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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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経験することで成長が叶う?はずだが

流れる水のごとく photo 宮本章光

経験は学びとなり、
学びは糧となり、
糧として生かせる認識に至ってこそ成長が叶う。
それを体験した人自身が、そのように認識するという大前提の元に。

ところが、
体験を糧とするといった認識がなければ、永遠に同じ初等教育教材を学び続けます。
それが、個々人の判断と選択。
そして、その選択を行った判断そのものさえも認識できず、無限ループを彷徨い続けます。


転生するたびに、過去の記憶が消し去られる。とされる理由。
ここに違和感を感じていた以前の自分の思考があります。
しかし、
今となっては、大いに納得する段階に達したように感じます。

学びを糧として認識しない限り「それは学びではない」からだ。と。
学びを糧として認識できない限り「そこに成長が無い」ために、成長が実現するまで何度も繰り返すのだ。と。


なるほど、過去生の記憶があろうと・なかろうと、
今生・今世で「何をどのように学んだか・何を糧として得たのか。」
学びが得られてこそ次のステップへ進めることができる、極めて難しい最終ステージが設定されたゲームでした。


経験。
それは単に経験しただけでは成長とはならず、ただの「経験・体験」。
体験することに価値がある。というのはある意味では間違いではないでしょう。
但し、
魂の成長・精神性の拡大と成熟のためには、単に経験しただけでは、成長として認められるだけの価値がないのかもしれません。

勉強時間、10時間も取り組んだぜ。
連絡帳に「10時間」と書けば、ごじゅうまるをもらえる。
でも、
「ごじゅうまる」をもらっても、その10時間に得られたものが「何であるのか」。


経験することで成長が叶う?はずでした。
でも、それは結果よりもプロセスに価値があるという、大切な言葉の「ことの本質」をすり替えてしまい、教育洗脳の道具にされてきたことに氣がつきます。
プロセスに価値がない。というのではなく、中身が勝負だ、ということを知ればこそ、新たなフェーズへとコマを進めることができるはずです。





衛星画像から受け取るエネルギー

夏を惜しむ蝉の合唱 photo 宮本章光

台風に美しさがあるのかどうか。
今日の記事はかなり難しいと思われます。そのまま受け取るだけでは意図は伝わらないこと、また特定の思想に偏った意見を述べるのではないことを初めに記した上で以下続けます。


不謹慎と言われるかもしれませんし、故意に被害を目論んだ気象操作のことを知らんのか。と罵声を浴びる(そんな裏側はよく存じています)リスクもあるため深入りはしません。
ただ、
この数日、衛星画像から受け取るエネルギーは、二つ見えるその存在のうち「先のもの」は、品格のようなものを感じる(感じた)のでした。その画像そのものが捏造されている可能性も承知の上です。
もちろん妄想に過ぎません。一応但し書きを。

品格などあるわけないやろ?と、これまた怒鳴り声が聞こえるので、サラッと流します。
そう思われる方は、その現実をご自身で作っているだけなので。大変失礼ながら次元が違いすぎます。


この「先の(前側の)台風」は、浄化目的だったのだろうな。と。
東北に永きにわたり意図的に蓄積された穢れを祓い負の結界を解消し清めるためのもの。
この国には「水に流す」という言葉があります。
また「浄めの水(きよめのみず)」との言霊が示す波長も特別のものがあります。
同じように、雨こそはこの地を洗い流すための最大の要素であるはずです。

両性具有といいますか雌雄同体、オスとメスが一つの物理実体に備わっている生命存在があります。
同じように、
善と悪・表と裏を、ともに備えた存在(組織)が人間社会(この国特有)にも存在しているとされます。
出雲・大和・伊勢、それらの勢力を3つ「統べる(すべる)」ため、我こそは唯一の支配者なり。とでもいうべき3本の脚を持つのでしょうか。

彼らは、まさに両性具有のごとく「正と負の両方」をバランスさせ長大な時間を裏側からこの地・この国に関与してきたはずです。
調べれば調べるほどに、その複雑怪奇・摩訶不思議な深い世界を感じます。
もちろん、そのほとんどはいくら調べてもwebで入手できることなどたかが知れており、門扉の前で母屋の外観を見ただけのような感覚であることを認識した上で。
再度重ねて記します。特定の思想に偏る意図は皆無です。

昨日の記事
【量子論とスピリチュアルのハイブリッド】2024/08/10[ Link ]

にて少し触れましたような、この国に蓄積した負の因果は、この国とこの国の人民で清算・解消・浄化せねばなりません。
この目的を果たすための「前側の台風」だったと考えれば納得が行きます。
何より、
前側と、それに続く後ろ側。まったく感じる感触が違っていること。
前側は品格のような感覚を放ちます。他方、後ろ側はDS由来なのでしょう。ガラの悪いエネルギーしか見えません。
これらの違いに氣づいた方はおそらく皆無ではないでしょうか。
はい、繰り返します。もちろんわたしの妄想に過ぎません。何ら強要せず同意を求めることもいたしません。


今日も今日とて、DSけしからん・もはや気象操作もまともにできん惨めな輩...と、いつまでも高いところから罵声を浴びせるだけの文字があちらこちらで数多く踊っている様子が見受けられます。
もうそんな時期はとっくに終わっていますよ、ということです。

いまは、激しく蓄積された膨大な負の因果を「如何に被害を最小限にとどめながら浄化するのか」のフェーズなのです。
ゼロ回答は不可でしょう。因果応報の大原則を変えることはできないわけで。
だからこそ、
過去の過ちに伏して詫び、学びのための教材を与えていただいたことに感謝こそすれ、いつまでも高いところから見下している姿勢は恥ずかしい。そんな時期に入っているのではありませんか。

被害を僅少にとどめながら、風・火・水・土といった、この地の先人が尊び、感謝の対象として共に生きてきた、その元の元。
ここを綺麗に大掃除する必要があるのです。

両性具有的・雌雄同体的な、プラスとマイナスをともに備える存在・組織は、どちら側でもその役を担っていることまでも理解が及びます。
いつまでも悪よ滅べ!だけでは、一切の成長が望めません。
こうして、人それぞれの魂レベル=精神性の成熟度合いそのものが、あからさまに露呈してゆきます。
恥ずかしくない成長を自ら重ねて行きたく感じた二つの台風衛星画像。
これからの世は、目に見えない世界と繋がる時代だと認識を新たにしています。

短い夏を惜しむかのごとく、セミの合唱はやや弱まりながらも響き渡ります。
いまを生きる。とはこういうことだと知り得る瞬間ではないでしょうか。





量子論とスピリチュアルのハイブリッド

流れに争わず photo 宮本章光

標題が大きすぎるので、触りだけで。
そもそもわたし自身が語れるだけのナレッジを備えていないこともあります。

「見ざる言わざる聞かざる」
この言葉が誤解を招いている事例があるように見えます。

それは、
都合の悪いことは見ず聞かず発言しない。
まさに「見て見ぬふり」をして、物ごとや事象の核心を認識しようとしない姿勢・態度だと。
これは、どうやらこの先に進むために求められる姿勢とは異なるように感じます。
ここを間違わないようにしたい、と思っています。


トラフがどうの、なんたら注意だ、進路が偏西風に逆らい西に向いたがどうだ、と喧しい。
けれど、これは量子論から説明するなら、「観測問題」に通じるところがあるように見えます。
--- ガスが充満した箱の中のネコが生きているかどうかは観測者次第。
--- 二重スリット実験の結果しかり。
意識することで「結果が変わる」:観測することで結果が変わる、とされます。

よって、
認識をすることで「大難を中難に小難に」という結果を導くことになる、という論説も真実味を帯びてきます。
言葉を変えるなら「みんなが騒げば災難は小さくなる、あるいは災害は起きない。」などという都市伝説的な現象さえも正しいのかもしれません。

ところが、
スピリチュアル系の語りを引っ張るのなら、「騒げばそのターゲットが具現化する」となり、意識したものが現実になる。のだと。
だからこそ望むものだけにフォーカスしましょう。と語られます。


果たしてどちらが正しいのか?
ええ、その答えは誰にもわかりません。
ただ一つ言えることは、勘・直感に響くもの、あるいは違和感を激しく感じること。これらのいずれの方向に向いている力なのかを感じとることでしか導き出せないように感じます。

ここでハッと氣がつくかどうか?
そう。自分の抱いた意識・心に描いた風景が、時間差を経て目の前になってゆく。
この語り尽くされた言葉が、まさに「その答え」だったことに。

わたしは、
ネガティブ事象に対して見て見ぬふりをするのではなく、その負の力を認識する必要はあると考えます。
それは、わたしたち地球人が過去に積み上げた負の因果が顕現化している姿だから。
だからこそ、そのエネルギーを清算し浄化するのは、地球人の責務だと。
現在、まさにその真っ只中。
この国で蓄積された負の因果は、この国で償う必要があるのです。
償うからには、当然のことながら「痛み」を伴うことが避けられないように思われます。
それはそうでしょう。
思いっきりこの地を痛めつけ・汚し・それだけでなく「言霊・意識レベルで激しく汚染・取り返しのつかない破壊」にまで至らしめたのは、この国のこのわたしたち自身なのですから。
百歩譲って、すべてが騙されたからという理由であっても、騙されたのはこの国のこの人民。
騙されるだけの魂レベルと、騙されてしかるべき因果を生んだのは、この国のこのわたしたち。

それを、いまだにDSけしからん。ロス茶・六フェラの悪の支配者構造を知れよ!悪よ滅べ!だとか罵って悦に入っている限り、一切の成長が望めないどころか、自ら地の底へまっしくらです。
いまやそのフェーズではなく、負の過去因果を如何に小さな被害で抑えて浄化・解消するか。
ここにこの地・この国の人民の「極めて高い精神性」が求められているのです。
そして、
綺麗さっぱりと清算できたのなら、そこにまで至って初めてその先はこれまでと異なる「望ましく心地よい」方向のエネルギーを選ぶ。
これは、自分自身の選択であり、それが顕現化してゆくことを望むからこその姿勢だと。


量子力学と精神世界の交点。
こんなところにも相互乗り入れしているタイムラインがあることを学びます。
行き着くところ、
自分が意識した瞬間に、目に見えないフィールドに生み出したエネルギーが時差をもって現実となる。
この世は、そうした意識の集合体で成り立っている。
それならば、
何を生み出しましょうか。というレベルに到達する必要があるはずです。


「1+1=?何ですか?勉強しましょう。」
はい「2です、勉強しました。」
と、口先だけは威勢がいいのです。

ところが、
もう一度...、
「1+1=?何ですか?勉強したはずでしたね。」
いえ「教えてもらってません!」
と、やってしまう。

これを永遠に繰り返すのです。

「1+1=?何ですか?勉強したはずでしたね。」
いえ「教えてもらってません!」
「1+1=?何ですか?勉強したはずでしたね。」
いえ「聞いてません!」
「1+1=?何ですか?勉強したはずでしたね。」
いえ「そんなもの知りません!」
「1+1=?何ですか?勉強したはずでしたね。」
いえ「知らないから教えてと言ってんだよ!」
「1+1=?何ですか?勉強したはずでしたね。」
いえ「教えるのが指導者の立場だろがコラ〜!」....

もうたくさんです。
高次元存在から見ると、これを地でやっているのが地球人ではないかなと感じます。

学びは永遠に続きます。
しかし、論点とフォーカス点は、そこではないわけでして。

未来永劫、1+1は何ですか?を繰り返しているだけで、それは「学びでも何でもない」ということに氣がつかなければなりません。
学びとは成長。
成長とは進化。
進化とは変化。

量子力学が唯一無二ではなく、精神論も万能膏薬でもなく。
学ぶべきは、
量子論とスピリチュアルのハイブリッドではないかと思うのです。





日本の原風景を維持し続ける

飯舘の夏 photo 宮本章光

わたしたち人間は、視覚と聴覚を占有されてしまいますと、いとも簡単に「その周波数」に同期します。
それが、この物理実体を通して体験していること、そのものです。

見たら、聞いたら、
この物理次元「その一つ外側にある目に見えないフィールド」に、認識したものと等しいエネルギーを生み出しているということ。
負の力にシンクロすれば、その負のエネルギーを。
望ましい力にシンクロしたならば、その望ましいエネルギーを創り出します。

それが、この地で体をお借りしているわたしたちの「責任」です。
わたしたちは、一つ外側にある「目に見えないレイヤーで生み出した力をこの地に顕現化する」役目があるのです。


心地よい風景。
心休まる風景。
そこにフォーカスすればこそ、その心地よいエネルギーがこの先に生み出されてゆきます。

日本の原風景。
大切にしたい、と望むのなら、その心の周波数を維持し拡大し、この先も顕現化し続けます。
それがわたしたちがこの地で行う役目なのですから。





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