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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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いずれ訪れる賞味期限まで

夜の帷が降りる photo 宮本章光

この地・この世での体験・勉強は「賞味期限・有効期限」が設けられています。
ここに異論を申し立てる人は皆無かと思われます。


以前にも少し触れていましたように、
「死んだら終わりや」
「もうあとは無いからどでもええんや」

【「いまを生きる」そのもう一つの視点】2023/09/28[ Link ]

などと、現生を無駄に過ごすと、いずれその姿勢・態度を後悔する日が必ずやってくるでしょう。
仮に、来世は存在せず死後の霊界もあり得ない。と否定したとしても、いまこの瞬間を「無駄に流し」「怠惰に過ごし」「成長の機会を放棄」している限り、その姿勢に対して「バチが当たる」のではないかなと。

いえ、これは例えなので、バチは当たらないですし、誰一人として、神とてそんなものは返してくることはありません。
これは真摯に過ごすことを教える例えだったわけで。
ところが、
「自分自身で無駄に過ごし」「自分自身がいい加減な態度」で生きている時点で、その因果をこれまた激しく積み上げてしまうのは間違いないでしょう。
そして、
そのことにさえ氣がつかず、賞味期限切れの瞬間を迎えます。

よく言われますでしょう。
臨終の期に及んで、もっと色々なことに取り組めばよかった。だとか、もっとやりたいことをやればよかった。と後悔する人が極めて多いのだとか。
死後は存在しない、だとか、霊界など無いだとか。死んだら終わりや。などなど、それ自体が洗脳であり支配者が隷属化するための刷り込みだったことを、あらためて思い知るのです。


いずれやってくる、お借りした貴重な体という衣の賞味期限を迎えた時に、後悔をせぬよういまを生きてゆきたいと思うのです。
結局は、
自分が遭遇する結果は、自分が元を作っていた。というその仕組み。
こういった事項においても、すでに全てが証明されているとわかります。
あるいは、
バチが当たる、というその「バチ」は、神が返してくるのではなく「原因を生み出した自分自身」が「自分自身に対して」矢を放っていることさえも...。

いずれ訪れる賞味期限まで。
悔いのない生き方をしてゆきたいと。

夜の帷が降りる photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

自ら崩れてゆく道・切り拓く道

飯舘村で出会う日本の原風景 photo 宮本章光

いよいよその期を迎えたようです。

自ら崩壊へと向かう人。
自ら道を切り拓く人。

この4年間で、真っ先に覚醒を果たしていたかのごとく発言していた方々が、もう我慢の限界...と、自ら宣言し崩壊してゆく様を、数多く目にしています。
あるいは、キラキラと美しい言葉で着飾って、この先には桃源郷しか存在しない...式の世界に住んでいた方々も、白旗上げてピリオドを打っている姿が痛々しく。


ええ、自分の道は自分の心から創り上げます。
創り上げる。とは、
真っ白な何も描かれていないキャンバスに、自分で絵の具と絵筆を使って描いてゆくこと。

自ら限界宣言・崩壊宣言をしてしまった時点で終了です。
ゲーム終了です。

サグラダファミリアよろしく、永遠に完成しない絵を描き続けるのです。
それが、わたしたちの運命。
それが、高次存在の「いたずら」であったとしても。
わたしたちは、生きものをモノとして扱い観察日記をつけたでしょう。
わたしたちは、四つ足の仲間を食べ物として口にし、限りなくこの世に負荷をかけ、業を積み重ねてきたでしょう。

この地で積み重ねたものは「今世・今生」だけではないことを、しっかりと理解する必要があります。
数千回とも語られる転生において、激しく負のポイントを重ねた悪行、悪事を体験していた転生時代もあったでしょう。
それだけ、負の因果を盛大に積み重ねてしまったのです。
とてつもなく、そして限りなく大きな、負の因果を背負っていることに理解が及んでいるでしょうか。
だからこそ、その積み立ててしまった激しく大きな「借金=負の因果」を返済しなくてはならないはずです。


他方、心から望む風景を描き上げ、道を創り上げるスキルとともに、心の手綱(たずな)を自在に操ることができつつある方々。
何があっても動じず、腹を据えて道を切り拓く人たち。

敵前逃亡は決していたしません。
激しく蓄積した「業」(負の因果)を解消するには、今生だけでできっこないレベルであることが理解できているのなら、何があろうとも、真正面から向き合って取り組むのです。

---もうこんな地球はたくさんだ。
---もう苦しめられるのはこりごりだ。
ええ、ですが、
それだけのものを、過去世・前世で「自分が」盛大に蓄積してきたのですから、返ってきたブーメランをしかと受け止めることです。
今生だけで解消できないなら、できるまで頭を下げ続ける覚悟があるのか。です。
そして、
それを受け入れながら、なお且つ、望ましく明るい近未来の青写真を描いてゆくのです。
そこまでの覚悟のある者が、世話になった(あるいは限りなく迷惑をかけた)この地で、これからも新たな創造者として歩いてゆけるものと確信しています。


いよいよその期を迎えたようです。

自ら崩壊へ向かう人。
自ら道を切り拓く人。

どちらを望みますか。
永遠に選択の連続だと。それがわたしたちの運命ですから。

飯舘村で出会う日本の原風景 photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

伝えればこそ応えてくれる

生命がみなぎる泉 photo 宮本章光

作用と反作用。
原因と結果・因果。

美しいものを美しいと感じ、
そこに美しいと伝える。

そんな当たり前の世の中を創り上げてゆきます。
そんな当たり前が、当たり前でなかった支配と隷属化の歴史。
もう終止符が打たれているにもかかわらず、そのレイヤーに止まり続けるのは終わりにしたいものです。


素晴らしいものを素晴らしいと感じ、
そこへ素晴らしいと心から伝える。

負のエネルギーは、感じてはならないものではなく「抱いてもよい」のです。その体験をするための地ですから。
しかし、
その力が「無から生み出され具現化してしまう」責任は、自分自身で後始末をする必要があると。
この部分さえ見誤らなければ、望ましい風景を描き出すことが可能になるはずです。

伝えればこそ応えてくれる。
多くの生命とその存在に。
ありがとうございます。

生命がみなぎる泉 photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

残酷なように見えるがそれが王道

樹々と澄み渡る空のコラボ photo 宮本章光

苦しい思いをする。
辛い目にあう。
痛い経験をする。

それは、その体験が必要だから自分に返ってきたもの。
その事象が起きる原因は、自らが作ったもの。因果応報。

もう語り尽くされてきたはずです。
もう十分です。

けれども、
いまも今とて、どうして?なぜ?忙しすぎる。辛すぎる。痛すぎる。
と語り続ける。走りまわる。数を増大させることが成功の証だとしがみつく。
幸せを掴む...と言いながら、貨幣資産を手に入れることに躍起になる。

そして、その現実を自分で作っていることに氣づけない。


残酷なように聞こえるかもしれません。
それらは、わたし(たち)とは、エネルギー的に違いすぎるように感じます。
もう、とうの昔に「分岐したもう一つの道を選択する機会」があったにもかかわらず。

残酷なように見えるかもしれません。
もう、何もかも「ごちゃ混ぜ」にして、どのように学びどのように進化できるかという実験は、すでに終わったと伝えられているのです。
実験結果は、「失敗だった」と。

よって、この先は、
同じ波長で響き合えるものだけが、同じ周波数でシンクロする世界に作り変えてゆくのだと。
よって、これから先は、
異なる波長は、ともに存在できないことが決定しているとされます。
すでにこの物理次元でさえ、異なる周波数は同期しない=スマホが通信できないのと同じでしょう。
だから、差異が大きすぎる存在同士(魂レベルと語られます)は、同時に生きることはないと。

もちろん、
多様性が進化の秘訣でもあるわけですから、異なるものを認め・尊重します。異なるものを受け入れます。
けれど、
「無理をして」合わせてゆく。
「自分を殺して」心や意識を人に合わせる。

そんな生活は終わったのです。
それを美徳と語るなら、この地での生存に「お呼びでない」と理解することが必要でしょう。


「お手て繋いでみんなで一等賞!」的な、古い思想から離れます。
そして、
心を晴れやかに、穏やかに、静かに維持することで具現化する、この先の風景を楽しんでゆきます。
但し、「物理次元地球の歩き方」の大原則を外れることなく。

樹々と澄み渡る空のコラボ photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
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