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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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鳥たちのさえずりに心を合わせ

めじろの合唱に耳を傾けて photo 宮本章光

三寒四温。
春を謳歌する気候には、この先まだ少しかかりそうですが、鳥たちは、暖かな日差しの下、一足先にそのさえずりを聞かせてくれます。

木々の花が映える澄んだ青空。
待ち遠しい暖かな日差しを先取りした、めじろたちの合唱。

その現実を選んだ自分の選択。
その波長に合わせたこの瞬間の選択。
そして、
そこから少々タイムラグを経た後に顕現化する、次の目の前の風景。

この国の先人が大切にしてきた心を思い出してください。
暖かな心と穏やかな心持ちを蘇らせてください。
そこに生み出された心地よいエネルギーが、この国に、ひいてはこの地に望ましい風景を具現化してゆきます。


大切にすべきは、
争いでも怒りでもなく。
生み出すべきは、
穏やかで心地よい風景。



地に足をつけるとは・行動するとは

光と影と photo 宮本章光

もういいでしょう。満腹。

地に足をつける。とは、
浮ついた心を戒めるもの。
愛だ・光だ、と叫ぶのも、その中に含まれる一つの誤りでしょうか。

心の中に汚れた波長を抱いたまま「口先だけ」で語ってみたところで何の説得力もないように見えます。
言葉に表す前に、心から湧き上がりとめどなく溢れ出る状態になる。
その恍惚感にも通ずる感覚・エネルギーそのものが、愛であり光であると感じます。
日々満足に生かせていただけることこそ幸運の極みなのであって、貨幣資産増大のための幸せ引き寄せ...といったような下心に根ざした感謝なども同類かもしれません。


言葉に発せずとも、数限りない生命や仲間、大いなる自然、そしてその仕組みに対し心から注ぐ暖かい波長と感謝の氣持ち、その感覚。
人だけではなく、すべての生命・存在に対する感謝の心、その大きく暖かく輝くエネルギーこそが愛であり光であって、カネ儲けが裏に潜む「感謝も愛も光も」、そこには大きな違和感しか感じません。

地に足をつける。
とは、まさにこの部分の本質を突いているのであり、言葉面(づら)だけで愛だ光だ、と叫ぶことではないでしょう。
本心から溢れ、心の底から止めどなく湧き出すもの。感謝の心。
しっかりと地に足をつけてその感覚を追求しましょう。それが次の世で学び体験することですよ、と教えてくれています。

同じく、行動する。
とは、物理実体の体を酷使し走り回ることではないはず。
忙しい忙しい...と、「心を亡くして」いるから、本質を見失います。
借り物の体を極限まで痛めつけ、よくないものを食し、よくない言葉を発し、その結果さらに大切な体を痛め続ける。
挙げ句の果てには「苦あれば楽あり」自分はこんなにも苦しんだんだぞ、と、それを勲章にする社会。
その裏側で仕組まれた壮大な隷属化の歴史を知ろうともせず、何の疑いもなく受け入れるだけ。
行動するとは、
物質次元でモノを操ることではなく、心が描き上げるその類稀な巨大な力の使いこなしのことである、と理解したはずです。

生活のために。稼ぐために。
その言葉を免罪符にし、いつまでも変わろうとしない姿勢。忙しすぎる。を印籠にして考えることを拒否する態度。
その割には、SNSは鮮度がイノチ!などと、そのレイヤーに居続ける愚行を繰り返す。
あろうことか、
変わること・変わり続ける限り「無に至る境地を得ることはできない」などと、変化そのものを否定してしまう。
これも本質を取り違えてしまった一つの事例ではないかと。


地に足をつけ、行動する。
それは、うわべだけのワードを念仏のように唱えることではなく。
そして、コトの本質を知ろうとせず負の因果・業を重ね続けることでもなく。
よって、学び足りない人には再教育の道があるとされます。
もちろん、それらのプロセスを体験したからこそ学べることではあります。自分も同じ過ちを繰り返しました。


本質を追求し、本質を理解し、新たに学ぼうとする意欲と、ともに響き合える同じ波長を束ねる。
それがこれから先に求められる姿勢ではないかと感じます。
少なくともこの先は、ごちゃ混ぜでノイズの悪影響が盛大に生まれる土台そのものを作り替える必要があると判断され、いま大建て直しが行われているのだと。
しかしながら、
自らの心から望む道を描き出さない限り、何ら変化することはないのです。
それが仕組みだから。
そういう仕組みだから。





無限スクロールに麻痺した心を

歌舞伎座に見る photo 宮本章光

次から次へとやってくる。
それが「Noise:ノイズ」。

四六時中、ノイズに触れることで心のセンサーは疲弊し麻痺します。
そして、本当に大切な「信号」それは、天とつながり道標(みちしるべ)となる導き。それを感じとることができなくなります。
この極めて重要なエレメントである心がダメージを受けてしまう。その現象にすら氣がつきません。

そのプロセスは、まるでSNSタイムライン表示の「無限スクロール」のごとく。
結果「口を開けて待っているだけでエサを与えられる家畜」のように、自ら思考せずそのコンフォートゾーンに居続ける。
それが「いまの大半の人々」。

語ることだけは勇ましい。
--行動なくして結果なし?
--数こそパワーだ!

やりたいだけ取り組んでください。自由です。
けれど、今、リフォームレベルではなく完全建て直しをする「この地」ではなく、そのための学びの家に引っ越しをしてからにしてください。
この地は、もはやその場所ではありません。


もう、叫び・踊る姿を見ることは、ほとんどなくなりました。
フワっていただけ・綺麗ごとに自己陶酔しただけの「うわべの愛も光も」もう消滅しました。
見えなくなりました。


遠くを眺めて心を洗い流します。
自然に触れセンサーを磨き直します。
けれど、
それが叶わない時には、大空に意識を馳せ呼吸を整えます。
歴史というエネルギーに触れるのも意味があるように感じます。


無限スクロールに麻痺した心は、自分自身がリセットしない限り「誰もそのボタンを押すことがない」と、いま一度確認します。
それが、自分の道を自分で選択する。ということ。
誰も与えてくれません。
誰も選んでくれません。
だから、
自分で選び、自分で歩きます。



自分が「選んだ道」をゆく

自分の選んんだ道を行く photo 宮本章光

自分が選んだ道を歩みます。
それは、
自分の選択であるから。

しかし誤りに氣がつけば、その都度、選び直しを繰り返します。
それが、心から描き出す現実創造。


目の前の風景は、仮想現実に過ぎない。
そう伝えている事象は数多く。
そう証明できる論理も数限りなく。

踊る・叫ぶ。
VRの世界を体験し尽くしたなら、もうゲームから離れます。
さっさと勉強部屋に戻りなさい。
そう語る声が聞こえてきませんか。
いつまで遊び続けますか。

自分が行う選択の繰り返しにより、自分自身の現実創造が顕現化してゆきます。
こうして作り上げられた人々のエネルギー総和が、目の前の現実という名の風景となる仕組み。

知った人から・学び終えた人から、望ましい風景を創り、道を拓きます。
それが、自分の選択であるから。
それが、これからの世における自分の果たす責任であるから。



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