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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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流れの中にある力を受け取る

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目に見えなくとも、そこにある何か。
何か、感じるものがあれば、そこにエネルギーが流れていること。

額(ひたい)で受け取ります。
頭頂は、受け取りではなく「放出」の場所のように感じます。
(個人的感覚:現時点のわたしの場合は)

見上げると、額と空とが面的に平行になることで、受け取りやすくなるように感じます。
メガネの鼻かけ部分から、額を縦断して頭頂までの線を意識すると、そこに共鳴するように思われます。
だから清潔に保つ必要があるのでしょう。
だから丁寧に顔を洗わねば、共鳴しないのでしょう。


何かしら、そこにあるものを。
何となく、そこから受けるものを。

これこそが、まさに「氣のせい」であり、そこにある「氣と言う名のエネルギー」を、何となく感じている。
という状態を示していること。
氣のせい=思い過ごし。と、教育洗脳により物質至上・唯物主義に刷り込んだ悪しき歴史を覆すには、自分からアクションを起こし、自ら選択する必要があるはずです。

流れの中にある目に見えない力を受け取り、そこに響き合います。
共鳴体験こそが、力を受け・放つプロセスであることに理解が及びます。

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わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。

五感以外のセンサーを磨く

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--神々しい!
--龍神さまが現れた!
こういった写真が撮れると、騒ぎ・踊る事例。極端に増えてきました。


一応、写真や映像を業務として扱う立場から、初めに但し書きを並べます。

・太陽の位置を考えて撮れば、ほぼ100パーセントに近い確率で撮れます。
・太陽の向きと構図次第では、ほぼ100パーセントに近い確率で現れます。

夢を潰す意図はありませんが、業務撮影者としては「こうした結果にならないよう」配慮する必要がある場合も多いのです。
むしろ「邪魔者」。
そして、そうなりにくい特性を持ったレンズを、メーカーも技術革新を重ね開発してきました。

はい、但し書きを終わります。


精神性を磨き、心の世界を拡大するに従って、冒頭のような印象の感覚を持つこと。
それは非常に大切だと感じます。
わたし自身が、この場で、何度も何度も綴り続けているのがその証拠です。


ここで一氣に意識と思考を転換してみます。

物理事象としては、シチュエーション次第で「ほぼ必ず発生する現象」にも関わらず、それを精神面のエレメントで感じられるのは、そこに「何かの力」があったのかもしれません。
あるいは、
「何らかの導き」があったとも考えられます。

こうした発想は、支配者層による一般臣民隷属化の施策により、ことごとくスポイルされ、その心のセンサーが壊滅してしまった現状を考慮するならば、極めて重要な「感覚」を取り戻しつつある、その顕現化でもあると思われることです。


言葉を変えてみます。
「単なる物理事象」それは、シチュエーション・条件次第で必ず起きる現象でありながら、これまでに「ほとんど体験してこなかった」かもしれない。ということ。
いえ、
太陽に向かって撮るという行動が増えただけかもしれません。
しかしながら、
それなら「太陽に向かって撮るという行為」が、なぜ増えてきたのでしょう?
それなら「太陽に向かって撮るという行為」は、どうして多くの人たちが同じように行うようになったのでしょう?

SNSで、人目(ひとめ)を引きたいから?というのもあるでしょう。
まだまだ自己顕示欲と自己承認欲求の塊として固着した心・魂が多いようですから。


もう一段、発想を展開してみます。
わたしは、こうした事象が発生することは百も承知の立場です。
ところが、
この場・この時には、意識から完全に外れていました。そして、その被写体をよくご覧になってみてください。
「太平洋戦争当時...」との表記があります。

ここに、何らかの必然性があり、この結果が導かれたのだと。
そして、
単に、物理現象として「五感で感じられるもの以外」の何らかの力が作用してこの一枚が記録されたと。


そしてその思考展開はここに帰着します。
五感以外の「何か」は、現時点のわたしたちには感じられないものかもしれません。
けれども、
その力は必然的に作用し、五感で感じられるものにまで「表出」してくることを。

だからこそ、それをただ待っているだけではなく、自ら「そのセンサーを磨いて」行きたいと思うのです。
そのセンサーは、手でも耳でも目でも肌でも舌でもなく、「心」であることを。

わたしたちの存在は、物質エレメントの体と、精神性エレメントの心と。
ともに両輪として備えた「エネルギー体:魂」であるからこそ、その抜け落ちてしまった片方の感性を取り戻す必要があるはずです。

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わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。

アピールしなくていい

輝く南天 photo 宮本章光

自己顕示欲。
自己承認欲求。

もういいでしょう。
もうたくさんでしょう。

でかい声で「よい子ちゃんアピール」しなくていいですし、
人を踏みつけ「すごいやろ!」的なギラギラのエネルギーを放つ必要もないはずです。

静かに。
もっと静かに。
そして、
さらに穏やかに。

わたしたちの存在そのものが「体:物質物理面」と「心:精神面」との両輪で成り立っているのですから、ともに磨いてゆきたいものです。


この国には言い得て妙な言葉があります。
「みっともない。」
「見苦しい。」
みっともないことは、早々に切り上げるのがよろしいようです。

見事、かつ巧みな措辞(そじ)が、この国に存在するのは、まさに誇りとするところでしょう。


そこに抱くエネルギー、そこに語られている波長は、必ず伝わります。
間違いなく伝わるのです。
同じ周波数は「必ず響き合う」その大原則に逆らうことはできないのですから。

言葉を話さなくても、
歩いて移動することはできなくても、
そのまま・自然のままアピールする仲間たちから学びます。

輝く南天 photo 宮本章光

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。

そこに痛みはない

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この地が、善悪・明暗の対(つい)で成り立っているのと同じように、
わたしたちの存在そのものが、モノ(物質次元)とココロ(精神性)の両輪で一つのセットとして成り立っていること。


「痛いの痛いの飛んでいけ...」
幼少時期に、おばあちゃんに手当てしてもらった記憶、誰しも一度ならず経験があるでしょう。

実際に痛みが減少してゆく感覚。体験したはずです。
ところが、
年齢を重ねるごとに「そんなものまやかしに過ぎない」「氣のせいだ・思い込みだ」と、意識が変化してゆきます。
いえ、厳密には、
「自分からそのように考え方・感じ方をシフト」し、自ら「極めて重要な心のセンサーを台無し」にしてしまったのでした。

そもそも「氣のせい」という言葉自体、支配者層が一般臣民を隷属化させるための洗脳でした。
もう幾度となくここに綴ってきました。
それは思い込みでも何でもなく、それこそが「氣というエネルギーが影響を及ぼしていますよ」というサインそのもの。
氣が作用する状態が物質面に顕現化している、そのありさまだったわけで。


はい、両輪がセットですから、実際に物理的に損傷した傷や怪我は消滅しないのであり、これは毎回やかましいほど記しています「物理次元地球の歩きかた」のエレメントとして認識しなくてはなりません。
ところが、
「痛いの痛いの飛んでいけ...」と、手当てしてもらいますと、ここでもう片方のエレメントが発動します。
「痛みを軽減する」という精神面からの作用がここに顕現化する仕組み。


この国には、極めて重要な言葉が数多く存在し、それぞれに「言霊」が宿るとされます。
氣のせい。は、まさにその一つであったことを知ります。
だからこそ、隷属化のために「邪魔になる精神世界」を無いものにし、教育という手段を通して刷り込んだ歴史でした。

そして、
「手当て」という言葉にも深い意味合いを感じることができます。
物理的に手を当て(物質面エレメント)て、そこからエネルギーの受け渡し(精神面エレメント)が行われることを示していたことに氣がつきます。
想像を超えた深い意味合いとともに、言葉そのものに精神性のフィールドに繋がり無限に広がる大きな力が内在していることを知ることになります。


氣がついた人から、その無限のフィールドに心を接続する試みを始めています。
そして、その膨大なエネルギー量に圧倒され、またその無限の可能性に驚嘆することになります。
ともに繋ぎ合わせ、拡大してまいりましょう。
望ましい目の前の風景を創造し具現化してゆくために。

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わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。

数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。
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