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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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オーラフィルドは磁氣エネルギー

マツバギク(松葉菊)が発するオーラフィルドを感じてみる photo 宮本章光

色から受け取る感覚があります。
香りから受け取る感覚があります。
しかし、
そこにあるエネルギーを感じることができない。それがわたしたち人間の現在の姿。


本来備わっていた能力を、遺伝子操作によって故意に無効化され、真の歴史を隠匿し捏造されてきたのですから、いつまでも役に立たないジャンクDNAが98パーセントなどと語られる、誤った学を信奉し続けないことです。
その激しく間違った「学」こそがジャンクなのです。

人間のDNAにジャンクなど存在せず、それらすべてを含めたものが元々のわたしたちの能力。
すなわち、現時点では2パーセントしか使われていないのですから、潜在能力は激しく高いのだと小学生でも理解できるでしょう。


色から受け取るもの。それは、可視光線の帯域に存在する波動を「色」として認識します。
音として受け取るもの。それは、可聴帯域に存在する波動を「音」として認識します。
であるならば、
生命存在としてのエネルギー波動・磁氣エネルギー、それがオーラであることは容易に理解できるかと。

わたし自身は、幼稚園児の時代に人のオーラが見えていました。
(過去にこの場でも何度も綴りました)
人の周りの空間に、淡いピンク色や水色といった薄い繭(まゆ)のようなものがあり、人が包まれている様子を。
その当時には、それが当たり前だと思っているのですから、何も意識さえしなかったのです。
そして、小学校へ進級した頃からその記憶が消滅しています。
よい子ちゃんとして生きる道(言われた通りのことをするのが偉いんだ、という生き方。)を選択したためかと思われます。

数十年の遠回りをして学んだことは無駄ではありませんでした。それが必要な学びだったということが理解できます。
けれど、いまになって、大昔には「自分は見えていたんだ」と氣がつくわけです。
そして知らぬ前に、そうした感覚や意識そのものさえも失っていたことに。


ここに来てより理解が深まります。
色が可視光線帯域の波動であること、音が可聴帯域の波動であることを知るにつけ、
では、生命体がその場・その空間に放つ波動は何なのか。

鮮烈な色でアピールする存在を見て感じるのと同じように、
そこに放たれている「波動エネルギー」を感じようとしてみることです。
98パーセントの眠ったDNAは、本来、それらの力を認識するために使われる能力なのですから、自らその能力を回復しようと努力してみるのは無駄にはならないでしょう。
と言いますか、自分でやらない限り誰もお膳立てしてくれるわけがありません。
いつまでも救世主や白馬の王子様を待っているのは、もはや恥ずかしいフェーズに入っています。

しかし、
それは、なかなかうまく行きません。
なぜなら、物質次元のモノの感覚に、あまりにも慣れすぎてしまったからだと思われます。

明確に声が聞こえる。だとか、
明確に触れる物体がある。だとか。
そうしたモノの感覚とは、まったく異なるものだからです。

なんとなく感じる。
なんとなく、そんな氣がする。
これが、目に見えない波動エネルギーの正体だと思われます。


温かみを感じる、と例えれば、
それは、暖房器具に手をかざした時のように温風に触れるわけではないのです。

鮮烈な色彩感で伝えてくるのと同じように。
独特のエネルギーフィールドがそこにあることを感じてみます。
それこそが、
生命が発する磁氣エネルギーであり、オーラの正体であったことを知ります。


ここを勘違いし、いつまでも「そんな妄想ばかりに浸っている君は頭がおかしい」と人を否定し、洗脳・隷属化されている自分自身を美化し続ける愚はもう繰り返さないことです。




ノイズに揺さぶられそうになったら

美しい仲間に美しいと伝える photo 宮本章光

くだらないノイズに触れず。
垂れ流される負の力に押し流されず。


仕組まれたネガな波動に揺さぶられそうになったら。
美しい仲間が発する強力なエネルギーを受け取ります。
いつでも・いつまでも美しく。
常に華麗な姿であれ。


ノイズに揺さぶられそうになったら、
素晴らしい仲間が発する美しい力に触れてください。

その場に居合せることができずとも、
ここに伝える役目があるのだと感じます。




美しいと伝える

美しいと感じたら美しいと伝える photo 宮本章光

美しいと感じたら、
美しいと伝える。

そこに同じ波長が一致し響き合う現象が生じてゆきます。
こうして、現実という目の前の風景は創られてゆきます。

美しいと感じたら、
美しいと伝える。


ちなみに、エネルギーの流れとしては、逆方向からだと思われます。
すでにある美しさに同じ波長で合致し、そこに意識が生まれている。という方向でしょう。


変化するから浄化される

川の流れが浄化する photo 宮本章光

変化を嫌う。
それが人間の特性でしょうか。

加えて、変化することは未熟であると語ります。
変化しない境地にまで成熟できたからこそ悟りがあり無になるのだと。

そうでしょうか。
もはや正しいか正しくないか、その論議さえ必要がなくなりました。
なぜなら、
それを決めるのは自分だから。
それを創り上げるのは自分の選択であるから。


流れ続ける。
だから、川は自然に浄化される。
変化し続ける。
だからこそ、成長がありそこに望ましい「氣」が生まれる。

自分から変化を受け入れ自分から変わらない限り、誰も変えてくれることはありません。
目の前の風景に「いつまでも踊らされて」いるなら、その状態こそが学びが足りない証でもありましょう。

集合意識、というクセものがあります。
けれど、
それに一喜一憂している限り、自分がその「足りない・至らない」とされる状況を永遠に維持し続けます。
頑固に固着したこの意識を脱するのは、相当高いハードルだと感じます。


踊らされている限り、望ましい道は出現しません。
踊らされている限り、望む世を創ることは叶いません。
自分勝手に、望ましい風景を描けばよいのだと目が覚めます。
そのために、
変化を選択してゆきます。
そして不要なもの・コトが浄化されてゆきます。

そのあと、白紙の下地に自分の青写真を描きます。
それが学びのための標準仕様だから。
それが「自分相応」の進む道。
身靈(御靈)相応。




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