アンド・エム宮本陽/宮本章光ブログヘッダーイメージ

宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

Archives [All Entries:2873]

爽やかに清々しく

爽やかに清々しく

温暖化だ、何だと叫んだ人たちはどこに行ったのでしょう。
虹色のバッジを胸元に掲げて踊ったサラリーマン諸氏はいまも眠ったままでしょうか。


昔に戻ったと思いませんか。
それも大昔。50年くらい前。
知らんわ、そんな昔のこと...。と仰らず、30年ほどでも20年くらい前でも構いません。

以前は、5月に相応しい言葉が実感できました。
五月晴れ。
皐月(さつき)。
清々しい空気。
青空と新緑。

そう、学校の校庭を走り回っても熱中症などにはなりませんでした。(個人的にはあまり走りませんでしたけれど)
そもそもそんな病気、存在していません。利権とカネの塊。裏の仕組み。
その代わり、光化学スモッグ警報や注意報などと、支配者層の仕組んだ企みに踊らされる、そんな先駆けの体験をしていたことがわかります。

すべては、仕組まれた世の中。
そして、
すべては、VRに過ぎないMatrix。

だからこそ、
自分の心に描くものが目の前の風景になってゆきます。
それを知ったら、そこまで学んだら「卒業」です。

進級すれば、次の学びは、
この素晴らしい自然を旧来の姿に復活させ、望ましい風景をこの地に顕現化させてゆくこと。

そのためには何が必要でしょうか。
爽やかで清々しい周波数に響き合うエネルギーを、心すべてを使い創り出してゆきます。
これが「心のつかいこなし」。
そこにシンクロするエネルギーが、現実という名のもとに具現化してゆきます。

爽やかに清々しく。
静かに心穏やかに。




心の中から美しいと伝える

美しいと伝える photo 宮本章光

道端でひっそりと佇む。
その姿から心地よい波動を受け取ります。

受け取った感覚が、美しいと感じるものならば、
「美しい姿を拝見しました。ありがとう。」と伝える。
受け取った印象が、可憐だと感じたのなら、
「可憐な姿を披露してくれてありがとう。」と送り返す。

それは、いつも心の中から。
抱き・描くものが「先にありき」。

このようにしてこの地の風景を作り替えてゆきます。
それは、いつも心の中から。

美しい存在へは、美しいと伝える。
この繰り返しが、美しい現実を顕現化・具現化してゆきます。
それは、いつも心の中から。




人が作った価値観に流されるな

白く輝く photo 宮本章光

潜在意識に刻み込まれてきました。
無意識の中に「勝手に規範を設定」されてきました。

こうでなければならない。
そのようにしなければならない。と。

まさに教育洗脳のもの。
そうやって全体主義へ導くための隷属化の仕組みがまだ続いています。
それをやっている教師・教諭レベルが理解できず学習指導要綱の印籠(いんろう)に盲従するのですから、学ぶ側のこどもたちは「誤った感覚が刷り込まれてしまう」のも無理はありません。
そして、家族単位の最後の砦ででさえ、それが正しいことだと何の疑いものなく「教育という絶対的な看板」のもと盲目的に強制させられる歴史が続いてきたのでした。

正しいのか・正しくないのか。
それは、
この地を支配したい立場からみれば「正しい」。
そうやって一元管理し、言われたことにひたすら従順な金太郎アメのようなヒツジを大量生産できることで、自分たちの目的が果たせるから。
そして、それを指導する立場の人間に至っては「自分は100パーセント絶対正しい」と思い込まされ、そこに何の疑問も抱かない仕組みが構築されてしまっているのですから。
何より、言われた通りに指導するのが「正しい・正義だ」と考える思考回路しか持ち得ていない時点で、これこそが「所謂、善の仮面を被った悪。」に成り下がっていることに氣がつくことは無理でしょう。


やってみて初めて理解できることがあります。
わたしは、この金太郎アメ大量生産のラインに自分から乗っかりました。
小学校時代、テストはほぼ100点以外に縁がない。言われたことには極めて従順に従う。
学級委員、代表委員。放課後は、少々理解がゆっくりめな他の生徒への指導までも。

ご近所や地元の有力者からも、頭なでなで。偉いね!凄いね!しか声をかけられないから、それが正しい「世の中の生き方だ」と誤った道を歩んだのでした。
当然、激しく違和感を感じる瞬間が出てきます。

「二百字練習帳」というものをご存知でしょうか。
漢字(や文字)をひたすら200回書き続けるように、一ページにマス目が200個あるノート。
そうやって繰り返し練習しましょう。という、これまた激しい教育洗脳。
わたしは、
「自分は200回も同じ字を書かなくても覚えられる!」「時間がもったいない!」
と、教職員室の担任の先生へ直訴^^しに行ったのでした。

ところが、「それなら、あなたは特例で100回で2文字や66回で3文字やったらどう?」と指導され、フニャフニャとその言葉に折れてしまった小学校6年生でした。(まだ所詮こどもだったのだなと...。でも生意気な。)


しかし、です。
私立中学校・高校一貫教育6年間の環境へ進学し、そこに広がる無限空間のような自由世界に触れた瞬間に、それまでの6年間が「大いなる過ち」であったことに氣がついたのでした。
やってみないと理解できないことがある。
失敗してみないと分からないことがある。
まさに、その言葉通りでした。

だから、今・この世で失敗をし、大切な借り物の体さえ失って学びを得ている人たちが多数。
体を無くすまでして得られる学びは激しく大きいことでしょう。
無くさないまでも、毒を自分の体に入れて苦しむのは、自分が行った因果です。

この状況を俯瞰して、この状態を客観視できるわたしたちができること、いえ、しなければならないこと、と言い換えても良いかもしれません。
それは、
これほどまでに悪事が蔓延していたんだ!もっともっと多くの人にそれを知らせるんだ!
と、そこに負の燃料を注ぎ続け・その力をいつまでも蔓延させることではないのです。
絶対にやってはならない筆頭項目でしょう。
それが「その負の力を得たい支配者層」の目的であり、思うツボだから。

そしてもう一段、ここで学ぶべきは、
人が作った価値観に踊らされないこと。
そのためには、自らの直感を磨く。
そのためには、口にするもの二つ(食べ物と言葉と)を徹底的に変えること。
もう語り尽くされてきました。
しかし、これからも学びは永遠に続きます。

心の中から、底知れぬ強大な力を用いて望ましい世界を具現化させること。
これが、いまも生きながらえさせていただける、貴重な体を使わせていただける、わたしたちの役目だと感じます。




卒業する意志を明確に・その後の道を鮮明に

美しく存在をアピールする生命 photo 宮本章光

自ら制限を課す。
そうしてハードルを上げ負荷をかける学校。
まさに、筋力トレーニングのごとく。

学びを終えたのなら、
卒業する意志を明確に。
卒業後の道を鮮明に。

創り出し・作り上げるのは、自らの心の中から。
想念という目に見えない驚くべき能力を使いこなします。
故意にスポイルされた潜在能力を取り戻して。

ここまで学びの場を提供していただけた数々の存在への感謝とともに。
両極の存在を認め受け入れ礼を捧げることを忘れず。




105773637
rss_logo

New Entries

Archives / Serch

Categories