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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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現実を直視する必要性

デジタル一眼レフ撮影教室でのイメージ

今、何がどうなっているのだろうか?
天災の後には、放射線被害の恐怖がのしかかる。

世界規模の「迷惑行為」にまで波及させてしまった現実。
直ちに影響はない...とか、時間が経てば薄まる...など、耳にタコができるほど聞かされた。

問題を先送りし、子や孫の世代にそのリスクを強いるのは間違っていないだろうか。
-----夏休みの宿題を8月31日の夜に仕上げる。
-----会議の前日に慌てて資料を揃える。
日本人は、常にそんなことを繰り返してきたのではないか。
それなりの結果が出る場合にはそれでも良いのだろう。

が、染色体異常を引き起こし、先天性の異常を持った子や孫が生まれる可能性とその確率が確実に上昇しているという現実を直視しなくてはならないはずだ。
しかも「自分の子供や孫たちなど身内でも起きる可能性」が高まっているという現実を認識しなくてはならない。
誰がそんなことを容認できるのだろう。
数十年先には、今やっている国の政策の責任を持つ人間はすでに居ない。

「神戸は地震は起きない地域だ」と小学校では刷り込まれ、大人になってから起きた現実を目の当たりにした人間にとってみれば、「まさか自分のところには...」などという根拠の無い希望的観測は単なる有害な言葉でしかなかった。
16年前に倒壊した隣家の中で焼死した隣人の人魂であろう青い炎が目に浮かぶ。

夜が明ければ「投票」という責任行使が要求される。
教科書には選挙権は「権利」と書いてありそのように習ったが、今起きていることを考えれば、それは権利というより、むしろ「自分自身の責任」であるように感じる。


ねこバスの置物のカット。デジタル一眼レフ教室での一枚。
安心して写真撮影を楽しめる日がいつまでも続きますよう...。

現在は過去に自分が行った結果であり、
未来は現在の行動によって決まる。

責任という名の自覚

厨房イメージ画像。アンド・エム宮本撮影

数ヶ月間、満足に記事を書けないまま時間が経過した。
その間にも、毎回訪問いただき、個別に「元気にしてるか?」メールをいただく方もあり申し訳ない限り...。

災害が発生し、厳しい社会情勢が続く。
ここで関連する記述を書き連ねるつもりは無いが、一神戸市民としては16年前の出来事も鮮明に目前によみがえる。

ビジネスにおいても同じであろうが、大切なことは、トラブル時の対応やフォロー、リカバリーであって、その部分が現在の日本の社会に欠如しているように感じる。
同時に、情報が恣意的にコントロールされているであろうことも容易に想像できる。
原発関連の知識が無い私のような人間にとって(そして恐らく同じであろう多くの国民にとって)、マスコミから流されるマインドコントロール的とでも言うべき情報は、有害ですらある。

今、現状を批判をするブログやTwitter、Facebookや各SNSに見受けられる共通した事項。
それは「第三者的立場」からの俯瞰した批判。
責任という名の自覚が欠如した国民は、絶滅危惧種となり自滅するのではないか?

その政治家を選んだのは「あなた自身」ではないのか?少なくとも私ではない。
責任という名の自覚について、再認識が必要ではないだろうか。

真新しいサーバーの注ぎ口。
ここから注がれる飲み物に放射性物質が混入しないことを祈るばかり。
100パーセントありえない。と言い切れるだろうか。
一人ひとりが負う責任は、目先の詐欺師のような人間にだまされることなく、責任という名の自覚を持つことではないか。

今、私にできること。
上記の情報紹介や、責任という名の自覚を持とう、と書くこと。
そして、魅力のある写真や映像の公開...。

撮影データ
5Dmk2 EF70-200/F4L
ISO800 f4.5 1/80 AWB

真夏のメモリアル

日本三大夜景のひとつ摩耶山より

観測史上初の連続猛暑日だったという今年の夏。
9月も後半になりようやく和らいできた。

作業部屋の室温も摂氏40度超えという日が続いた。
機器が音を上げるのは例年の夏のことだが、電源周りの改善もあり今年は健闘してくれた。

秋口に入り演奏会ビデオ撮影が目白押し。ブライダルスチル撮影も控えている。
大変ありがたいことで既に年内納品の限界作業量と見込まれる案件を受注。
これからは寒さに指先が凍るシーズンが来る。

今日の一枚は、8月初頭の標高702mの摩耶山掬星台より、真夏のメモリアル。

ミラーレスミラーレスと煩い!

ミラーレス一眼レフと騒ぎすぎ

「ミラーレス一眼」。
最近、あらゆるメディアで目にするこのキーワード。
猫も杓子も「ミラーレス」。

そもそも、こう呼ばれるカメラは高級コンパクトデジカメの延長線上にあり、はじめから「従来のイメージでいう一眼レフ」ではない。メーカーの新たな市場ニーズやユーザー層発掘の賜物であり、こうしたマーケティングレベルの事項については否定しないが、たとえるなら「二輪車のことを車輪が二つだけの乗用車!」と呼んでいるような違和感が強い。

マスコミの記事では、従来のイメージで言う一眼レフはモニター画面上に映し出される絵を見ながら高精細なフォーカス調整ができないし、自分の目だけが頼り。こうした一眼レフは今後は消えて行く...。などと書かれ騒がれている。

今、店頭に並ぶ従来のイメージでいう一眼レフに、上記のような機能「ライブビュー撮影」が搭載されていない機種はほとんどないと思われる。
一眼レフには、上記事項は解決できるにも関わらず、コンデジやその延長線にあるミラーレス機には後述のように実現できない事項がまだまだ多い。
にも関わらず、歴史ある従来からのモデルを消し去り、新興勢力擁護というか新たなアイテムばかりに傾注しすぎる、というコメントに感じる。

一方的な視点での偏った記事を書くな、ということ。
昨今の政治絡みの記事と同じで、マスコミは一方的な視点と立場でコメントすると大きな誤解を生じるかもしれないリスク負っていることをもっと自覚すべきだ。

道具としてみた場合、ビューファインダー(接眼レンズ部分の内部にも液晶モニターが仕込まれている)を備えているモデルでも、タイムラグやフォーカス精度には、現時点では無理がある。
こうした部分には大きく触れず、技術が解決するしコスト的にも解決済みだ。と褒め称えるだけ。

私は仕事としてサッカーの撮影をさせていただいている。
このシチュエーションでは、背面液晶モニターで撮影するスタイルには無理があろうし、ビューファインダーがどれだけ高度・高機能になっても、現在の光学ファインダーを超えることは出来ないように思う。
何より、撮影者にその道具としての使い方に大きな変更を強要する。

フィルム時代から、ミラーアップとシャッター走行に関わるタイムラグを体で覚えてきた者にとっては、その遅延は早ければよいというものではない。
一眼レフメーカーも、現在の技術であればその遅延をもっと短くすることも可能であるにも関わらず、従来と同様の遅延時間に設定(もしくはカスタム設定)できるようにしてある。
こうした部分がまったく語られない。

ヘディングの瞬間、アタマにボールが接触する瞬間のカットを撮ってみればよい。
「仕事」で行う撮影とは、100パーセントのアウトプットができることが大前提。
「たまたま撮れた」ではダメだ。(もちろん、たまたま撮れた!もあるが。)
あるいは、リスクをリカバーできるスキルとそれに応える機器が必要である。

マスコミや雑誌記者が謳うような、一眼レフが消えうせミラーレスだけになる日が果たしてくるのか?
スポーツ系のカメラマンには、別のスキルが求められることになる。
撮影者に操作のスキルを強要する機器は、産業革命以降の「機械に使われる」時代に逆戻りしていると感じる。
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