アンド・エム宮本陽/宮本章光ブログヘッダーイメージ

宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

Archives [All Entries:2875]

「氣をつけて」と言うから危険が生み出される

飯舘で出会う山の清流 photo 宮本章光

余計なものを生み出さない。
負のエネルギーを作り出さない。

嗚呼、この生では学ぶことが叶わなかったんだねぇ。
ああ、この地では成長できなかったんだねぇ。


--- 氣をつけて。
--- 氣をつけなさい。
そう発言するのは当たり前だと思っていますでしょう?
特に、親子や家族関係なら尚更かもしれません。

--- 道中、氣をつけて歩くのは当然だ。夜は暗いんだから。
--- 遠距離を移動するのだから、氣をつけて旅行に臨むのは常識だ。何が起きるか分からないんだから。


果たしてそうでしょうか。
そのように思うから、そのような現実が作り出されるというこの地の真実。
目隠しされ洗脳され、すべてを嘘で固めた世界に「慣れさせ」「麻痺させられ」てきたことに理解が及んでいますか?

氣をつけなければリスクが高い。
氣をつけなければ危険な目に遭う。
そう考えるから、それを作ってしまっているのではありませんか?
故意にそのようなエネルギーを生み出すように産み出すように仕向けられてきたのです。

すべて自分が創り上げているのですから、その根源を「産まなければ良い」という極めて単純な仕組み。
心して今生の残りを過ごしたいものです。


[Link]【もうそろそろ次のステップへ】2023/07/18
---◇◇---
「めちゃめちゃ暑いね。どうなってんやろな。」
「今日も暑いね。氣をつけて。」
多くの方々が、そのように言葉を発します。

それ、挨拶だから当たり前でしょ?
それ、時候の挨拶でしょ?

確かに。
でも、そう語るからそのようになる。その仕組み。
---◇◇---


[Link]【暑いね〜と言うから熱くなる】2022/07/03
---◇◇---
暑いね〜、熱いね〜。
その言葉が、言霊が、意識が、その状況を現実として具現化してゆきます。

地球地軸の傾きが大きく変化しただけにとどまらず、わたしたちの集合意識が「さらに暑くしている」ことを知りましょう。

台風しかり。
もう上陸して甚大な被害を及ぼす台風。この2年間では記憶にないはずです。
そう、こうして「意識」が現実を創り出します。
---◇◇---


但し、
気をつけなくても、絶対に安全が保障されるという世の中ではありません。
この観点では「物理次元地球の歩きかた」の基本事項に従わざるを得ません。ここは勘違いのありませんように。

要は、必要以上に「不要な力」を生み出さないで。ということなのです。
生み出しているのは、あなた。
何もない空間に、目に見えない空間に、無から有を産み出したのは、あなた自身。


「氣をつけて」と言うから危険が生み出される。
その仕組みを学習したのなら、それを活かして次の世を創り上げてゆきたいものです。
残念ながら学び足りない、あるいは学ぶことを選択しなかった方は、今世で永遠のお別れ。
他の地で、再度しっかりと学んでください。さようなら。

これからは、同じ波長と同じベクトルのエネルギーをともに束ね、新しい世を創り出す時代が幕を開けたのですから。

飯舘で出会う山の清流 photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

愛だ!光だ!と叫んだ行く末

Head_Iitate2019_img_0108P.webp

この地では、物ごとは「両方・両極ともに」存在していること。
片方だけに偏っていては成立しない場所であること。もう十分理解して満腹であったはずなのですが。

その、何と言いましょうか。
片方だけにフォーカスするのは、「何もかも全部学び終え過去に溜め込んだマイナスポイントも全部浄化したあと」に、自分がこの先に「望むものに集中してゆく」という、その選択の方法とそれまでのプロセスについて語られています。


膨大なマイナスポイントが解消しない限りは、「引き寄せ」は叶わず・実現せず。いつまでも苦しみ・痛み続ける。
という因果の大原則・法則に理解が届いていない。
物理次元地球の歩きかたの大原則を無視して、心の世界の真似ごとに躍起になっても、何も変化せず。
という肝心要の部分が抜け落ちている。

本当によく見えるようになってきました。
いえ、自分も僅か3,4年ほど前まで同じことをやっていたので、恥ずかしさは半端なく隠れ場所を掘りたいところではあります。


すべては愛!すべては光!
と叫び続けているのも、肩幅がまったく合わない上着を着用しているかのごとく激しい違和感を感じます。

愛には「プラスもマイナスも」存在しているはずでしょう。
光にも「正方向へも負の方向へも」波動があるはずなのです。
よく言われる言葉。
「善の善・善の悪」
「悪の善・悪の悪」
これらはすべてセットであることを、本心から理解し体得したいのです。


美しいことや綺麗なことだけに意識を合わせるのは誤りではないはずです。
しかし、
では、例えば平和を祈る、というその意識の「対象となる裏側」には「争いと奪い合い・戦争」という貨幣経済と欲望の行き着く先のエネルギーがあることまで意識が及んでいるでしょうか。
これらはともにバランスしなければ存在し得ない。
平和を・平和を!
と、やればやるほど「その対極にある負の波動を生み出してしまう」ことに氣がついていないようにも見えます。
意識するもの。そしてそれとペアであるものが生み出される、その仕組みに。

美しいものを美しいと語る。
これもまったく間違いではなく誤りでもありません。
しかし、
では、愛は美しい!だから美しいものだけを!とやってしまいますと「負の愛」があることが抜け落ちてしまいます。

学びのためには、あえて「可愛い子には旅をさせる」ではありませんが、苦労する姿を「見守る」ことこそが、愛の姿でもあるはず。
苦しい体験をすることでしか理解し得ない。それを体験するために生きている。
これを、楽しいことしか存在しませんよ。美しいことだけを考えて生み出しましょう。
とやっていると、ここには一切の成長が期待できないことに理解が及んでいるでしょうか。
意識するもの。そしてそれとセットであるものが生み出される、その仕組みを。


両方をともに等しく大切にする。尊重する。
だから、片方だけにフォーカスして叫ぶのではなく、すべてを体験し尽くして苦しんだからこそ知ることができた、幸せのステージにまで登りきってから。
あるいは、すべての負の因果を綺麗さっぱりと解消してから、やっと、そのあとに望むエネルギーに合わせてゆきたたいものです。
そのように感じる日々です。

このような意識を文字に落とし込むのも、霊的な世界からの「導き」があるからこそだと感じています。
ここに、再度の感謝が溢れ出すのです。

Iitate2019_img_0108P.webp

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

もっともっと自然と会話する

もっと自然と会話する photo 宮本章光

もう但し書きは不要でしょう。
自然と会話する。その意味について。

実際に自然と会話ができる方々が、さらに増えているはずです。
そこに存在する生命としての「目に見えない力」を感じることができる人たちが。

言葉ではなく。
明確な単語が語られるわけでもなく。
しかし、
そこに存在する「何らかの力」そのものを、極めてシンプルに受け取ることができるようになっています。


嘗ては、それを「氣のせいだ」というワードに包んで「思い過ごし」であると教育され洗脳されてきました。
ところが、この国の言葉には言霊が宿ります。
「氣のせい」の「氣」とは、その対象の「氣というエネルギー」だったことを、その言葉自体で伝えてくれていたのです。

思い過ごしである、と「目に見えない力」を否定し続けてきた長い盲目の時代。
目に見える物質次元だけを信じるように仕向けられてきた過去。
そんな牢屋・檻から脱出します。
それは自分の意思と選択によって。

出る出る詐欺、来る来る詐欺はもう沢山でしょう。
自分の道は自分で創り出す。耳タコだと拒否すれば、その時点で「創造」は止まります。
創り続けます。
目の前に具現化するまで永遠に。
その仲間としての大自然の生き物たちとともに。

もっと自然と会話する photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「いまを生きる」そのもう一つの視点

Head_IMG_8197_2023.webp

前記事
【落とし穴にハマってばかり】2023/09/27 [Link]
にて、少々煩い語りになってしまったため、今日は軽めに流します。

いまを生きる。
とは、
この瞬間を精一杯生きれば「悔いがない」という、旧来の思想や意識の延長線上にある考え方も、変わらず価値と存在感を放ち続けていることに触れる必要があるでしょう。


ある程度の世代となった年配者を見て感じること。
それは、
「残り少ないから精一杯生きよう」という人と、
「残り少ないからもうどうでもいいや」といった印象の人と。

後者は、いまだに終日テレビの電源を入れたまま流しっぱなし。昼も夜もそして深夜までも。
スマホ3台持ちで歩きスマホ終日ゲーム三昧...。
いえ、それも個々人の自由なので他人が口を挟むことはできません。
しかし、
では「この生を終えたあとはどうなさるのですか?」という部分が、すっかり抜け落ちていると思われること。
同じく「何のためにこの生を過ごしてきたのですか?」という大切な部分も、完全に消え去っているように見えること。

こうした方々は、往々にしてこのように口になさるのではないでしょうか。
「死んだら終わりや」
「もうあとは無いからどでもええんや」と。

果たしてそうでしょうか。
地球、ひいてはこの宇宙規模での大転換機を過ごしている現在、すでに多くの人たちが目を覚まし「人生の目的は何なのか」に氣がついています。
また同時に、
それは、「永遠に続く魂の成長のための学び」だということも。

今世・今生は「体という衣をお借り(人間)して」学ぶ学校における「学年・学期」でした。
では、過去や未来は、というと、
「体という衣はなくエネルギー体・意識体(霊)として」常に成長を目指す「年度」であると。

結局は、
「学び続ける」ことにより、どこまでも意識を拡大し階段を登り続ける。それが魂としての成長であり進化であるという考え方が、すでに一般化していることが判ります。
それが宇宙の法則であり、仕組みであり、その仕組みこそが神という存在そのものであると。
だからこそ、八百万の神(やおよろずのかみ)・森羅万象に宿る命に意識を馳せる、感謝する。
これが日本古来の意識の根源だったはずです。

今世、極めて狭き門をくぐり合格するという、日本人としての生を受けながら、その人生をどのように生きてきたでしょう?
そして、それを最後まで全うせずして、どうして来世が充実した展開になりましょうか?

「いまを生きる」
とは、別にスピ界ビジネスのワードでも何でもなく、この瞬間を悔いなく精一杯生きる。それこそが与えられた役目である。
としっかり理解することでもあるはずです。
この稀有な瞬間瞬間を、何の不自由もなく生かしていただけること。ここにこそ感謝が溢れ出します。
自動的に流れ込んでくる、とはこういうことだと激しく頷きます。

無理やりにわくわくなどとポジティブごっこ遊びをやっていますと、大変恥ずかしいでしょう。
そして、
期限つきの今世の残り時間を無駄に過ごす。こちらも、負けず劣らず恥ずかしいと感じます。

IMG_8197_2023.webp

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
105795938
rss_logo

New Entries

Archives / Serch

Categories