にある美しさ・慈愛と奉仕の精神を養い、魂の成長を体現することを目的にしているとされています。
これを拒否し続けている以上、再び「苦しみ・怒り・痛み」恐ろしくハードな道を、再度、いえ、再度どころか「氣がつかない限り永遠に」繰り返します。
それが自分の選択だから。
因果律。因果応報。
その結果は、自分が原因を生み出したから受け取る必要があると語られている通りです。

少なくとも、
この体という衣を「お返し」するまでに体験・体現しておくことを知り、残りの生き方を再度見つめ直す意識を持ってもよいのではないかと感じます。
すでに、よい子ちゃんという生き方が「過去のもの」となっている以上は。

いつまで旧いレイヤーのエネルギーを握りしめたまま生きますか。
いつまで消滅・崩壊することが決定しているタイムラインで生き、負の因果をさらに盛大に積み重ねますか。

秋の氣を受け取る photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

S/N比という言葉が示す成長の道筋

森で出会う光と影 photo 宮本章光

うまくゆかない現実ゲーム。
なかなか楽しいだろうと感じたのでしょう。憧れたのかもしれません。ここに来る前には。

誰でもやって来れるものではなく、「100万人に一人」という狭き門に合格した者だけが許されるレベルだという地球学校入学。
しかしながら、
支配者の洗脳構図に嵌められ、永遠の輪廻に組み込まれ、その状態から「脱出する:九死に一生」ゲーム。
実地に体験するのは、もういい。沢山だ。という感覚でしょう。

ところが、
その環境だからこそ、苦しみ・痛みと激しい負の感情の中から因果応報の仕組みを知ることが可能になります。
その過酷さが体験できるからこそ、悦びと感謝の波を味わうことができる、と知ります。

この地点に到達して初めて、
成長とは何か。生きる目的はどこにあるのか。宇宙の標準仕様が何であったのか。
ここに意識が及びます。

そして、
「聞く耳を持たなかった」のは自分自身であり、数限りなく満ち足りていること。
引き寄せなどという、古い意識状態を突いたビジネスに絡め取られることなく、自分の意思によって道を創り出すこと。
これらを実践してゆくことで、さらなる高みを目指すことが可能になると知ります。

ようやくここまで達しておきながら、
いまだに「苦しまなければならない」を続けようとするのは恥ずかしいとさえ感じるようになりました。
それは、これまでに学んでおくべき教科書。もう要りません。
まさに、数学の因数分解が理解できる段階に成長しておきながら、掛け算の九九を上から説法してマウントを取っているのと同じ。
ただの自己顕示欲の塊。あるいは苦しみや病の経歴という勲章自慢に過ぎないと。

もちろん、謙虚に学び続ける姿勢が大切なことに違いはありません。
そして、対比(対極にある体験)があるからこそ成長が期待できることも。
が、「九九」をいつまでも説教していても進歩がまったくありません。
次のクラスは、
望ましい絵は、望ましい心から描き出すことに集中するコースだとされているのですから、その教育指針に沿った教科書を入手したいものです。

他方、
まだそれらを「学び終えていない」にもかかわらず、「楽しいことだけ考えて!」と、負の力に対し「見て見ぬふりしてフタをする」愚を重ねるのも恥ずかしい。
浄化が済んでいないのですから、図星だと指摘された瞬間に一氣に負の感情が噴き出します。
教育課程として必要な「苦しみや負の感情」が必然として具現化しているにもかかわらず、それに「フタして」無いものにしている限り、自ら成長機会を拒否していることに氣がつきません。
直視できない激しい恥ずかしさに至ります。(過去自戒を込め)


ここでひとつのワードが浮かびます。
「S/N比」。
信号雑音比 (signal-noise ratio) あるいは信号対雑音比 (signal-to-noise ratio) でしょうか。
技術用語が、精神部分の語りとどこに接点があるのか?不思議な感覚ではありますが。

学びとは、
学ぶべき信号(Signal)と、それを邪魔しようとするこの地の悪役だとか負の感情(Noise)といった、対極にあるエネルギー。
この比率=S/N比を限りなく大きく取ることで、より純粋なSignalを増幅してゆくことではなかったでしょうか。
より大きくより純度を高めて。

技術革新が、S/N比を高め信号の純度を上げてゆくことだったように、
学びという成長のプロセスも、負のエネルギーを「認め尊重しながらも」その対極にあるプラスの力を「磨き上げてゆくこと」だったと。


なるほど。
ノイズがあるから信号の存在が測定できる。
なるほど。
負の力があるから、望ましい行き先が提示されるのだと。

永遠に繰り返すのは、苦しみ続ける「支配者によって仕組まれた輪廻」ではなく、こうして学び続ける姿勢と、S/N比をより高め永遠に磨き上げてゆく努力であることに理解が拡大してゆきます。
ありがとうございます。

森で出会う光と影 photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

いつまで「引き寄せ」で踊りますか

川床のアートに触れる photo 宮本章光

初めに誤解のないよう記します。
「引き寄せ」とは、ひとつの物理法則であり、同じ周波数・波長は響き合う「その客観事象」を語っている点で、至極当然のことであり何ら否定的要素はありません。
後ろに「法則」という接尾語をくっつけていることでもよくわかります。
ところが、
これを「欲を満たす」目的で使おうとするビジネスがある時点で、そこにはきっちりと分別が求められるように感じます。
要は、何もかもごっちゃ混ぜにして語るところに大きな違和感が生じているように見えます。


この地は、盛大に溜め込んだ「マイナスポイント=負の因果」を解消するために、数々の学びを重ね体験を積むところだと語られています。
また、
正負を問わず「業(ごう)」の作用・反作用を身をもって体験し、因果応報の仕組みを理解するところだとも。

それは今生以前の遠く古い世代の因果かもしれませんし、この生での過去に生み出したものかもしれません。
多かれ少なかれ、わたしたちは、そうした負の因果を解消すべき責を負っているとされます。
以前にも触れましたが、
そもそも「マイナスポイント」を溜め込んでいなければ、この地で生を受けていないはずです。
解消すべき課題を持ち合わせていなければ、この地で学びを重ねる必要がない、ということでもあります。

よって、日々、体という衣をお借りして勉強させていただけることに感謝こそすれ、欲望を満たそうとする下心に根ざした引き寄せは、負の業の解消どことが、さらに積み重ねるばかり。
そして、あろうことか、
引き寄せは「なかなか実現しない」と言い続けるのです。
その理由は「願う力が弱いから」だと。
その理由は「波長が合っていないから」だと。

しかし、
いま、何を願う必要がありますか。
いま、何を引き寄せる必要がありましょうか。
ここに、立派な体を使わせていただき、過去の負の業を解消する学びを体験させていただきながら、満ち足りたこの地の生には感謝しかあり得ないはずなのです。
それを、
幸せになるために、だとか、もっと豊かになるために...。
と、やってしまうのはなぜでしょうか。


ここで原点に立ち返ってみます。
コトの本質は「同じ波長のエネルギーがシンクロする」といった物理法則なのですから、
もっと幸せに...。と祈っている時点で「現在は幸せではない」波長を抱き、その現実を永遠に創造し続けます。
もっと豊かに...。と願っている時点で「いまは全然豊かではない」という波動を生み出し、その現実を創り続けます。
肯定的要素としての感謝の心がそこに含まれていない、あるいは、ほぼ存在していない時点で、推して知るべしです。

過去因果、負の業を解消するために、この地で生かせていただいているのもかかわらず、
幸せではない...。豊かではない...。を、四六時中、生み出し続けるのですから、溢れんばかりに溜め込んだネガなポイントを、さらにさらに積み重ねるばかりです。
もはや取り返しのつかない愚を重ねていること。
氣づかぬは本人ばかりなり。ということかもしれないと。この部分にこそ目を覚ます必要があるはずなのです。


心に描くものが、目に見えない世界に共振・共鳴し、それが時間差をもって具現化してゆきます。
心に抱くものが、目に見えない世界に響き渡り、目の前に結晶化・物質化してゆきます。

この重要なポイントに氣がついた人たちから、より望ましい近未来を創るべく、心の「つかいこなし」を会得し始めています。
そして、
その「心の手綱(たずな)」をある程度扱えるようになれば、心地よさという観点において望む未来を現実化しつつあります。
ここに至って、
さらにその事実に対する感謝が溢れ出してきます。

これほどまでに素晴らしい仕組みに。
これほどまでに素晴らしい仲間と存在に。


いつまで踊り続けますか。
望ましい風景を作る方法は、引き寄せという名の一つのビジネスに過ぎなかった、その道ではないかもしれません。

川床のアートに触れる photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
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