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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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同じものを見てもまったく異なる力となる

兵庫県公館から感じるもの photo 宮本章光

歴史を捏造したものは、それに見合う因果を受ける。
それが仕組み。
それが大いなる法則。

わたしたちは、そこにフォーカスし続けることなく、この先に望む風景を心から創り上げる。
いつまでも旧い世界の負のエネルギーに心を合わせない。
なぜなら、
同じ周波数はシンクロし、響き合う、という大原則・大法則からは逃れられないから。


過去の捏造を知れ、拡散せよ。行動せよ。
と、そこに意識が合致している限り、その波動から抜け出すことはできません。
ところが、
旧来の物質社会にも、心地よさを感じる風景を見出すことができます。
それは、自分自身の心が描き出す風景。
それは、決して現実逃避ではありません。これこそが「現実創造」であることを知る時間を迎えています。
いつまでも洗脳され支配され続けるタイムラインに居残りするのはもう御免。

描き出すこと・抱くことが先にありき。それが大原則・大法則だからです。
感じたものが目の前の風景となってゆきます。但しタイムラグを伴って。

同じモノを見ても、
同じ風景を見ても、
まったく異なった力として受け取ることが可能になる。
それは、
自分の周波数次第、波長次第であると。

ようやくこの泥舟から抜け出すことが叶いそうです。
まもなく沈むことが確定している船に乗り続ける意思表示をする、それさえも個々人の自由ではあります。
知らなかった!のではなく、知ろうとしなかったのはご自身。
聞いてなかった!のではなく、聞こうとしなかったのもご自身。

なるほど、御霊(身霊)相応。
なるほど、精神性の向上と成長が第一だと。それが学ぶべき筆頭項目だと。




嫌いはええんや、けど、苦手はあかん。

立葵に向き合う photo 宮本章光

立葵の見事な花。
この大きさと大胆なさまは、確かに圧倒されます。
季節を、この瞬間を謳歌している感覚が伝わってきます。

言葉を変えると、ある意味では大味な感触も感じます。
ビッグマウス的な感覚さえも。
けれど、
それが「個性」であり個々のキャラクター。

みんなが同じでなくてはならない。
という全体主義へ向かうための教育洗脳が抜けたかどうか、そんなチェックシートの役目も担ってくれます。


過去、企業在籍・会社勤めの時代、机を並べた上司が常に口にした、ある言葉。
「嫌いはええんや、けど、苦手はあかん。」と。

なるほど。
今でも通用するとともに、いまこそ理解すべき含蓄のある発言です。
みんな違って当然。
もちろん、好き嫌いもあってしかるべき。
ところが、全体主義は、この段階をまずスポイルする。骨抜きにする。
そして、従順な金太郎アメの大量生産に着手してきたことが判ります。

他方、苦手意識が進化と成長を「自分でストップさせてしまう」。
その弊害を見事に語り、組織企業人としての心構えを伝えてくれていたことに氣がつきます。

好き嫌いを否定し、個性を否定し、お手てつないでみんなで一等賞...。
こうして全体主義に持ち込み、逆に苦手意識の克服が必要、と看板を掲げその波動を永久に維持し続ける方向に誘導する。それが旧いレイヤーの教育。
もう遠い過去になりました。
卒業できましたでしょうか。

立葵の花が語るそのエネルギーから、さまざまな想念創出に派生してゆきます。
その力を生み出した責任は「自分自身」。
行動に責任を持つ、といった物理次元の社会から、心に描くもの・心に抱くエネルギーに対して責任を持つ世界へと。




「自分」を創っているのは自分

IMG_8732_2024.webp

大柄な立葵(たちあおい)。
その豪快な姿は、パッと見の瞬間には押しの強い圧倒される感覚を受けます。
こちらの心が無防備な状態なら、いきなり顔の真正面で大声で話しはじめる人が現れたかのようにも感じます。

けれど、それは自分の感覚に過ぎない。
不意をついて飛び込まれたために、そう感じただけだと数秒経ってから理解に至ります。

他の大柄な植物・樹木は、そのように感じないことを見ても判ります。
ひまわりを見ても同じ感覚はありません。
杉の大木を目の当たりにしても同じようには受け取りません。

ここで氣がつきます。
感じたことは、自分が脳で作り出していることに。
感じたのは外的刺激・外的要因によって生み出されたように誤解していることを。
ああ、確かにこの地は「VRだ」と。

自分というアイデンティティそのものさえ、自分が作り出したもの。
そこまで理解できたなら。
この次に行うことは、望む風景を心から描き出すこと。
それが「行動する」ということだと確信しています。




待っている限り永遠に待ち続けるだけ

美しくいまを生きる photo 宮本章光

いつになれば理解し体得できるのでしょう。
至って明快なこの仕組みを。


まだか!まだか!
いつになったら来るんだ!
わくわくして待ちましょう!
ですか?

「おとな銀行券」は、こども銀行券と同じオモチャに過ぎないこと。
そもそも、そのおもちゃを与えられ、結果として隷属化され支配される構造に組み入れられる。
その仕組みを作り上げるための道具に過ぎなかったわけで。

もうとうの昔に理解し大丈夫だと思っていましたが、決してそうではないように見える人たち、大多数。
紙に印刷しただけのペラもんを崇拝している限り、精神性の成長も霊的昇華も叶いません。

もう但し書きも不要です。
そうは言えども...。生きるために...。
もういい。
そこにフォーカスするからその現実を自分たちで作ってしまうのです。

だから、そんな意識を持たなければいい。そんな現実を作らなければいい。
代わりに、
望むものを創り出せばいい。
この極めて単純明快な仕組み。どうして理解できませんか。
(まぁ、そう思うわたし自身がそのような人たちを自分の目の前に出現させていることを再認識するわけですが。)


作り上げたいものを創り出す。
それだけ。
その方法は、心に抱くもの描くもの、その波動が時間差をもって顕現化するのですから、望むものにしっかりフォーカスすること。
それだけ。

目が覚めたはずの人たちでさえ、悪事を暴く・悪事を拡散することが役目だ!などと踊り続ける。
いつまでもデカい声で自己アピっている限り、逆噴射し、旧い現実を作り続けるだけ。
いつまでも「みてくれ」ばかりを意識し、表ヅラだけエエかっこしている限り何も実現しません。


紙切れに印刷したペラもんよりも、もっともっと大切なものは何でしょうか。
穏やかに風になびく彼らの姿から学ぶことは大変大きく重要です。彼らの世界におとな銀行券は存在しません。
自分の望むものは、自分の心から創り上げる。
これを現実創造と呼び、わたしたちがこの地で果たす役目・役割であるはずです。




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