同じことを何度も繰り返す

失敗は必要なものだと言われます。
成長のために。
それを糧とし、学びとして得られるからだと。
では、一切合切をすべて忘れ去って「白紙状態から何度もやり直す」のは、果たして本当に成長のためなのでしょうか。
学んだこと、得られたことが、まったく生かされず、同じことを何度も繰り返すリスクがあるように見えます。
ここに違和感を感じてしまうのです。
しかし、それは、あなたがまだ成長していないからだ。とも語られています。
さらに階段の上まで上がってみないと見えないものだと。
この声そのものには賛同しますが。
理屈を並べるのなら、その転生は支配者によって仕組まれた無限ループだったから。これからはもうその仕組みはないんだ。とも言われますが、では、そこから離れる・決別する。と意思表示し波長を変えてみたなら、答えが導き出されるのでしょうか。
数千回も数万回も転生を繰り返してきたとされます。
何度も何度も、白紙状態にリセットしてきたと。
同じ失敗を、何度も何度も繰り返す。
それが、成長とどのように結びつくのか。
あるいは、
成長だとかそういった低レベルの思考ではなく、もっと崇高な「何か」がそこにあり、それを成果として得られるのかもしれません。
階段を上がらない限り、その「成果物」は手に入らないのみならず、認識さえもできない。
なかなか微妙な論説ではあります。
唯一、
因果の仕組みこそ、繰り返し白紙からやり直す理由に直結しているようには見えます。
磨いて磨いてピカピカにしてきたはずの心のセンサーは、この部分(=白紙に戻すからこそ成長できる)にまったく共鳴しない2024年初頭です。
すべてはMatrixであって、水溶液に浸された「脳」だけが電極に結びつけられ、VRとしての目の前の現実が起きている。
なぜか、こちらのほうにこそ、心のセンサーが光ってしまうのは、わたしだけではないはずです。
久々に、袖丈が合わない・背幅が合わない上着を着た感覚・大きめの違和感を感じています。
こうして、再び無限ループへの旅に出かけるのかもしれません。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。
自分の足跡は雪解け後も消えない?

わたしの足跡ではなく動物かもしれません。
雪の上に残した自分のあしあとは、自分で消すことが難しいでしょう。
そのために近づけば、近づいた道にそのあしあとが残ります。
後ずさりしながら消してゆけば、見た目はなかったことにできるのかもしれませんが。
あしあと、とは、
心に描いた・心に抱いたエネルギー。
それは決して消えることがなく、いずれ結晶化し顕現化し、物理事象として目の前に現れてきます。
一度生み出したのであれば、それが「因」となり「果」を刈り取るまで残り続けます。
因果の法則。
だから、心に抱く感覚に対しては、十二分に注意を払います。
だからこそ、余計なノイズに触れないようにするのです。
世の中、ノイズしかない。とさえ言える状況です。そもそもそれがこの地の「標準仕様」なのですから。
そこに意識を合わせたい、などと思っていないとしても、自動的に見え・聞こえてくる。
そう仰る人が大半でしょう。
けれど、
そこに「波長を合わせなければ」良いのです。
シャットアウトするのも、しないのも、それさえも自分の意思表示、そして自分の選択。
この超重要部分を勉強してきたはずでした。
そこに触れれば・そこに意識を持ってゆけば、
必ず同期し、そのエネルギーに「燃料を焚べる」役目を果たしてしまうでしょう。
望んでいなくても、あなたがその負のエネルギーを増強してしまうのです。
それがこの地の「標準仕様」ですから。
訓練してきましたでしょう。
練習を重ねてきましたでしょう。
もうリハーサルはできず本番の幕が上がっています。
この超重要部分を訓練してきたはず。
雪解けとともに、その足跡も消滅するはずです。
しかし、雪が溶けた時には、ご自身の存在である「この地を体験し学ぶための体」も、もれなく消滅することでしょう。
そして、
そこには、望ましくない「因」を生み出し重ねた記録として「業」だけが、見えない世界に鮮明に「あしあと」として残ります。
雪解けとともに消滅したはずの「あしあと」は、自らの体を失ってしまった後も、延々と「因果」として自分に戻り、自分で解消しない限り、ブーメランは戻り続けます。
それが仕組み。
だから仕組みに感謝します。
なぜなら、
よき因を生み出せば、よき果が生み出され続けるからです。
どちらを選ぶのか、何を選択するのかは、あなた次第。わたし次第。
心引き締まる雪原に意識を馳せ、その自然と生命と仕組みに響き合い感謝を捧げます。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。
本番舞台は厳しくそして面白い

長大な、そして苦しいゲネプロが終わったら、間髪を入れずに本番が始まります。
いま、本番の幕が上がったのですから、完全なるパフォーマンスを披露したいものです。
そう、楽器演奏をしていた学生時代。
ヘトヘトになったゲネのあと、もう一段のテンションアップを図るには、心の面からの「引き上げ」が必須でした。
楽屋前の掲示板(黒板)には、誰が書いたのか、いつの間にか気の利いたイラストや、モチベーションアップを呼び込むコメントが溢れ...。
そして、そこに自分も一筆書き込むのが本番前の儀式でした。
前プロでは、オペラカーテンが巻き上がります。そこから客席が左側(わたしは低音系なので上手側の位置)に出現するさまに、心臓の音がはっきりと聞き取れるほどに一氣に緊張感が高まるのでした。
指揮者が下手袖から現れ、静寂のあとに第一音が響きわたります。
現在位置、まさにここではないでしょうか。
そして、
いきなりやらかしてしまうパート・奏者もあったり無かったり。
ええ、予想もつかない場所で、想定外の音が鳴る。
けれど慌てず、何ごともなかったかのように演奏を進めます。
想定外どころか、空中分解寸前になることさえあります。自分自身も大なり小なりミスがあるのが本番。
どこまで踏ん張り、いかに持ち直すか。そのための団結力であり総合力でした。
それが学生の良さでもありました。
2024年の幕が上がり今日3日。
この目の前の風景には、もう何発の想定外が表出したことでしょう。
しかし、ゲネで目一杯ネジを巻いた上、楽屋前の黒板に記したように、ポーカーフェイスで本番を進める以外に道は存在していません。
そして、
自らの心が生み出す大法則・大原則に従って、かけがえのない一期一会のステージを大成功に導くしか道はないのです。
ひるまず、想定外な事項に足を掬われることなく。
フォーカス先を決して誤ることなく。
本番は「一度限り」。
厳しく、そして限りなく面白い。それが本番。
この本番をどう創り上げるかは、個々人の意識・心が創り出す目に見えない力、その果てしなく強力な現実創造能力にかかっています。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。
本番開幕・これまでの練習の成果を見せよ

苦しい練習期間を終え、晴れ舞台でスポットを浴びる。
文字通り血の滲む練習を繰り返し、一期一会の本番を披露する。
本番舞台がその到達点となる芸術系に携わる人なら、必ずその感覚を味わうはずです。
いま、
まさにこのステージと同じように本番の舞台が開きました。
これまでに、長く苦しい練習期間を経て積み上げてきた、その成果・結果を披露する舞台です。
心の奥底に溜め込んだ負の因果。
激しく積み上げた負の力。
これらを流し去るための苦しかった練習期間を終えて、ようやくこのスタートラインを超えたことを感じています。
響き合う波長によって、見えるものが異なってくる。
響き合う周波数によって、具現化するものが変化する。
いよいよ現実となってきました。
新年早々...どうして?と、災害にフォーカスし、その負の力に翻弄される人々。ご自身の足元こそがグラついていることにも氣づかず。
他方、単に客観事象として捉え、自らの心が生み出す力をもって癒しと救いの波動を生み出す人たち。
自分に合ったもの。
自分の身の丈にふさわしいもの。
それが御霊(身霊)相応。
同じ周波数で響き合える人たちを「手繰り寄せ」、目に見えないフィールドに望ましい大きく暖かい力を拡大する役目を果たしたいと思うのです。
この地は、物質次元たる体・モノとともに、精神性エレメントたる心が生み出す力により顕現化する仕組みを知り、そしてそれを体現することを。
両輪をともに機能させることによって、新たな力を生み出せることを。
それこそが、この地で与えられた役目であると確信しています。
大きな流れに揺さぶられ・溺れ、そして大法則通りに自ら淘汰され消滅してゆくのか。
それとも、
大きな流れを見極めそれに乗ってゆくのか。
どちらも自分の選択次第。
激しく苦しい練習を積み重ねてきました。
練習の成果を披露する本番の舞台が開いたのですから、もう後戻りはできません。
これまではゲネだったと。
本番である以上、やり直しそのものが存在せず、流れに沿ってパフォーマンス披露・発揮するのみです。
力を感じてください。
この一枚に込められた「目に見えない力」を。
この瞬間に受け取った、そこにある大きく力強い大自然の力を。
そして、
その仕組みたる「神に」感謝を捧げ、新時代を切り拓くことを。

わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。