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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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「裏側」を知ったあとに

紫陽花の葉を通り抜ける光 photo 宮本章光

ものごとには「表も裏も」ある。
それがこの地のお約束。

いま、永きにわたり「騙されてきた」歴史が覆されようとしています。
ここにさえ意識が到達できない方とは、双方で波長が響かないのでご縁は消滅したことと思います。
また、この感覚を否定し分離思考だと叫ぶのは「悪平等」そのもの、旧来のエネルギーなので、ここで終了です。
いつもの前置き・但し書き。


裏側を知ってしまいますと、それを誰かに伝えたくなるもの。
その昔、小学生時代、休み時間になれば「あれ知ってるか!これ、凄い秘密や!」と叫びまわる姿を多く見かけました。
わたしは、そんな話に「まったく響くことがなかった」ので、うさぎ小屋・鳥小屋の向こう側でひたすら本を読み続けた休み時間(室内に留まることができない決まりだったため本を持って外に出た)のでした。

裏側をすでに「知ってしまった」人たちは、いまこのタイミングで何をすれば良いでしょうか。
特大スクープだ!暴露情報だ!と踊ることでしょうか?

叫び踊るのは、それをやりたい人に任せておけばいい。
すでに答を得て、自分の糧としたはずのわたしたちは、別の役目があることに氣がつきます。
先に「答えを知っている」状態で、試験の答案用紙が配られている段階、それが今。

これ知ってるで!あれも判る!全問正解や!
この答案用紙に100点満点を狙い、鉛筆の芯が折れるほどの力を込めて記入することではない、と、ハッと我に返るのではありませんか。
はい、それが物理次元の実際の試験なら話は違うかもしれません。
けれども、ここは、
「黙って白紙で裏返し」退出することです。
もうこの教室とは、おさらばするのですから。

自分で選択する。とは、そういうことではないのかなと。
自分で創り出す、とは、こうやって新たな道を切り拓くことではないかなと。
そして、
「ものごとの裏側にも学びのための重要な役目があったこと」に感謝を伝えます。
「ものごとの裏側にも意味があり美しい(?かどうかは不明ながら)面も持ち合わせていたこと」に礼を述べます。


この展開に至って初めて、一(いつ)になる感覚に手が届くのではないかと思うのです。
みんな騙されてきたんだから、みんなに知らせて世の中変えなけれならない!それが行動するということや!
てな感覚で、「いつまでもみな同じになる必要がある」という悪平等に洗脳されたままの意識から「脱する」のです。
それは「一つになる」などという、誤った「言葉面(づら)だけ・うわべだけの精神世界」。
いつまでもやりたい人はやり続ければいい。


「裏側」を知ったあとには、それを認め受け入れ感謝とともに流し去ります。
それが自分の選択。
それが自分の意思表示。
裏側にも、必ず美しい姿が見えるはず。

こうして、意識が想念となりこの地の「もう一つ外側の目に見えない世界」に創り出されたものが実体となってゆきます。
真っ黒な負のベールに覆われたこの地を、綺麗な「氣」に置き換えてゆくのは、それを「やる人」が必要です。
もうこれ以上、負の力に燃料を焚べ続けるのはやめることです。

その仕組みを知ること。
その仕組みを使いこなすこと。
それが今生の学び。
それが今世の役目だと思っています。




成長し続けるのが標準仕様

紫陽花に意識を合わせる photo 宮本章光

その昔、高校時代の同級生。
映画研究部(のような)活動の中で、少々エグ味を盛り込んだ作品を制作していたことを思い出しています。

何てことはない、ストーリー性に隠し味があるわけでもなく(^^失礼)。
話は、こういった組み立てでした。
「食堂で食事を終え食器を片付けずに席を立つ生徒。」
「そこに現れた教師(だったか?学級委員か)、食べ終えたならきちんと元に戻しなさい。」と指導。
キーワードは「元に戻しなさい」。

画面が生徒にフォーカス、あろうことか食べ終わった食事がすべて口の中から吐き出されたと思いきや、そのまま食器に盛り付けられ「元通り」に戻る。
お察しの通り、フィルムを早回しで逆再生したものを一方向の時系列で見せている、というタネ明かし。
なかなか独創性がある、とも感じる、えっ!?と意表をついた作品でした。
かれこれ43、44年ほど前の前衛クリエイター。彼はどうしてるでしょうか?


いま、このストーリーが回想されたのは、
「この地でのすべての学びは一方向」だと感じるからではないかなと。

美しく花開いた状態から、その花が萎んでつぼみに戻り、葉が縮んで枝だけの姿に戻る...。
その昔の、口から食事が吐き出されるのと同じ逆回しのイメージでしょう。
決してそういった成長過程となることはないはず。いえ、少なくともこの地・この世では絶対ないと思われます。

成長とは、
学び・拡大し、そのプロセスを経るからこそ得ることができる。
体験したからこそ、結果として成長という果実を享受できることを知ります。
ところが、
いつまでも「口に入れたり吐き出したり...」を繰り返す、わたしたち地球人。
いつになれば成長するのでしょう?
我々を創りたもうた神も、痺れを切らしているのではないでしょうか。

成長し続けるのが全宇宙の標準仕様。
意表をついた逆回し再生の意外性は、映画の中でこそ素晴らしいのであって、この地の学びの工程にはふさわしくないように思われますがいかがでしょう。




さまざまな色があるように・形があるように

カモミールが輝く photo 宮本章光

煌びやかな色があります。
独特の形状があります。
それぞれ、自分らしく。

人は、みな違っていて当然で当たり前。
みんな同じでなくてはならない、と教育されてきたこれまでの世。
それを「悪平等」という。

その思考回路の延長線上で「一(いつ)になれ」「みなひとつ」それが悟りの境地だ。とやってしまう過ち。
激しく勘違いしています。
著しく間違った論理展開だと、いつになれば氣がつくでしょうか。
その回り道も、必要な学びだと見守ります。


さまざまな色があるように、
さまざまな形があるように。

自分の得意なことに取り組みます。
自分が心地よく過ごせる生き方を選びます。
そうすればこそ、それが自分の現実となってゆきます。




「救いようがない人」に贈る心からの暖かい波動

よもぎから受け取る力 photo 宮本章光

「よもぎ」
漢字ではどのように書くのでしょう。

webからは「四方草」「善燃草」「善萌草」などを知ることができます。
そして、
モチグサ(餅草):春に若芽を摘んで餅に入れることから
ヤイトグサ:葉裏の毛を集めて灸に用いることから
[ wikipedia ]
と呼ばれることも知ります。
これらは、確かに幼少の頃に聞いた記憶があるように思います。
餅草。
祖母はよくよもぎ餅を買ってきてくれました。草餅(くさもち)だとか呼ばれていたこともあるかもしれません。

多くの効能は言わずもがな。
飲用用途もあれば、上記のもぐさとしての利用までさまざま。
先人は、身近にあるこうした仲間とともに生きてきたのです。
ところが、
花が終わったあとには大量の花粉が飛ぶため、秋に発症する花粉症の原因だとの汚名まで掛けられてしまう始末。


いま、春の時期においても杉をはじめとする多くの植物たちが同罪の槍玉に挙げられ、花粉症を語る人々が多いのが現状です。
しかし、世の中の仕組みを自分でよく調べ、自分の頭で理解した方々は、それらは「医療という名の利権・裏側の仕組み:そこには予防接種などという都合のよい言葉に包んだ一般臣民劣化への目論み」と「支配者層により仕組まれた食生活」そして「母子手帳の段階からの強烈な洗脳」によって起きていること、既に朝飯前レベルな理解を得ているはずです。

ここを否定し続けるのは、目に見えないものを信じない。と同レベルの強烈な洗脳に染まった自分自身を露呈しているわけで、もはや恥ずかしさを超えて、直視できない裸の王様だと言わざるを得ません。
正直なところ、
身内にも同様の感覚を持つ強烈な洗脳に固着した世代が存在しており、救いようがない状態。


しかしこの4年間ほどで学んだこと。
それは、
真実を知ろうとせず、今世今生を「騙されたまま」生きるという脚本を持って生存している人たち。
彼らに「何かを説明し説得しようとしても無駄」だということ。
わたし自身も、激しく知らせたい・理解させたい:目を覚まさせたい。と感じてきました。そしてそのように激しく語り綴ってきました。
けれども、彼らは「何ら意識を変えようとはせず」「何ら態度を変えようとせず」頑なに、自らの生き方を貫きます。

それが、彼らにとっての今世の生き方、それが彼らの今回の転生の学びと目的だった。と理解するならば、
もう「何が正しいか正しくないか」を説得するような「負の方向に燃料を注ぎ続けるエネルギー」を拡大しないことが重要である。と、大人の対応をすべきと感じます。
事実、どれだけ力説したところで、この4年間で何か変化がありましたか?
根本は何も変わりませんでしょう。
そういうことなのです。

いつまでもその負の方向に向いたエネルギーを焚き続け、その負のスパイラルを強固に維持するばかりの役目を「自分がやってしまっていること」。そして、その重要な観点に氣づくべきは、他でもない自分自身・あなた自身だということに。
目を覚まさない人が多いから世の中変わらない!のではなくて、
あなたがいつまでも負の力を焚き続け自分の現実を作っているから目の前は変わらない!
ということに。

もちろん、この場(web)は、さまざまなレイヤーとフェーズの方々が入って来られるので、過去の(誤った)アーカイブも恥をしのんでそのまま残してありますし、これからもある程度の「めざまし」になるトリガー的な記載は継続してゆきます。
そして、
心の中から、心地よく素晴らしい未来を、ともに築きあげられると嬉しいですね。と送り続けます。
それが、真実を知れ!と叫ぶことではなく、いま最も求められている態度であることを悟ります。

間違っても、負の方向にガソリンを大量投入するような行動(それをわたしは「踊り・叫ぶ」と例えていますが)は慎むようにしたいと、心新たにするのです。
(最後に但し書き:味噌もクソも同じにしてはなりません・ここはそれぞれ魂相応のもの同士が響き合うという大原則を超えることはできないとの理解を土台に持つことを忘れず)
これが、
「救いようがない人」に贈る心からの暖かい波動だと確信しています。




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