アンド・エム宮本陽/宮本章光ブログヘッダーイメージ

宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

Archives [All Entries:2872]

「氣」とはエネルギー存在だから

IMG_8791_2024.webp

語り尽くされた、とは、まだまだ言い難い現状。
これから知り・学んでゆく必要があります。


そこにある「何か」。
それは、
物質・実体としてのモノではなくて。

感じることができる何らかのエネルギー。
なんとなく、でも目に見えないもの。
それが氣の正体。


人の意識も、同じようにエネルギーとして伝播します。
心に抱くだけで、その力が向けられた先へ伝わるのです。
人に向ければ、その人へ。
植物へ向ければ、その植物存在へ。


向けた先が「受け取らなければ」その力は自分に戻る。
それが仕組み。
負の念を特定人物に向けたなら、受け取られなかった負のエネルギーは自分に還る。
逆に、望ましく心地良く幸福感に満ちた力を手向ければ、その力も伝わること。
これが因果の仕組み。


先人は、これを「想念=物質界に顕現化させる方法」として知っており自ら実践していたのです。
だからこそ、望ましい風景を描き続けることで、望む世界を創り出すことに成功していた。とされます。

---望ましいことだけではダメだ。
---苦しんでこそ成長がある。
その論法は間違いではなかったわけですが、それを体験し対極にある価値の重要性を知ったのなら、その後は、もう選択する必要がありません。
もう重ねて語る必要はないでしょう。
抱くエネルギーを顕現化させるのは自分自身だから。
その学びは、ごくごく初歩の教育過程で、対極を知ることでその反対側の価値の意味を知り体験する目的でした。
学び終えたなら、もう負のエネルギーをいつまでも焚き続ける必要がなくなります。


ブルースクリーンに、無限再起動ループ。まいクソそふと野郎め。
と、騒げば騒ぐほど、その現実を自分で強化し維持します。自分がそのエネルギーを補充し続けているのですから。
そして、それを望んでいるとの意思表示をし続けているのですから。

学んだはずだったのでしょ。
いえ、なんにも体得しなかったのですね。
それに何年も前から、そうした状況が発生するリスクが語られてきたのです。
いつまでも学ばない地球人。
いつまでもその現実を作り続ける地球人。
まだやりますか。いつまでやりますか。


心が現実を創ります。
抱く想念が物質を顕現化させます。
氣とは、エネルギー存在だからこそ、その力が大きな影響を及ぼすのです。


(ここ半年ほどは、海外IPアドレスからのアクセスが膨大な数に増えています。
Spamクローラと思われるものは随時ブロック設定していますが、web翻訳を含めてお読みいただいているのであれば、それはそれは嬉しいことです。あらためて御礼申し上げます。<-- このニュアンス、自動翻訳でもうまく伝わればよいのですが。)






森の精霊に会いにゆく

森の精霊に会いにゆく photo 宮本章光

いまから55,56年ほど前です。
父に連れられて、近場の山へ登る機会が多くありました。
そうした環境が身近にあったこと以外に、専門的な登山趣味を持つ父の影響も大きかったように思われます。
わたしは幼稚園児あたりの時代ですので、短いハイキングコースをトレースするだけではありました。

こうした機会に教えられたこと。
それは、
「森の生きもの」を意識してみるといった感覚でした。

目の前に見える「植物・樹々」。
周囲に響く小鳥たちの囀り。
見えないほどに小さい「昆虫や土中の微生物」。
これらに加えて、
「そこに存在する氣」を感じることを教えてもらったのでした。
(父は氣という言葉は使わず、空氣を感じる、という表現だったように記憶しています。)


氣とは何なのか?
深呼吸をしてみますと、森にある独特の香りを感じます。
その嗅覚だけではない、心地よさがあります。もちろん目に見えません。
これこそが、森の氣の正体だと容易に理解しました。

幼稚園児であっても...、といいますか、その世代の子どもだったからこそ感じることができたのだと思います。
過去に何度も綴りましたが、わたしは幼稚園時代には、人のオーラを「色」として認識していました。
残念ながら、その後この能力を失ってしまったことさえ認識から消滅してしまいました。
現在も、まだ復活は果たせずのまま。


曇り鈍ってしまった感覚を取り戻します。
そのための、わたしのNew Version、氣の感じ方です。

--深呼吸します
--周囲の音に注意を向けます(この部分が現在の最新版)

これで、一瞬にして「森の氣」にフォーカスが合います。
香りとともに「言葉にできないエネルギー」を感じます。
加えて、
「鳥の囀りや葉の揺らぐ音」に意識が合います。

おまけとして、市街地の喧騒・近隣に位置する学校から響く楽器の音が聞こえることもあります。けれども、それらを無理に消そうとする必要はありません。
これらをトータルで「感じる」こと。
この「浸る感覚」を感じるだけでよいのです。


森の精霊...などと文字に落としますと、いわゆる苔むした、数千年間の永きにわたり前人未踏であるような神秘的な風景がイメージされるでしょうか。
メルヘン的。ケルティックな世界なのでしょうか。
でもこれは、人の意識がそのように創り出したもの。人の想念が、ある閾値(しきいち)を超えて、具現化したもの。


身近にある森にも精霊は存在していることが理解できます。
そこに浸り・感じるだけで。
但し、自ら「感じようと」しなければ感じることはありません。
この部分、とても大切だと思われます。

わたしたちは、口を開けて待っていればベルトコンベアで運ばれてくるスタイルに麻痺しているのです。
---重要なことは、先生が教えてくれる。
---プライオリティの高い情報は、メディアが声高に伝えてくれる。
この感覚こそが、故意に仕組まれ作り上げられた隷属化のための洗脳結果でした。まったく逆方向に!です。


森の精霊に会いにゆきます。
そして自分からセンサーをOnにしてそのエネルギーにシンクロします。





セミたちは知っている

御神木に手を合わせる photo 宮本章光

しっかりと鳴き始めました。
数日前から、遠くのほうでは鳴き声(羽音)が聞こえていましたが、身近な場所でも盛大に響き渡るようになりました。


セミたちは知っています。
梅雨明けのタイミングを。
羽化のプロセスを経る以上、見極めを誤ると命に関わります。

この地を人工気象操作により人民を痛めつけることを目的として存在するような組織が発表する宣言など、彼らには一切関係ないことを証明してみせる。
そんな立派な宣言にみえる大合唱が鳴り響きます。


過去アーカイブをぜひご覧いただきたく思います。
一度お読みいただいた方も、いまこの2024年の夏にもう一度。

【「梅雨明け宣言」って何だろうね】2023/07/19 [ Link ]
【もうそろそろ次のステップへ】2023/07/18 [ Link ]
【暑いね〜と言うから熱くなる】2022/07/03 [ Link ]


昨日の記事にも記しました。
「この体をお借りしている期限内」に、やるべきこと・役目は山のように数多くあります。

使用期限があること。
魂そのものの存在には期限はありません。が、体をお借りして「この地で目的と役目を果たす」には、使用期限が設けられているのです。ここを否定する人はひとりも存在しないでしょう。

くだらん自己顕示欲や自己承認欲求など捨ててしまいな。
隷属化のために故意にスポイルされた潜在能力を取り戻す意識はありますか?
あるのなら、それを宣言し「自分で復活させる」意図を持って生きることです。

絶妙なタイミングを知っているセミたちから学びを得ます。
ありがとうございます。





体があるからこそ成し遂げられること

体があるからこそ成し遂げられること photo 宮本章光

【体があるからこそ成し遂げられること】

しっかりと考えておきたいと思うのです。
人間は、何ごとにおいても「失ってからその価値を知る」悪いクセがあるように見えます。
まさに「たら・れば」の世界。

--あの時にこうしてたら...。
--その時にこうなっていれば...。

後悔先に立たず。
誰でも知る名言ではあります。しかし、その本当の部分をまったく理解していない。と感じます。


この地においては、いずれ使用期限が到来する、この借り物の体。
死んだら終わりや。あと少しやから、もうどうでもええねん。
そんな意識の年配者が多いようにも見えるこの世の中。
ええ、確かにどうでもええわ、人のことやし。ということではあります。

しかし、
はっきりしていること。極めて大切なふたつのこと。
それは、
「死んだら終わり」ではないということ。
そして、
「そのようにいい加減に生きた因果は次の世で償う必要」があること。


この体があるからこそ「こうした文字を綴る」ことができます。
この体をお借りしているからこそ「こうした画像に感じた心を乗せて伝える」ことが可能になります。

当然、体を持たずともエネルギーによるコミュニケーションは可能でしょう。
けれども、そのエネルギーの波長を「受け取れる」だけの精神的成長を果たした人のみへ、「同じ波長のみ」しか伝えることはできません。
こうした種々制限を考えるに、
この体があるうち(お借りできる期限=寿命)に、やっておくことは山のように数多く存在していることに氣がつきます。


メディア(テレビ・新聞)の洗脳から卒業できた人は多いでしょう。
ところが、webやSNSの中毒性にどっぷりとハマり足元を捉えられその自覚さえない人が多数。
さらには、
医療の闇を一切否定し、まるで神のごとく信奉する姿は(他人のこととは言え)痛々しすぎます。

わたしは、父を、そしてあろうことか妹までも、この医療の闇で亡くしているので心底腹立たしい。
食から生活環境から、その仕組まれた枠組みがあまりにも巧妙すぎて、彼ら二人ともその洗脳スパイラルから抜け出せなかったのです。(いま残る身内までも...)
そして自分自身さえ、間一髪のところで体を失ってしまうかもしれない瀬戸際へ追い込んだことも。
自分自身に、いつまでも浄化できない頑固なアカが、この部分に残っていることを常に感じています。
この文字で手放し離れます。

極め付けは、
ある程度の精神世界を学び成長したはずの人たちが、感謝を10個数えれば幸せになる...式の、これまた再びその道の洗脳にハマる。
トドメは、
お金に感謝、幸せを実現するために貨幣資産の増大をするんだ!そのためにお金に感謝を捧げて。
などとやってしまうのです。
支配者層により作られた隷属化のツールにすぎないものを最重要アイテムに祀りあげる巧妙な仕組みに足を掬われてしまう。


何をやろうと人の自由ではあります。
しかし、
この体を貸与されている「期限のある時間内」に、もっと他にやることがありますでしょう?
みんなで幸せになりたいと思いますでしょう。

それならば、もっともっと大切なこと。
心に触れ心で感じる体験を重ねてゆくこと、そしてその積み重ねが望ましい現実として顕現化すること。

体をお返ししたあとには「決してできないこと」を、いまこの瞬間にどうしてやらないのでしょう。
体があるからこそ成し遂げられることに、もっと真剣に取り組みたいものです。
その答えは、個々人の心の中にしか存在していないのです。

戦争反対!と叫び、自分からその負のエネルギーを強力に焚き続け、
世の中狂ってるやろ!おかしいやろ!氣づけや!と踊りまくってさらに負のエネルギーを自分で増大する。
お金に感謝して、と善行のつもりが、故意に仕組まれた隷属化の枠組からいつまでも卒業できないエネルギーを、これまた自分が増幅してしまいます。

「心を起点」にして、物質界に具現化させてゆく仕組みを実地で行い、この地を作り上げてゆくのが、この地に生かせていただいている者の役目ではないでしょうか。




105765906
rss_logo

New Entries

Archives / Serch

Categories