使いこなしとは機器の機能を知り尽くすことではない

「使いこなし」とは何だろうか?
カルチャーのクラスでも、カフェのレッスンでも、開口一番「まだまだこのカメラを使いこなせていないので...。」と枕詞のように仰る方が多い。
その言葉と、続くお話しから察するに、カメラが備える機能が多すぎてほとんど理解できていないため結果が思うように出せない。ということのようだ。
これは違う。
機能を知ることと、望む結果を出せるかどうか、とは基本事項を除き直接関係はない。
望む結果を出すためには、機器が備える機能をすべて使い切らなければならない、なんてことはあり得ない。
現在ではカメラは「電気製品的な道具」である以上、電子機器部分の処理能力が有り余ってしまうため(というと御幣があるかもしれないが)通常は必要がない余剰ともいえる仕事までさせるようになってきた。
そのため、設定のメニューは複雑で深い構造を持ち、希望する項目にたどり着くために苦労する。また恐らく一生かかっても一度たりとも使わないであろう機能さえテンコ盛り...。
結論から言えば、使う必要のない機能は知らなくても良い。
「あったら便利...」的な余分な機能は、使う必要もない。
クルマの性能は「走る、曲がる、止まる」だ、というようなキャッチが過去にあったように思う。
同じように、カメラは「絞り、シャッター速度、ISO感度が設定でき、必要とする性能を有するレンズが装着でき、フォーカスが任意に調整できれば良い。」となる。
もちろん、画像のファイル形式や解像度など、記録ファイルに関する部分も大切ではあるし、操作感というマンインターフェイスも重要だ。が、道具としての基本的な操作さえ判っていれば、自由に表現するための道具としては要件を満たすはずだ。
取扱説明書に記載されている事項をすべて暗記し、瞬時にあらゆる機能が操作できるようになったとしても、それと自分が意図する写真が撮れるかどうか?という点には直接の関連性は見出せない。
機器メーカーの担当者に喜ばれることが「使いこなし」ではないのである。
【カフェで学ぶフォトレッスン】より一枚。
この場の雰囲気と質感を感じていただけるのではないだろうか。
金環日食フィーバーより大切にしたいもの

金環日食フィーバーに明け暮れた一日だった。
この国の人々はいつからこんなに「群れる」ようになったのだろうか?
300年後なんて生きていないから絶対見なけりゃ!
というのも判るが、18年後には北海道に行けば再度太陽リングに会うことができるらしい。
それに、海外も含めると結構な頻度でチャンスはやってくるのではないか。
何か、情報統制というか、目先の話題に踊らされる悪いクセが付いているのではないかとさえ思える。
とはいえ、自分自身も早朝から近場の山の中腹まで登り「イベント?」に参加した。
リング状に見える瞬間は、日食メガネを通してしっかりと脳裏に焼き付けた。
でも写真は撮らなかった。
もっと大切なアクションがあるはずだから。
この瞬間に何を考え、何を願っただろう?
「見た!」だけで良いのかもしれないし、人様の行動にクレームを付けるものではない。
だが、千載一遇のチャンスだからこそその瞬間にしっかり考えてみたいものがあるはずだ。
継続して仕事が続けられることのありがたさを思い、一緒に時を過ごす家族や仲間に想いを馳せる。
午後に開催したカルチャーのクラスで巡り会った蜂の姿。
ご参加いただいた生徒さんから蜂が蜜を求めて飛んでいる、との言葉があり偶然撮影することができた。
私にとっては、webに溢れる似たような日食写真より、参加いただいた皆さんと共に過すことができた充実した時間とこの一枚の写真のほうがよほど価値がある。
まだまだ...と言っているうちは階段を上がれない

色々な方々とお会いし、さまざまな意見や言葉に触れる機会が持てること。
カルチャーでのフォトレッスンや個別クラスでお会いする多くの方、それぞれが貴重なご縁であり宝物と言っても過言ではない。
だが、その中で「私はまだまだ...。」「私にはカメラを全然使いこなせていないのでダメです...。」と枕詞のように仰る方が一定の割合で存在する。
こうした言葉は日本語独特の言い回しなのだと思う。けれども、まだまだ...と話しているうちは、いつまでも「まだまだ」の世界から抜け出せないように思う。
まだまだ、であるなら、自分の目標とする到達地点はどこなのか?
まだまだ、であるなら、いつまでに満足できる結果を出せるのか?
そして最も重要なのは、どういった部分が「まだまだ」であるかという認識と、それを改善するためには「何が必要か?」を理解し、実現しようとアクションを起こしているか?
ではないだろうか。
ゴール地点とそこに到達するまでの具体的なスケジュール、そしてそのための手段が見えていないと、絶対に階段を上がることはできないはずだ。
カルチャーでも、まだまだ、の言葉を発する方はレギュラーのカリキュラムを終えた時点で去って行かれるが、まだまだを口にしても、その後一つづつ結果を出して行く方は進歩がハッキリと目に見える。そしてその後もwebを通してご縁が続くことが多い。
心を込めて撮影をしましょう。というのがハヤリらしい。
心を込める、というのは具体的に道具としての機材をどのように操作するのか?という部分が抜け落ちている。これでは「まだまだ」の世界から永遠に抜け出せないように思われる。
なるほど、まだまだ...を連発する人も増えるわけだ。
盛衰の分岐点はここにある

流行る店、そうでない店...。
感じの良い施設、そうではない施設...。
何が違うのだろうか?
小学校のときに「相手の立場に立って考える」という言葉を学んだ。
お互いが心地よく仕事ができる環境を考える。
お互いがスムーズに進行できる配慮を忘れない。
双方が共に良い結果を出せるようなアクションが必要なのだと思う。
もちろん、ビジネスである以上は売上確保や利益追求を抜きにはできないが、忘れてはならない配慮と感謝の心に結果はついてくるものなのだろう。
数多くの見積依頼やお問い合わせをいただく。
スケジュール確保が必要なので「可否の回答」を必ずいただきたいとお願いをするが、受注にならない場合の大半は、何の連絡もない。
それは見積というプロセスにおいては何ら問題ではないのだが、相手の立場で考える配慮ができない人が選択した結果は、果たして本当に良いものになるのだろうか?
結果には必ず原因があるはずだ。
人の振り見て我が振り直せ、という教訓。
盛衰の分かれ目はこんなところにあるのかもしれない。