どうして一味ちがうのか

写真には撮影者の思いが内包されている。
撮影時に感じたものが、作品を見る人にも伝わる。
「どうも後から見ると違う」と仰る方も、確かにその瞬間の思いを込めて撮影しているはず。
なのに何故伝わりにくいのだろうか?
この答えは、カメラには「思いを感知するセンサー」は備わっていないし、作品となった写真には「思いを伝えるパウダー」は付属していないから。
思いを伝えるには、見る側の人がそれを感じることができるような形や表現にしておかなければ伝わらない。
至極当然のことが、なんでだろう...。となる。
カメラマンでなくても、今の時代は機材の性能が高いので十分に奇麗に撮ってくれるよ...。
だとか、
思いを込めて撮れば誰でもココロを伝える写真は撮れるのですよ...。
といった、
まるでマインドコントロールかと見まがうような言葉が当たり前のように聞かれるようになり、上記の疑問はより強くなってきたように思う。
単に機器のキャパだけに依存したり、精神論を語るだけでは結果は出ない。
そこには、キッチリとした理論や原理原則があり、結果が出るような操作をしなければならない。
このオレンジたちを撮ったiPhone5カメラには「おいしそうセンサー」は付いていないはずだ。
質感や空気感というもの

最近、耳にする機会が非常に多くなってきた「雰囲気を撮りたい」という言葉。
それは、場所の状態を表す「状況説明」という意味ではなく、「その場の雰囲気や空気感」といった、感覚的なものであることが多い。
色々な方法や見せ方があり一筋縄では行かないものの、多くの場合、主役と脇役との対比をボケで語る、だとか、明暗差で伝える、光と影で表す、色の配置を考える等々、そこに「対比」を織り込む。
まずは、こうした対比を意識するところから考えるべきであるにも関わらず、とにかく「ボケ具合」だけが語られるのはどうなのだろうか?
結局、この短絡的な思考は、ボケが出るカメラはどれですか?という質問や問い合わせとなって一人歩きする。
もちろん、原理原則があるのでその方法に従えば結果は変わる。
だが、写真表現という世界は、チェーン店の接客マニュアルのようにはならないし、その考え方を続ける限り「雰囲気を撮る」目的は果たせないかもしれない。
ファインダーを覗くことに意味がある

Canonから”EOS M”なるシリーズが発表され約三週間ほど経過した。
この間、多くの方から「これどう?」「あなたは買うの?」と、意見を求められる機会が多かった。
私の答えはただ一つ。
「ビューファインダーがないことにはコンデジと一緒。」ということ。
メーカーサイドでは、色々な可能性を探りさまざまな展開を用意しているはずなので、これからビューファインダーを備えたモデルやオプション等で対応してくるだろうことは容易に想像できる。
画質だとか各種スペックに現れる性能、キャラクター。それはもちろん重要だが、写真(や映像)を撮る道具である以上【操作性】というファクターは絶対に外して考えることはできない。
色々な場所で、操作性というものが作品のクオリティにまで影響する点や、撮影意欲に及ぼす影響などにも言及してきた。今後、小型化をウリにするミラーレスカメラが普及し、大きなミラーを備えた従来からの一眼レフは特定用途に限定されて行くであろうことも想像に難くない。
だが、自分の目をファインダーに着け、腕と手の延長線上にある道具をホールドするスタイルは、コンデジのように片手で支持し、目とモニターが離れた状態で撮影する写真とはまた違った世界を切り取ることができるものである。
この点に言及する人は皆無に近い。
構図さえも機械が勝手に決める上、シャッターのタイミングまで機械がやってしまう時代になってきた。
お手軽、お気軽、イージー操作の自動化は止まらないだろうし、ユーザーサイドでも歓迎されることだろう。でも、だからこそ、自分の意志でパラメータをセットしファインダーを覗いて撮影する、というスタイルが対極に存在するはずだ。
手指の先にあるカメラを両手でホールドし、ファインダーに目を着けて撮影するからこそ撮ることができる絵が存在する。
道具として語る以上、「ファインダーを覗くことに意味がある」のである。
この感覚...判る人にはわかるはすだ。
カフェで学ぶフォトレッスンでお世話になっていますNim.cafeさんの店内にての一枚。
初心者だから一眼レフは無理って??

以前から良く耳にする言葉...。
「初心者だから」入門モデル。
「初心者だから」小さなコンデジでいいや。
果たしてこれは正しい選択なのだろうか。
クルマの運転免許をとって、まず購入するのは中古の軽自動車、といわれた時代もあったように思う。
若葉マークのビギナーだから、万が一何かに当てても傷が気にならない中古で。そしてハンドリングの楽な小さなクルマ。という意味合いだったはずだ。
だが、この考え方は時代とともに変化してきている。大体、当てたり擦ったりすること自体が問題だ。当てても良いように。ではなく、当てないように安全第一であるべきだ。
カメラの選択でも似たような発想で語られているように感じる。
道具は「最終的にアウトプットされるクオリティや必要とされるキャラクター」によって選択すべきであって、道具の大きさがまずありき。ではない。
大量の荷物を運ぶ目的ならば、そこで使用されるべきクルマはトラックであって乗用車ではない。
同じように「大きなボケ味を活かした写真」が欲しいならそれはコンデジではなく単焦点レンズを装着した一眼レフである。
でも、一眼レフは機能が多すぎて使いこなせない。と言い訳する。
これも間違っている。機能が多すぎるのはむしろコンデジかもしれない。シーン別のモードが数えきれない(例えだが)ほどある上、何か変更するにも複雑な階層構造の迷路に入らないと設定できない。ここで時間を取られてしまうのなら「こちらのほうがよほど使いこなせない」ということになる。
大きくて重いから嫌。というのも言い訳。
10トンの荷物を運ばなくてはならないのに、トラックは格好良くないから左ハンドルのオープンカーを使いたい。というのは目的と手段の認識自体が間違っている。
パンフレットの表紙を飾るような派手なボケを活かした写真が撮りたい。のなら、ある程度の大きさと重さは不可避である。スマホやコンデジでは無理な世界だ。
道具とは、最終結果を出すために使用するものであることを忘れてはならない。ビギナーであることと、求めるアウトプットを出せる道具であるかどうか?には関連性はないのである。