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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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選んだものが創り出される=想念

岩場で出会うひたむきな存在 photo 宮本章光

極めて重要なタイミングを生きています。
この先の道を決める重大な分岐点に立っています。


人それぞれ。
自分が選ぶ、というその言葉の本質を理解できていない人が多いように見受けられます。
この期に及んでなお、2025年の災害だ何だ...と、あらたな「念」を生み出す人が後を絶たない。
いつまで振り回されているのでしょう。恥ずかしくありませんか。

いま、この目の前に展開する「現実という名の風景」は、
わたしたち自身が「過去(これまでに)心に描いた想念が顕現化し」現実となっているのだということ。
これはもう証明されているのですから、この先に「何を創り出せばよいのか」十分に理解できているでしょう。

量子論の「二重スリット実験:観測問題」もしっかりと学んだはず。
この地のみならず、すべての世の仕組みとは、
「あらゆるモノ・コト・事象は想念によって創り出される」と、すでに証明され語られているのです。
妄想でも何でもありません。


赤信号で幹線道路に飛び出したら○○ますよ。
高層ビルの屋上から飛び降りたら間違いなく○○でしょう。
と、誰でも知っているはず。
(実はそれさえも、完全100パーンセントの人の意識が延々とそのように認識し続けているから、そのように顕現化し物質化し現象化しているのだというのですが、論旨から外れるのでここでは触れず置いておきます。)

「心に抱いた想念」が目に見えないエネルギーフィールドに生み出されます。
多くの人間が同じように描き続ければ、その力は巨大化し、具現化の速度を早め、一氣にこの世に顕現化してきます。
ここまで、きっちりと学びましたでしょう。

それなのに、幹線道路になぜ飛び出そうとするのか。どうして屋上から飛び降りようとするのか。
まだ言いますか。
実際に道路に飛び出してみないとどうなるか判らない?
屋上から飛び降りをやってみないことには結果は見えない?
2025年に何が起きるかなど、自分が決めて創り出すことですから。いつまで心を「操られている」のでしょう。
これこそが、目に見えない世界にある「負の力」によって自分の心を乗っ取られ操られているということ。しかもその負の力は、わたしたちの集合意識が、恐怖や怒りに基いて創り出してしまった「念」であることまで説明されていますでしょう。
量子力学と最新の科学は、それらを解明し、隠匿されてきた真実を知らしめてくれているのです。


これ以上の文字をここに記すと、わたし自身がその想念によって現実化の種を生み続けるので、急停止した上で一切をクリアします。
(と言いますか、ここまでの段階ですでに生み出してしまったあとなのです...。)

選択とは、
念を抱いたものが自分の意思表示として選んだことになるのだということ。
知らなかったのではなく、知ろうとしなかった。これがあなたの選択だったということです。


ですから、いつまでもフェイクメディアに触れ、負の力が渦巻くSNSに身を置き、必要ないノイズに浸るような愚行はやめましょうと語られてきたのでした。
そうした貴重な教えをしっかりと身に付けたのですから、この先に、望み・願う風景を創り出すにはどうすればよいでしょうか。

自分自身が心に抱き・描き、意識したもの。
それが自分の選択として、この先の道を作り上げるのです。
想念とは、こうして生み出されたエネルギー。そのエネルギーを生み出す人が増えれば増えるほど、強力な顕現化の推進力となります。

もう、この地を負の力で覆い尽くすのはやめにしましょう。
一人ひとりが責任を持つこと。
それは、何を意識し何を思うかということ。
だから「想念」と書くのではないでしょうか。

望ましい道を作りあげて参りましょう。
ともに築き上げてまいりましょう。



選んだように・行った通りに

しっかり自分の道を歩む仲間たち photo 宮本章光

注いだ愛情に見合うだけのものを受け取ることができる。
注いだ手間とプロセスに見合うだけのものが結果としてもたらされる。

いい加減に生きると、いい加減な結果が「この体をお返しした後」に自分に返る。
一瞬一瞬を大切にすると、その波長に応じた結果が「少しのタイムラグだけで」起きるようになる。
結晶化・具現化のタイムラグがどんどん短縮されています。


身近な先人、祖母あたりまでの人たちは、因果の仕組みを「悪いことをすればバチが当たる」と語ってきました。
バチが当たるのは、自分が行った結果なのですよ、と教えてくれていたのでした。

しかし、天はバチを当てませんし、神もまたバチを与えることはありません。
それが証拠に、毎瞬毎瞬を大切に生きれば、そのように結果が生まれてくることを見ても判ります。
どちらを選ぶのか。
それが自分の判断だという、極めてシンプルな仕組み。


もう食わず嫌いはやめる時間ではないでしょうか。
--目に見えないものなど信用できない?
--心がすべてを生み出すなど馬鹿げた話だ?

自分の近未来を・自分のこの先の道が、明るく心安く平穏であれと願うのなら、心からそのように生み出すことです。
いつまでもノイズに触れ、必要ないエネルギーに接し続けるのはやめることです。
信用できない、馬鹿げた話だ。と、自分が心に抱き自分自身が描くから、そのように現実となる仕組み。


いつまで意固地を通しますか。
いつまで人体実験を続けますか。
行った結果は、すべて自分に返るのみならず、溜め続けた因や業は、必ず自分で「返済し償う」ことになるのですから。
そして、
その学習教材を学び終えたなら、次は暖かく心地よい波動を、周りへと拡げる役目を果たすことです。

ニコニコ笑顔でいるだけで平和な雰囲気を放っていた「お年寄り」は、今となってはなかなか見かけることがなくなりました。
そう、そうした波動を消滅させ、この地を負の力で満たすためのアジェンダが、支配者層により進行したからでしょう。
だから、病氣という名の負のエネルギーに浸り続けるよう、食をはじめとしてこれでもか!と仕組まれ、薬という名の魔法の石油製品によって、特定層へ富の移転が行われるよう、ジワリじわりと、この地が変えられてきたのです。

ここまで学び、氣がついたのならば、
それを他の人にも知らせるんだ!などと走り回らない。もっと多くの人たちに知らせなければ世の中変わらない!などと叫ばない。
なぜなら、
あなた自身がそのエネルギーに同期し、同じ負の力を増幅し撒き散らし続けるからです。
それは、世の中を変える原動力でも何でもなく単なる自己顕示欲の塊にしか過ぎないことを知り、初級学習教材はさっさと卒業することです。
だからこそ、
ニコニコ笑顔でひたすら平穏に生きることそのものを馬鹿にし、お花畑だ・お氣楽だ・アホな輩。ツボを買わされるなよ!と、高いところから見下し蔑むように教育洗脳されてきたのです。

そうやって自尊心をくすぐられるのを良いことに、いつまでも踊り続けないことです。
騙されていたんだよ、これまでは、この世は!
これを知らせることが行動なんだよ!
と、叫ぶこと自体が「騙されているのです」。

そう、このようにして、負の力・負のエネルギー増幅装置が量産されてしまう「巧妙な仕組み・落とし穴」に見事にハマったのがわたしたちの過去だったのです。
もうやめましょう。
そうやって踊り続ける姿は、すでに恥ずかしさ以外の何ものでもなくなっていますから。



選んだように・行った通りに、この瞬間から先は顕現化してゆく。
そういう仕組みです。
より多くの方々へ、この暖かく穏やかな力を届けます。
ともに響き合い、ともに歩み、ともに創り・未来を拓く方々へ。



与えられるのを待たず創り出す

出番を待つ桜並木 photo 宮本章光

何を待ち続けているのでしょう。
いつまで待ち続けますか。


何か与えられる。
絶対、与えられるはずだ。と。
それまでおとなしく待っている、いまの大多数の人たち。
そのように「飼い慣らされて」きた過去。
隷属化され、果てしなく長く続いた暗い歴史。
もう誰一人として望んでいませんでしょう。それなのに...。

ならば、
自分で作る。自分で描く。
「塗り絵」よりも「白紙に自由に描く」ほうが楽しいのではありませんか。

待ち続ける、とは、
その例えで言うところの「塗り絵でさえもなく」印刷された「他人の絵」が渡されるということ。
その絵が「もし氣に入らなかったら」どうしますか。
その絵が「望んでいたものと違っていたら」どうしましょう。
ペラペラの<48>や<53>ベース用紙のチラシが一枚かもしれません。


その時点で初めて氣がつくのです。
ああ、自分の道は間違っていた。と。
それが人間の学び。
自分で失敗しないと学習しない・できない。

けれども、
何かヒントを受けることによって、待ち続けている「待機時間」に少しでも成長が果たせるなら。
だからこそ、こうして暖かい力を送ります。
それが「一になる」という究極の姿に「達する前」にやることだと思うから。

言葉の上でだけ、表面上だけ、無こそ悟りだ・ワンネスだ・一になれ...と、威勢よく掲げる割りには、心が描き上げる青写真がどこにも見えないのです。
それを踊り続ける、と、わたしは例えてきました。

踊りたい人は、いつまでも踊ればいい。それは自由。
しかし、
踊っている限り、そこに設計図も工程表も何ら存在していないので、何も具現化しないのではありませんか。


自分の心から描き出す。
そのためには、まず心に抱く。
さらにその前には、ノイズから離れる。
重ねてそれ以前に、旧い洗脳の呪縛を自分で解き自分で牢屋から飛び出す。
けれども、
そこに至るには、心のセンサーが腐り切っているので、取り替える必要があったのです。
そのための最後のチャンスが、この4年間に与えられていたのでした。

取り替えるには、口にするもの二つ「食べものと発言する言葉と」がトリガーになりますよ、と多くの道しるべが示されてきたのです。
従わなかったのは、自分自身。
だから、
その結果は、自分がいま受け取る。それだけ。
そして受け取るだけではなく、逆噴射して積み重ねたマイナス点は、物理的に体を失ったあとも未来に渡って償い続ける。それだけのこと。


氣づいて、そしてその強大な心のパワーを知った人たちは、もう実行しています。
心から描きだす、その本質を。
それが、これからの世における「行動する」ということ。
何を抱き、何を描けば、何が顕現化してゆくのかを。


与えられるのを待たずに創り出す。
それは自分自身のためでもあり、そうして個々が成長すればこそ、相互理解と助け合いによって、ここで初めてホンモノの「一になる」ことができるのだと。

与えられるのを待たずに創り出す。
いまこの瞬間から、ともに力を合わせて...。
それは心の中から。



時間は存在しないんだよ

梅が謳歌する photo 宮本章光

春に先駆け、この瞬間を謳歌しています。
梅の花たちは、早くも1月からその姿を披露し始め、すでにピークを迎えているようです。


彼らは、こう話すかもしれません。
「時間なんてものは存在しないんだよ」
「わたしたちには時計は無いんだよ」と。

ひたすら時計を睨み、時間という呪縛に追われ続ける。
ケイタイが手のひらに接着されたかのごとく激しく追われる生活は過去のものになりました。
しかし、過密スケジュールは続きます。
それは、
自分がそのように意識するから、そのように時間が流れる。
という、その仕組み通りに展開していることを感じます。


彼らは時計を睨み続けなくとも、最も適した瞬間に花開き、その最盛期を謳歌します。
そして、こう語るでしょう。
「時間は、もともと存在しないんだよ。」と。

時計を持ち、時間という目に見えないものに追われるのは、この地球上で「人間しか」存在していないことにあらためて氣がつきます。
--時間は有限だ。
--限られた時間内に如何にマルチタスクを増やすかだ。

はい、物理次元地球の歩き方を離れることはできませんので、それは正しいです。
しかし、
すでに「正しいか正しくないか」の論議自体が、もはや旧いタイムライン上の出来事となったようです。
そして、
人間というすべての存在が「時間と戦う」という意識から離れることが叶った瞬間に、時間という存在は優しく微笑むことでしょう。

すべての事象は自分が創り出しているから。
それは時間という存在に対しても。

時間なんて存在しないんだよ。
と、時間と戦うといった意識を乗り越えた時には語られるに違いありません。

いつも暖かい波動でシンクロできる皆さま、本当にありがとうございます。



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