訴えるチカラ
どれだけ文法に忠実であるか?
だとか、
どれだけ美しい文字が書けるか?
よりも。
どれほど強く心に訴えるストーリーが創り出せるのか。
残された時間は無限ではないのだから...。
フォトコンテスト
撮影、という括りで見ると、映像案件のウエイトが高くなり、すっかりスチルの世界から離れてしまった感が強いここ数ヶ月...。
だが、自分が撮影することだけが仕事ではなく、フォトコン審査等でのご縁も続き、日々写真に触れる機会はむしろ増加傾向にあるかもしれない。
さて、今年も定例の選考で数多くの作品にお目にかかった。
応募なさる方のレベルも年々高くなり、伝える力のある作品が増えてきた。
大変心苦しいのは、概ね三十点に一つ程度に絞り込まなくてはならないこと。
力作揃いなので、その時点で選考から外さなくてはならない作品と応募者の方には本当に申し訳ない思いで一杯である。
今回、特に印象的であったのは、「自分の表現方法で伝える力のある作品」が増えてきたこと。
写真はその一枚の中で語る必要があるため、「何を伝えるのか?」が明確であることは大切だと思う。
お花がキレイだったので撮ったんです。
建物の形が印象的だったから撮ったんです。
空がキレイだったので撮ったんです...。
これは見れば判る。
でも、そのお花の花びらが少し傷んでいて夕日にオーバーラップして...。どこか物悲しい。
その物悲しさが観る人に伝わる。
お花の向こうに人が居て、その人にドラマ性がある...。
そしてそれを見守るように手前の花が語る。フォーカスはもちろん手前の花に来ている。
こうした、撮影者の感じた気持ちを込めてみる。
表現とは、高度な技術や高価な機材でなくては結果を出せない手法ももちろんある。だが、誰にでもできる方法であっても伝える力がある作品は、間違いなく伝わる。
そして何よりも、光をうまく使いたい。
観る人に心地よく、でもストレートに力強く。
写真は「動かない」から、作者と閲覧者の共同作業によって物語が創り出されることを再認識。
ストロボやフラッシュ禁止を守る

神戸市立王子動物園のニシローランドゴリラ「サクラ」(メス・推定37歳)が12月12日に死亡。
とニュース記事。
過去から、ゴリラ舎の前にはフラッシュ発光の写真撮影は禁止といった内容の注意書きがあった。
神経質でメンタル面に影響が出ると健康を害するから。といった説明だったように思う。
こうした注意喚起の掲示があるにも関わらず、発光させて撮影する人が一定数出てくる。
もちろんそれは悪気があってのことではなく「発光停止」の操作そのものができない(設定方法を知らない)、といった状況もあると思う。
コンデジでは複雑なメニューに入らなければ発光停止できなかったり、まるでスマホ画面のように操作ボタンが一切なかったりする。しかも判り難い。
一眼レフでは、緑色四角に合わせたフルオートで撮ると、暗所では勝手にストロボが立ち上がって発光してくれる。
撮影のための操作に関して「何も考えず」ボタンを押すだけで写真が撮れる...。
といった流れが当たり前になってくると、人間は頭を使うことをしなくなる傾向があるのだろう。
暗所では撮影者自らが「発光停止」の操作をしなくては「自動で勝手に発光する」んだよ。というところまで思考が回らない。
禁止の場所ならば「自動で発光"停止"」するんだろう?それが自動じゃないの?
などどカン違いする人たちまで現れてくる。
自ら考えることを放棄した人間の将来はどうなることだろう。
たかがフラッシュ・ストロボのことで何を大袈裟な...と笑うなかれ。
王子動物園「サクラ」最後の姿になった。
この眼は何を見て何を考えていたのだろうか。
今年も力作にお会いするのを楽しみに

ここ数日で一気に冷え込むようになった。
既にコスモスの丘は模様替えされているものと思う。
春には菜種畑になるはずだ。
昨年は台風でコスモスとの出会いはお預け。
今年はシーズンぎりぎりで何とかその姿に間に合った。
セミナー内サンプルより一枚。
今回も力作を拝見できることを楽しみに...。