「巻き込まれない」を最優先する

同じ周波数は共振します。
同じ波長は響き合います。
それがこの地の物理法則のみならず、すべてにおける普遍・不変の法則。
稲作がダメだと?
何が温室効果ガスやねん!
と、怒りを抱くなら、それは相手の思うツボ。
そうやって「負のエネルギー」を故意に発生させるやり方。
もう大丈夫でしょうか。
そこに意識を合わせた瞬間に「そのエネルギーにシンクロ」し「その負の波長を増大し拡大する役目」を自分がやってしまいます。
あの手この手、口にするもの・コト、身の回りの空間・息をする空気。気象操作に詐欺医療、挙げ句の果てには教育・宗教・貨幣経済...。
文字に落とし込むだけで、上記のようにその波長に合致してしまうので、ここで止めます。
SNSを続けるのは自由です。何を発信するのも勝手です。
ですが、
「おかしなコトを知らない人い対して自分が知らせてあげている」などと決して思わないことです。
それは、言葉を置き換えるならば、単なる思い上がり。
そして自己承認欲求を捨てきれず、且つ醜い自己顕示欲の塊となっている幼稚・未熟な自身を曝け出しているだけ。
自分が、そのおかしな負のエネルギーに火を焚き続けることで、今後必要とされない毒波動を撒き散らす。
これこそが、知らず知らず無意識のうちに成り下がってしまう「善の仮面を被った悪」ではないのかと。
そして、
それを見てしまうだけで、その波長に合致し合一し、目に見えないところに「不要なエネルギー」を生み出してしまう。
それが、自分自身が行ったこと。
それが、自分の責任。
難しいでしょう。
大変でしょう。
けれど、
これからの世に必要ではないエネルギーを生み出さない。
だから、
見ない・触れない・感じない。
この場で、同じようにそのテーマを語るだけで、わたし自身がそれをやってしまうので離れます。
描くべきは、
この先に望む風景と世界と歩む道。
心の中から創り出してゆく。とはこういうことだと思うのです。
必要ないエネルギーに「巻き込まれない」。
いま現在の最優先課題ではないでしょうか。
今日は超ビギナー編のようでした。
ともに歩みましょう。
ありがとうございます。
2024年の手前味噌

歳を重ねるごとに。
歴代の味噌が熟成されてゆきます。
昨年も一昨年も、毎年わたしは完全素人で写真2枚撮るだけで終わっていますが、素晴らしい命をこの体を維持するために使わせていただく。
その貴重な存在と体験に感謝を忘れず。
昨年2023年記事から以下、再度引用記載いたします。
【今年2023の味噌作りに思う:2023/01/16記事】[Link]-----
体が作られているのは「口にする食べ物」。
だからこそ、そこを見れば「その人」のすべてが見えるのです。どういった食べ物について語っているか、その時点で推して知るべし。いわずもがな。
食べることは、その食べ物としての生き物の「いのち」をいただくこと。
おかげさまで、わたしは生きてゆけます。ありがとう。
だから、
「いただきます・ごちそうさま」。
だから、
口にする食べ物には十分に意識を巡らせ感謝を忘れてはならないと、おばあちゃんに教えてもらったのです。
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2024年のお豆たちへ。
今年もありがとうございます。

鯉から学ぶこの地の生き方

激しいノイズに溢れ、
著しく低い波長に囲まれ、
厳しく苦しい体験を重ねます。
それがこの地で味わう必要があったもの・コト。
それを希望し、また因果解消の目的で、この地で生を重ねてきたこと。
存分に味わい尽くしたのなら、
十分に負の力を浄化・解消できたのなら、その波長から離れます。
そのノイズに意識を合わせ続けている限り、「わたしはまだ苦しみ足りません・もっと希望します」との意思表示をしていることに。
鯉たちも、生きづらい環境を体験するためにこの地に生を受けたのでしょうか。
学び終えたのなら、次のステップへと登ります。
鯉の滝登り。
登り続け、拡大し上昇し続けるのが標準仕様。
鯉の滝落ち、などという言葉は存在しないはずです。
あえてノイズに触れることで何を得られたでしょう。
糧として得たものだけを持って、滝を登り続けます。
それが永遠の課題であり役目だから。
優雅に泳ぐ姿から学びます。
学び終えたあとには、恵まれ・満たされた「いま」を体験させていただけることに感謝をわすれず。
ありがとうございます。
選択しないという「選択」

ここにも悪の巣が。これも悪の根源だった。
などと騒ぐのは、もうとうの昔に卒業しました。
それを知ったから拡散。という行動自体が「自分も悪になっている」こと。
まだSNSだとかの世界に触れ続けているのでしょうか。
ここを理解できた人から、この地の学習カリキュラムを終了してゆきます。
心に抱くもの、心に描くもの。
それが現実という名の目の前の物質を顕現化させてゆきます。
先人は、それを「念や想念」として、使いこなしていたことが想像できます。
そして、
どのような対象と、どのように響き合うのかを、自らコントロールできていたはずです。
両極があるのか無いのか。それがこの地の仕組みかどうか。
そういった論説自体さえも意味がないところまで到達できたのなら、自分の心を合わせる対象は自分でコントロールする。
悟りとは、とてつもなく崇高なレベルかもしれません。
一般的には容易に手が届くものではない、と思われているでしょうか。
しかし、
それさえも「自分にできるわけがない」と思わせ「自分は取るに足りない存在だ」と卑下するように刷り込まれてきただけだったこと。
このように一定の理解と心の手綱を操れる段階に達したのであれば、それを悟りとして、さらに・もっともっと上に向かって登り続けるのです。
それが目的。それが役目。それこそが魂の永遠の旅。
物質次元に脚を据えながらも、霊界とつながる感覚が肌で判る人が増えているはずです。
精神性の拡大と成長こそが目的であり、それが永遠の課題であると。
選択とは、元々存在している「白と黒」「善と悪」のどちらを選ぶかではないことを知ります。
見た目の形の上では、どちらかを選んでいるように見えるでしょう。
けれども、
選ぶのではなく、自分が望む波長を心に描き創り出すのだと。
選択しないという選択。
これが、この先の課題であり役目だと考えます。
貴重なご縁に感謝申し上げます。
ありがとうございます。