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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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そのままで完成形

美しく存在する photo 宮本章光

歩くことはできず、
言葉を話すこともできず。

人間の感覚からすれば、それは「できない」というネガティブな方向のエネルギーとして認識しています。
しかし実際にはどうなのでしょう?

人間は「五感」しか持ち得ないところを、植物という生命は22や23種もの感覚を備えているとされます。
そして、何の恐れも怒りも生み出さず、そのままで完全体として存在しているのではないかと思われるのです。

第二密度の低級な生命だ、と人間は勝手に決めつけてしまいます。
けれども、実際には完成された素晴らしい存在かもしれません。
この地においては、動かず・話さず。
しかし、
植物同士は、波動によってコミュニケーションを図っていることが種々研究によって確認されていますでしょう。
そして「この地以外の場所・異なる次元」では、人間など比べものにならないほど、もっともっと優れた生命体として認識されいるのかもしれません。

古代エジプトのオシリス神は、最終的には植物の神として認識され、ナイル河の氾濫を予測しそれを活用することで、五穀豊穣に結びつけるための占星術・天文学の指導をも行なった。という論説があるようです。
ここに、不思議な一致とすべての点が線になる瞬間を感じるのです。わたし自身のルーツと...。
この話題は、ここで一旦ペンディングとします。

さらには、
昆虫のような生命は、植物から生み出されている可能性さえ感じます。
春になれば、蝶が舞い、蜂がこの世を謳歌します。
しかし、彼らは「どのタイミングで生まれてきた?」のでしょうか。
卵から孵ったあと成虫になるまでには時間(日数)が必要です。では、その卵は誰が産みましたか?成虫が越冬したのでしょうか。暖かい日になることをどのように逆算して成虫にまで成長したのでしょうか。
暖かくなれば、その日のうちに空を舞う昆虫たち。どこからやってきたのでしょう?

植物は、異なる世にすでに生存している昆虫たちを特別なポータルから出現させる役目も担っているのかもしれないと。
生命の謎は、科学という名の物理次元限定な「発展途上の学問」では解き明かすことは不可能かもしれません。
いまだに多くの人たちは、そうした語りに対してトンデモ論だと決めつけ、そんな感覚を持つ人を蔑み見下します。しかし、すでに旧い物質社会から卒業できたのなら、これらの可能性について学び、この先の世に必要な感覚を習得するタイムラインを感じてみたいものです。

今日はこの話題にこれ以上触れることは避けます。
「多くの人間にとって」まだこの話題は時期尚早だと感じるからです。




浄化するその本質とは

板橋区小豆沢薬師の泉庭園門構 photo 宮本章光

偏った力・過去のやり方をそのまま放置し続けると、いずれ破綻します。

「この地独特のローカルルール」は、すでに過去になったと理解したいものです。
これまでは、それでよかった。
これまでは、それで成功した。
これまでは、そのやり方で問題なかった。

いずれも、振り子が反対側に転換しようとしている今、この極めて重要な瞬間・期間。
これまでと同じやり方では破綻します。
まさに、真逆・正反対に動き始めています。

では、何をどうすれば良いのか。
答えは、これまでに散々語られ伝えられてきました。
綺麗に掃除洗濯しなさい。と。
それは物理的に掃除機をかけることではなく。
そして、直感として受け取るセンサーである心の感度と精度を高め磨き上げなさい。と。
そのためには、口にするもの二つ(言葉・言霊と食べ物)を劇的に変えましょう。とも。

webの情報を集めただけで、インフルエンサーとしてもてはやされた時代。
それが成功の証だと胸を張った時代。
もう終わっています。
あるいは、この大転換期の大きな変化・変動や様々な事項を、自分の手柄にしてしまう。
ほら言ってた通りでしょ。だからわたしの言うことを聞きな。
というスタイル。
(また、この姿を盲信し崇拝する人が多いのが厄介ではあります。)

単に「イタイ人」になってきつつあることに、ご本人だけが氣づきません。
裸の王様が、また一人、こちらにもあちらにも次々に作り出されてゆきます。

自分自身も、似たような道を通ってきました。
けれども、非常に恥ずかしい「その時点の思考」である過去の記述も、そのまますべて残してあります。
同じフェーズ、同じ段階の意識を持つ方が、その記述に辿り着いた場合に何らかのお役に立てればと。
しかし、
この瞬間も、次の1秒後、1時間後、一年後には過去となり、誤りであったり恥ずかしいアーカイブになっている可能性が高いと知ります。

だからこそ、
これまでのやり方を綺麗さっぱり流し去るのだと教えられてきました。
当然、そのプロセスでは混乱を生じるでしょう。
大掃除のその場では、足の踏み場もなくなりますし、土台からの建て直しには激しく廃棄物も発生し得ます。
そこにある「過去の遺物たる負の力」に同化してしまわないことです。

(あぁ。手洗いをやめてはダメです。氣が通りません、受け取れなくなります。それを実地に体験しているからこそ。それが学びであり得られた糧ではないかなと感じます。何より、お参りするときに御手洗所で手を浄める意味が理解できれいれば。同じでしょう。常在菌というマジックワードで「一方向だけに思考をコントロール」されてしまうと、洗脳・隷属化の過去と同じ過ちに嵌るだけです。感染症と常在菌とは、これまた二つがセットで学びの教材として提供されていたことに納得するわけです。)

必要ないものを流し去る。
心の掃除洗濯。
これまでのやり方から方向転換する。
ここに至ればこそ、いまこの瞬間を大切にする。というその意味が理解できます。
時間なんて存在しないんだから。というその道のビジネスワードを言葉面(ことばづら)だけで知った氣分になり怠惰に過ごすことではなく。

浄化の本質は、余計なものから離れ、過去の成功体験や思考のクセを捨て、ここで感じる感覚が自分自身の現実創造となりますよ。と教えてくれていること。そしてその選択を実行することではないかと感じます。




手を洗え・額を磨け

IMG_7872_2023.webp
狂った洗脳装置の片棒を持つものではありません。初めに但し書きを添えます。

手を洗う。
額を磨く。
それは、
そこから「氣」を受け取るからです。
手のひら、あるいは指先。
そして、額、あるいは頭頂。

氣とは何なのか。
目には見えません。しかしその力を感じることができる人たちが急増しているはずです。
すべての存在は、目に見えようが見えまいが、固有の周波数を持ったエネルギーであること。もう重ねて記す必要はなくなったと思っています。
もちろん、これからそのフェーズに足を踏み入れようとする方々もあるとは思われます。


わずか一、二年前まででも狂った奇妙な風潮がありました。
負の力が拡散するので、これ以上は文字に残すことは控えますが。
そして、
その狂った風潮に対して、こう反論してきたのでした。
「手には常在菌が住んでいる。だから手荒いなど必要ないんだ。」と。

はい、よく理解できています。しっかり認識できています。
けれども、もうそんなビギナーすぎる論説は、とっくの昔に卒業済みです。

わたしが言うのは、ここ。
【常在菌の重要性よりも、手が汚れや穢れに覆われることにより、氣を受け取ることができない。こちらのほうが自分にはリスキーである。】という部分です。

言葉を置き換えます。
【常在菌の役目 <<<( --> もっと重要度が高い-->)<<< 氣を感じ氣を受け取る重要部位が汚れて働かないことの重要性】
そうした微生物の役目は非常に大切なことは知っています。
しかし、
もっともっと重要度が高いと(個人的には)感じる、その瞬間・その場所、にある「目に見えない空気感」とでもいうもの。それが氣だと思われるのですが、汚れや触れた穢れによって覆われることで、その氣をまったく感じられなくなるからです。

別の例えを示します。
下水管が詰まり汚物が湧き出し悪臭を放っている状態。
ゴミ箱のフタに生ゴミの臭気がこびりついて、その臭気のために周囲の空気が汚れている状態。

あえてよろしくない例えを記しました。もうこれ以上は止めます。
そのように、
手が汚れていると極めて重要なセンサーが麻痺して、悪臭に取り憑かれたかのような状態になっている。
という感覚に圧倒されてしまうのです。


その昔には、これを潔癖症だとか過敏症だとかの言葉で呼び、メインストリームではないんだと変人扱いしてきました。
それも、病気として扱い病名を付け、結局は医療と医薬の利権のためだった、という裏事情に通じていることまで理解が及んだはずです。特にこのような感覚的なものは、行き着くところ「精神科」系統に持ってゆき、永遠のネガティヴスパイラルに放り込む。
殺さず生かし続け儲け続ける。カネを生み出す装置に成り下がる。その仕組みは、もはや語る必要はありません。
わたしの父も妹も、その世界の犠牲者となり世を去ったので、自分には許せません。けれども、もういい。手放します。


しっかりと汚れと穢れを流してみると間違いなく「その差」が判ります。
上記のような負の力(臭気が漂ったようなネガな空氣)が、綺麗に取り除かれていることを。
同じように、
額の部分も似たような感覚を感じる、非常に重要部位だと感じます。
いまでこそ、「松果体」がその裏にあるから。と、理解できた人が増えてきましたが、ほんの数年前でも「しょうかたい?何それ。教会で歌う人でしょ?(それ聖歌隊ですが)」などと、真顔で返す人が多かったのです。

今日は触れませんが、肛門についても同様かと感じます。
シャワー洗浄が増えたから大腸癌が増えた。という論法が幅を利かせているようです。
ペーパーだけで済ませると、絵の具をこぼしてしまった机を拭き取ってみてもその色が残り続ける。その現象と同じだと氣がつきます。
会陰部は、この地で使わせていただく体として基本中の基本、ベースチャクラの位置でもあることを知れば、同じようにそこに負の力がこびりつきまとわり付くことで何がどう影響するかは説明の必要もありません。


あくまでも個人的主観にすぎない。と、ここまで書いておいて何ですが、クロージング部分にも但し書きを添えておきます。
ああ、きみはやっぱり変だ。と思うならそれで構いません。人がどう感じようがもはや関係ありません。どうでもいい。
諸説あることは理解していますし、それを否定するものではありません。

わたしは、この2箇所(あるいは3箇所)の部位から、知らず知らずのうちに「氣を受け取っている」ことを、この数年の大混乱によって氣づき理解できたこと。一つの事例としてここに残します。

で、この桜と何が関係あるの?ですが。
夕刻の日差しのエネルギーとそこに揺蕩う姿が醸し出すエネルギーを受け取ります。
受け取るのは、自分のセンサーで。
もちろん、それは心なのです。
が、その前に、物理部位のセンサーは触覚的なストレートな感覚があるので大変判りやすいわけです。まずそこにピピっと信号が響く。それはとても暖かく、多くの場合大変心地よい感覚。
だから、洗い・磨きます。
だから、清め温めます。




一つとして同じものはない

白いツツジに photo 宮本章光

皆それぞれ。
異なるのが当たり前であり、それが普遍的な標準仕様。

みな同じでなければならない。
そんな悪平等に麻痺した意識を、本来の心に取り戻してゆきます。

一つとして同じものはない。
二つと無い。(ふたつとない)

心を拡大した先に見えるもの。
それがこれからの世に求められています。




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