偶然は無い・あるのは必然のみ

すべては必然。
すべては因果。
ジャッジをしない。
と語るその前に、
目の前に「生み出された過去因果」を解消すべし。
生み出したのは、わたしたち自身。
人間の成果物。
人間の集合意識の産物。
それをすべて受け入れ詫びる。
すれをすべて受け入れニュートラルに戻す。
負の因果をゼロに戻す。
ここまで至ってから初めて、望むエネルギーを選択してゆきます。
この段階に至って初めて、
望むもの・望まないもの。同じ波長のものが統合されその波動が増幅されてゆきます。
見て見ぬ振りをする愚を繰り返すことなく。
なぜなら、
偶然に生まれた結果はないからです。
生み出した責任を取るべきはこの地の人間であり、その一員である限りは、美辞麗句に包んだビジネスワードにかまけて、負のエネルギーの清算と浄化を回避することはできず、生み出した負のエネルギーを「なかったこと」にはできないのです。
偶然の産物ではない過去因果。
必然の負の結果を生み出した以上、それを綺麗に清算する。
これがすべてに対し詫び、すべてを受け入れる。ということでしょう。
偶然は存在しないとされるその本質はここにあることに氣がつきます。
役目を知る人が取り組むただ一つのこと

誰がなんと言おうと。
前を走る人が果たす役目はひとつ。
おかしいやろ!狂ってるやろ!早よ気づけや!
と、やっと目が覚めた人が騒ぎ立てる。
先に早起きしていた人。
「せやろ、だから言うてんねん。」
「でしょ、わたしの言った通りなんだから。」
と、
自己承認欲求を満たし自己顕示欲の塊になって、同じ周波数を焚き続けるのは恥ずべきこと。
それは、
この地をオールリセット・オールクリアへと向かわせるタイムラインの実現を拒否し、負のエネルギーを維持し続けます。
精神性拡大と、新たな世の実現をいつまでも遅らせるだけ。
そして自分自身も、その渦の中で淘汰されることを希望していることだと。
キミはフワって地に足がつかずスピっている馬鹿な輩、と蔑まれても。
永遠に眠り続ける存在と同じレベルだと思われようとも。
自分が果たす役割は、ただ一つ。
心地よく。
静かに。穏やかに。
目に見えない世界から、この物理実体を通してこの地へ顕現化させてゆきます。
窓を開け放し近所迷惑なデカイ音でパリの狂ったイベントの放送を深夜に拡散されても。
夜明け前からやかましく大声でよい子ちゃんアピールする叫び声で安眠妨害されても。
望まないエネルギーからフォーカスを外してゆきます。
ボケた先は、いずれ意識の中から消えてゆくはずだと信じて。
八のつく月、八のつく日に心を配り。
静かに。
穏やかに。
それが望む近未来を実現する唯一の方法ゆえ。
牽引する役目を果たす車両・機関車がない限り、決して列車は動かないのです。
何も心配は要らない

何の不安もありません。
何の心配も要りません。
自分の想念で心配に満ちた世界を作り出さない限り。
明るく暖かく、そして心地よい感触を持ち続ける。
それが自分の望みであり選択である。と宣言し、明確に描き続ける。
そこには、何の心配も要りません。
静かに。
穏やかに。
ともに生き、ともに伸び・拡大する仲間とともに。
自分で試してみればよい・それだけのこと

情報過多。
何でもwebにある。
だから迷い、惑わされる。
「美食は身を滅ぼす」
いや違う、
「粗食は身を助く」
似たような意味合いではありますが、どちらが正しいのか。
朝食抜きは老化の原因なのか。
食事と食事の間の時間は14時間以上空けるのが良いのか、それとも6時間以上空けると機能が低下するから詰めるのが良いのか。
まさに百花繚乱。もうなんでもあり。言ったもん勝ち。
なるほど健康疲れするとはこういうことかと。
自分で試してみればよいのです。
自分の体がどう反応するのか。
これさえできない思考停止した人たち多数。
インフルエンサーの言うことだけを追い求め彷徨う、まさに魂のないAndroid(bot)たちよ。
もし間違ったことをすれば体を壊すから???
クエスチョンマーク3つ、驚き。久々です。
おかしな毒を盛られた食べ物を口にし、狂った言葉を口にし続けておきながら、体を壊したら困る?
あぁ、この先には必要とされない人たちだな、と。
存分に負の因果を重ねて、永遠に初等教育を受け続けてください。
わたしの祖母、大正生まれで96歳まで生きた人。
その昔わたしが幼稚園児時代には、このように教えてくれました。
「おいしいと思えばその食べ物は自分のために役に立っている」と。
「刺激ばかり強くてテレビで宣伝しているようなメーカーのものは食べではいけません」とも。
何が正しく、何が正しくないのか。
自分で試してみればいい。
結果は自分が享受する。
その結果によって行動を変えればよい。
と言いますか、
口にする以前に、その食材・食べ物・料理が「発しているエネルギー」を感じてみれば答えが判ります。
キレイに飾り立てただけ、美辞麗句を纏っただけの、その中身から力をまったく感じない食べ物。
そんな「食べ物の姿をした物体」が溢れかえっています。
自分で試すだけ。
食べる前から、その料理が発するエネルギーを受け取れるか(そもそも存在するのか)どうか。ということ。