オリジナリティの披露

人と同じことをして安心する。
人と同じ状態だから安心する。
教育洗脳の標準見本のような生き方。
自由です。
自分の選択です。
人間だけ。
人と比較して悦に入る。
人を蹴落として満足感を得る。
その最たるもの。
SNS。
数に翻弄されない。と言い切れる人が果たしてどれほど存在しているでしょう。
他人にはまったく影響を受けない。と言い切れる人は居るでしょうか。
皆無ではないかと感じます。
そもそも、それを狙った仕組みだったのですから。
オリジナリティとは、自分だけの特性・特質。
いや、花はみな一緒でしょ。というのもそれぞれ人の自由。
ところが、実際、一つとして同じものはありません。
同じ「種族」は同じような様相を呈しているもの。そこだけを見て「同じやろ」と語るのはあまりにも浅い。
浅い・薄い。
そんな自らの精神性と霊性が瞬時に見抜かれる時代になりました。
オリジナリティを大切にする、
オリジナリティを授けてくれたこの地に感謝を捧げる。
こうして望ましい方向に心のエネルギーが拡大してゆきます。
それが正常進化。
それこそが、現実創造。
笑顔で過ごしなさい

そう思えば、そうなる。
同じ周波数は響き合う大原則。
笑顔で過ごしなさい。
そう言われたように聞こえるのは、縁のある存在からのお達し。
そのように心に抱けば、その現実が顕現化される。
これが現実創造。
これこそが、今生で学ぶべき課題でした。
学び終えたなら、
次の課題と役目は、望ましい現実を創り上げること。
階段を登り続けるのが標準仕様

階段は、上がることも降ることも可能。
それが自分の意志表示。
それが自分の選択。
踊り場まで上り詰めれば、必ずそこに「いまとは異なる風景」が広がります。
そのあとに出現する新たな階段、何度も登り続けます。
それが成長、それが進化。
拡大し上昇するのがエネルギーと波動のデフォルト仕様。
いつまでも底辺の土俵で一人相撲をとっていても進化は叶いません。
永遠の「やり直し輪廻」。
同じゲーム、同じワナ、何度もハマって同じ結果。
学ぶことなく、永遠に繰り返します。
あろうことか、
もう、この下は存在していないはずなのに、さらに階段を下る行為さえ、自分の選択と意志表示。
もう飽きました。
もう遊び疲れました。
階段を上り切って、新たな風景を創り上げます。
そして、
仕切り直して、再び登り続けます。
それが自分の意志表示。
それが自分の選択。
完成されたアイデンティティ

不足に意識を合わせる。
結果として、不足という状況を自分で作り続ける。
悪役を悪として排除しようとする。
結果として、そこに負のエネルギーを生み出してしまい、いつまでも自ら苦しみ続ける。
すべては自分が作り出していることに氣がつかない人々。
その体験を「し尽くした」のなら、その波長から離れます。
その状態を継続するのはご自身の意思表示なのですから、もう望むことのない波動を見ない・触れない・干渉しない。
わたしたちには、
これから歩む道を、心の中から創り出す重要な役目があります。
静かに・穏やかに、しかし明確にそして今度こそ間違いなく、具現化してゆきます。
この地での不足の体験、もう十分に味わいました。
旧いレイヤーに居残りする意志はありません。このあとには望みません・必要ありません。
それが自らの意思表示。
いまこのままで十分。
いまこのままで完全体。
完成されたアイデンティティを披露する美しい仲間たちへ感謝の意を伝えます。
この恵まれた心を維持できること、ともに成長し続けること、いまここの感覚とともに。