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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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あとから臍(ほぞ)を噛む

ひっそりとでもしっかりと photo 宮本章光

人は、自分で「痛い目にあわなければ」学べないものだ。と言われます。
ただ、よく考える必要があったのは、
「痛い目にあう=借り物の体を痛めつけた後」は、もうその体を使わせていただくことは叶わないということ。
加えて、その「業」は因果として、必ず自分で償う必要があること。
しかし、このたびの大転換期においては、引き続きこの地で学びを重ね、且つ因果を解消することはできないタイミングですよ、と伝えられて久しい状況であることです。


「痛い目に遭うのは自分がその原因を作り出している」といった、因果の大原則に理解が及ばない人たちが圧倒的に多い事実です。
メディアが言うから...。
偉い人が語るから...。
信頼できる医者の言葉だから...。

はい、大いに結構です。
何を信用しようと、しよまいと、自由です。
再び、石ころ(岩石の存在)まで遥か彼方へ逆戻り転生し、50億年コースで学び直しなさるのさえ自由です。


この国には、「臍(ほぞ)を噛む」という名言があります。
後になって、激しく後悔してもあとの祭り。後悔先立たず。です。
せっかく人間として今世・今生を生かせていただいいているのに。です。
それを、まるまる棒に振って、遠大なやり直し転生を選択するのは、想像を絶する強靭な精神をお持ちのチャレンジャーだと感じます。


すでに時遅く、もはや新たな世界に進むことができる分岐の時間は終了したとされます。
もう締め切り時間を超えてしまっているのだと。
ただし、ここで道を選び直せば、最低限「火を発見するあたりの時代に生きる人としての転生」からのやり直しを認められる可能性もあるとも。
これも、すでに十分に語られ久しい状況です。


臍を噛む。
へそを噛むことなどできないにもかかわらず、それほどまでに激しく後悔する、という例えを用いた貴重な教えです。

わたし自身も、「後悔」「臍を噛む」経験は数限りなく。
十分に学ばせていただけたことに感謝しかありません。
強靭な精神をもったチャレンジャー諸氏・諸兄に、この地でのご縁をいただけたことに、併せて感謝の意を伝えます。

わたしは、もう臍を噛むような道を選びません。
学んだことを活かす、とは、新たな望ましい世界・風景を、心から創造し続けることだと思っています。

ひっそりとでもしっかりと photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

先に上がった人は多くを語らず

越智で巡り会うコスモス photo 宮本章光

喧しい・煩い、そんな自己顕示欲の塊と化した「言葉」はノイズにしかならず。
こうした世界が実現しつつあるように感じます。


階段は、自分自身が上へと登ってから初めて「下が見える」という事実。
上がる前には、その先:上は、決して見えることがないという仕組み。
だからこそ、
「それ以前の自分が歩んできた道・階段」を眺めたならば、その段階の学びの道を歩む人たちへ暖かい波動を送り続けます。
まして「自分はこんなに上に上がっているんだぞ」的なアピールや、「ほら私の言う通りでしょ。ずっと前から言ってんだから。」的な発言は、恥ずかしさ以外の何ものでもないでしょう。


わたしは、社会人となった時点で、最初に感じた大きな違和感がここにありました。
「アピールすることこそ実力である」
「声を大にして語るのはひとつのスキル」
そして、
「経験・勘・度胸」が社会人として一人前になるための資質だと叩き込まれたのでした。

今にして思えば恥ずかしさの極みです。
馬鹿馬鹿しい。
いえ、
これまでの社会では「そうだった」のですから、あながち間違いではなかったのでしょう。
それに「勘」をその中に含めていたのは、ある意味では先見の明があったとも捉えられます。


でも、それはもう昔の話。
これからの世では、そんなチープなアピールなど必要ではないはずです。
同じ波長・同じ周波数は見事に合致し響き合います。
やかましい、自己顕示欲まる出しのデカイ声など、自身が陳腐なレベルだとさらけ出しているようなもの。


静かに「響き合う感覚」。
その感覚こそが、これから必要とされているもの。
その感覚こそが、心の中で「次の世を創造する」ための根源になる力であること。

先に上がったからこそ、上がった人は多くを語る必要がありません。
先に上がったからこそ、さらに・もっともっと上の存在に意識が及びます。
俺が俺が!...な、発言は不要であるとともに、ノイズにしかならない時代を迎えました。


「おとな」は、黙って「こども」を見守ります。
但し、物理次元地球の歩き方を逸脱することはできませんが。

越智で巡り会うコスモス photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

凛として生きてゆく

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どんどん人が消えてゆきます。
実際に消滅している訳ではないと思いますが。

波長が異なるエネルギーはシンクロしない。
その法則の通りに、合わない波長同志は、その存在さえも意識の外へ除かれてしまう。という状況なのだと判ります。
意識から外れると、そう間なしに記憶からも消滅してゆきます。
氏名も記憶から外れます。
接点があった時期の出来事さえも記憶から消滅してゆきます。
これが、合わない波長の人が消滅する現象かと。


卒業試験は「極めて難しく、いつまで経っても合格通知が届きません。」
待つ。
ひたすら待つ。
それも試験のひとつのプロセスに違いありません。

それは「何もしない」ということではなく。
いま、目の前にあることを、しっかりこなしてゆく。物理次元地球の歩き方を逸脱することなく。

この地・物質社会で生きるという取り組みを土台に維持したまま、心の世界を拡大する。
この世での体という衣をお借りし、この世における仕事を行いつつ、望ましい次の世界を心の中から生み出し拡大する。

それはそれは難しいに違いありません。
けれども、原理原則は至ってシンプル。


凛として、ひたすら「いまを生きる」仲間たち。
彼らの、その美しく、そしてあらゆる困難に怯むことなく、凛々しく生存し成長し続ける姿を見習って。

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わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

静かに対話する

光と影と海と山 photo 宮本章光

とにかく煩い。
喧しい。
やかましすぎる。
この国は。この国の人は。

はい、自分もここに生まれ十干十二支ひとめぐりするだけの時間を過ごしてきました。
ええ、自分も以前には、やかましいうちの一人でした。

けれど、シチュエーションも環境も自らの意識も、どんどん変化します。どんどん進化させようとします。
ノイズの中に埋もれさせるようにしているのは、勘や直感にダイレクトに結びついたセンサーを麻痺させる支配者層の目論見があったから。
喧しいのは、そのための策略だったから。

でも、もう要らないのです。
いつまでもそのノイズの中で踊りたい人は踊り続ければいい。
しかし、
それを周囲へ拡散し続けるのは迷惑行為。

いえ、それが「見える」のは、自分がその波長に同期してしまっているから。
理解しています。
まだ見えますし、まだシンクロしてしまいます。
無理に「臭いものにフタをして見て見ぬふり」をするよりは、「ああ、いま自分はその周波数に落ちているな。」と氣がつくほうがよほどましだと。


離れます。
大きな自然と、静かな環境に身を置きます。
そこには、自然だけではなく人工的な構築物も公害の元凶も存在しています。
ですが、
合致しない周波数に心の中で移動することで、時間をかけながらも離れてゆくことができます。


静かに、穏やかに。
静寂の中に、無限に拡大する好ましい波長を見つけ出し、そこに合わせてゆきます。
片側に振った振り子が、反対側へと揺り戻してゆくさまを感じながら、その経過を楽しみます。

喧しい人に埋もれることなく。
静かに、大きな自然と対話してゆきます。

光と影と海と山 photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
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