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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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「お人間さま」より

木の精霊から受け取る photo 宮本章光

木の精霊から受け取ります。

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わたしたちは、あなたがたのことを「お人間さま」と呼びます。
自分の都合で勝手にわたしたちを切り倒し、ここに存在していることにさえ意識を持つことがありません。

けれど、
わたしたちは「お人間さま」とともにこの地で生きることを選びました。
それは、物質体としての一生を終えたあとも、木材としてお役に立てる道があるからです。

わたしたちは「お人間さま」の役に立つことで、成長を重ね上昇することができます。
この地も、そして他の地、他の星でも、すべての存在は、体験を重ね成長し拡大し続けることが役目です。
そのためには、
さまざまなシーンで生きる必要があることを理解しています。

美しい姿を披露する仲間も多く存在しています。
その時にだけ意識を向けてくるのではなく、晴れの日も雨の日も、そして暑い日も寒い日も、ここに居ることを知ってください。
また、
机や家具や家の材料としても、存在していることを思い出してください。

思い出してほしいことは、もう一つ。
わたしたちが、この地の空氣を動かすことをやめたなら、多くの生命は一時たりとも呼吸ができなくなることを。

これからもともに生きてゆくことにかわりはありません。
ここに居ることに氣づいてくれてありがとう。
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樹々は語りません。
木々は動きません。
けれども、「この地の空氣を動かす(CO2<--->O2変換)」を決して忘れてはなりませんし、一つの生命存在として常に意識し続けることを。
なぜなら、
この地で、これからもともに生き続ける仲間であるから。

ありがとうございます。
ひとりのお人間さまより。




「論点のすり替え」に麻痺していないか

苔のテラスにフォーカスする photo 宮本章光

混乱の世。と言われます。
そのように思えば、そのように展開してゆく。そんな現実という名のVR世界・現実という名のMatrix。

「巧妙に誘導されている」ことに氣がついたなら、そのエメルギーから離れることです。


精神世界と物質世界はペアですよ。
だからこそ、不用意に負の力を生み出さず、望ましく明るく暖かいエネルギーを心に描きましょう。
という話をしますと、「楽しいことだけを考えていては成長しないぞ」「成長したくないのか」「だからお花畑はダメなんだ」と返る。
まさに、この論点の展開こそ厳重注意だと見極める必要があるでしょう。

--量子・意識のエレメントとしての精神世界。
--そこに生み出されたものが顕現化するのが物質世界。
その関連性・合わせ鏡の構造になっていることを知りましょう。と述べているのであって「楽しいことだけを見るのかどうか」だとか「成長するかしないか」の論点は関係がないわけでして。

よくある展開だと感じます。
確かに、楽しいことだけでは成長しません。苦あれば楽あり。ごもっとも。
それに、積み重ねた膨大な因果:それに見合うだけのものを解消するためには、苦しみも学びとして必要なことです。
それが間違いだというのではありませんし、成長を否定しているだとか、そういう論点ではないのです。


如何にも巧妙に誘導されてしまいます。
意識が生み出される目に見えない世界と、それが時差を伴って具現化する世界とがありますよ。というお話し。
ともにペアなのですから、両方を知り両方の関連性を理解してこそ、これからの世のハンドリングが可能になりすよ。
といった論旨なのです。

一事が万事。
このようにして論点をすり替え、ある特定の方向へ思考を誘導する。
それが、これまでのピラミッド頂点に君臨する支配者層のやり方。


あぁ、確かに。途中でまったく関係のない話を挟み込んで、そこへ意識を逸らせる。
あぁ、この世は、まさにそんな落とし穴で満ちています。
もう引っかかりませんでしょう?
もう大丈夫ですね?

自らの心を、いとも簡単に乗っ取られてしまうワナにハマりませんよう。
自分の心の手綱は、自分でしっかり握りしめて。




「どこに繋がるか」を客観視する

ポツリと落ちた花に ptoho 宮本章光

昨日の記事
【「想念」を使いこなすためのたった二つの秘訣】[Link]
に続けます。

「心の自動運転」をするために想念の持つ計り知れない大きな力を使う。忘れ去った潜在能力を取り戻しましょう。という時期を迎えました。
まさに「フォース」を使いこなす。という感覚です。

心から生み出す巨大な力を使うためには、まずその「心のセンサー」を磨く必要がありました。
磨くためには、「口にするもの二つ」が極めて重要でした。
口にするものとは、
食するものと、発する言霊と。

それを「最後のチャンス(もはや二度とやってこない機会・決して巡り会えない機会)」とされるこの4年間(もっと言えば初めの2年間で決着済みでした)で、磨きに磨き、ひらめきやインスピレーションの元となる「直感・勘」の感度を、この地における最大値となるよう自分自身でチューニングしてきました。

ここまで到達しますと、自動的に導きが降りてくる。と例えられるような「心の自動運転」が可能になります。
ところが、この部分。
非常にリスキーであることが経験上わかっています。


ストレートに文字に落とし込みます。
「降りてくる」ためには、目に見えない何かと繋がらなければ、何も導かれないわけで、その「繋がる先」が非常に重要であること。今一度、確認しておきます。

さらに直球でど真ん中を撃ちます。
なんとなく繋がったように感じるのは「低級靈」や「動物靈」とされるようなエネルギー、あるいは浮かばれない浮遊靈などであるケースが多かった(過去形)と言われます。

一生懸命、精神性を高めて...。
と、やってみても、結果は極めて明快で、まず「天」には繋がりません。
はっきり書きます。
自分の体験に基づくものなので諸説あるでしょうし、わたしの場合は。と但し書きをつけてお読みください。

ここまでの文字をトレースしていただいて、どこまで共感できるのかは不明です。
唯物主義、貨幣経済のピラミッドから抜け出すつもりのない人々とは、もはや響き合いませんので、この記事そのものが読まれることさえないはずですが、同じベクトルをお持ちの人たちであっても、靈界や幽界だ...と、聞いた途端に、ああ君は危ないひとだわ。さようなら。
と言われかねないので、多少躊躇しながら記しています。
もはやこうした部分を「食わず嫌い」している時期ではないので、理解いただけるものと思ってはいますが。


戻します。
「どこに繋がるか」は、どこに「繋がったか」を俯瞰すれば容易に感じることができます。
繋がっているかどうか。さえ分からないのは、センサーが錆び付いています。あるいはセンサーを使う必要がない人たち。
(センサーを使う必要がない人とは:
センサーという心の媒体を通さずして、痛みの刺激を感じるかのように必要なタイミングで必要な感覚を直接得ることができる人。わたしの身近にも存在しています。面倒な「媒体」は不要な恵まれた人たちだと思われます。)

繋がれば「繋がったことが瞬時にわかる」もの。
それは、
心地よさ、悦び、暖かさ。恍惚感。といったような種類の感覚。
これらがベースにある状態で、巨大な力が見える場合があります。この時の感覚でしょうか。

ここに「一粒の砂ほどでも違和感がある」のであれば、それは望まない存在と繋がっています。
動物の場合は「臭い」を感じます。
よろしくない(望まない)存在の場合には「背中側にゾッとする感覚」が明確にあります。

望むべきエネルギーに望むべくして繋がると、
それは「背中側」ではなく正面から、何らかの力を受けます。
そして、あらゆるところでラップ音のように、通常ではありえない音が響きます。
あるいは、
物理的に説明がつかない「動き」が起きます。
(そのままでは絶対に動かないタオル:バランスが取れている...が、突然落ちるだとかのような)


危ないひとだねぇ。と言われかねないので、今日はこのあたりで終えます。
しかし、理解しておく必要があります。

この地は、二極性、両極性の世界です。
表と裏、善と悪。明暗だとか、そうした一切のものが対(つい)になっています。
同じように、精神世界と物質世界がペアであることは以前から触れてきました。

精神世界は、エネルギーの世界。
物理物質世界は、そのエネルギーが結晶化・顕現化した世界。
これが対(つい)なのです。

もっと言葉を置き換えてみます。
エネルギーの世界は量子の世界・意識の世界。
物質の世界は、その具現化の世界。

心の世界は量子の世界。
体の世界は物質の世界。

エネルギーの世界が靈界。
モノの世界がこの世・物質世界。

これらは、必ず対(つい)であること。もう理解できているはずです。
ですから、
危ない人だったとは意外だわ。だとか言わず、もうその食わず嫌いのクセそのものから卒業なさることです。


「どこに繋がるか」を客観視する。
いきなり大きすぎるテーマで書き始めたことと、いきなり飛躍した世界を焦点に据えたので、驚かれた方もあるかもしれません。ですが、この先には「必須教科」であることには違いありません。
少しづつ、手探りで学び進化させてゆきたく思います。




「想念」を使いこなすためのたった二つの秘訣

大自然の営みに波長を合わせる photo 宮本章光

思い描くもの、思い抱くもの。
それを想念という言葉で理解しています。わたしたちは。

この国の先人は、極めて強力な心が生み出す力を自分の能力として使いこなしていました。
いえ、現代のわたしたち自身も、その能力を備えているとされます。
ところが、
永年隷属化されたこの地の生き方・転生のうちに、その潜在能力を忘れて(失って)しまったのでしょう。

では、取り戻せば良いということになります。
(戻したくない=もっと苦しみ・痛み・病み・怒りその体験を続けたい方は肉体をお返ししたあと他星系でご自由に)


しかし、どのようにすれば良いのか?です。
「最後のチャンス」とされたこの数年で取り組んできた方々にとっては、もう釈迦に説法かと思われます。
十分にワークに取り組んできましたでしょう?
馬鹿にされながら、そして蔑まれながら。もうどうでもいいそんなノイズを振り切って。
けれどそれは、
裏にその手のビジネスが見え隠れする「ワーク」ではありません。自分に向き合い自分が答えを出すプロセスです。

わたしは「口にするもの二つ」と、繰り返し繰り返しこの場で綴ってきました。
一つは、食べ物として口にするもの。
もう一つは、言葉として発する・口にするもの。です。

今日も今日とてジャンクフードを口にする。あるいはアルコールに入り浸る。
そんな人たちはもう接点すら消滅しましたので見えません。
うまかった・絶品や...と、SNSに並べて悦に入る人たちも多かった、と。過去形になりました。
わたし個人的には、食に関して大変丁寧に取り組んでもらえる家族の存在があるので、ここに甘えています。

もう一つの要素。言葉。
「言霊(ことだま)」です。言葉とは。
ことばとして発する前には、必ずその言葉になる思考や意識が存在します。
その前段階で十分に練り上げること。不用意な思考に走らないこと。これが秘訣でしょう。
だからこそ、
不用意に、且つ不要なエネルギーに触れないようにするのです。
メディアから離れる。負の念を発する人から離れる。
その次には、この先に願う望ましい青写真を描くというプロセスです。


この2要素は、相互に絡み合い影響し合います。
食を疎かにすると、目に見えないうちに体がダメージを受けます。結果として心のセンサーが腐るので、言葉を発するエレメントにまで悪影響が及びます。
そして、ネガティブスパイラルに嵌り、無限に負のエネルギーを「自分で焚き続け」ます。
さらには、その負の念は、激しく周囲を汚染(それは距離的なものではなく広範囲に影響を及ぼすという意味)します。

この影響を断つための選択肢は一つ。
離れる。触れない。見ない・聞かない、接しない。
これだけ。

これらを徹底的に行います。
いえ、もうこの4年間で十分に取り組んできたはず。これでもか!これでもか!これでもこれでも、これでもか!と。


SNSから離れた人は経験済みでしょう。
アカウント削除まで進めると、綺麗さっぱり負の念から切り離されます。わたしは、多くのSNSのうち2プラットフォームだけ残して、あとはすべてアカウントまで消しました。
見事にエネルギーフィールドが変化します。


こうして、2要素を整えてゆきますと、
「どこか目に見えない、自分でも分からないところに」繋がります。
そこにつながると、勝手に結果が降りてきます。
そこにつながると、自動的にものごとが進みます。
日々、この場に綴る文言そのものが勝手に生み出されるかのごとく。大きなエネルギーを内包した一枚の画像のごとく。

いえ、
それは、ご先祖であり近親靈であり指導靈であり守護靈であるのかもしれません。
あるいは、
その道で語られるハイヤーセルフ存在なのかもしれません。現段階の自分には不明ですが。
または、それ自体を自らが生み出しているとも語られますが。

但し、その自動運転が実現するのは、本心からの感謝の心と負の力の悪影響を根絶しない限り。
もしくは、極限状態に置かれた究極の選択が迫られた時点に至らない限り。

そのための2要素。
たった2要素。
実践している方は、もう朝飯前でしょう。
ともに醸成し、ともに描き出してまいりましょう。新たな望ましい風景を。




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