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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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日本にあるモーツァルト像

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今日は写真から少し離れてみたい。

モーツァルトメモリアルイヤーは昨年で終わり、「〜ゆかり・〜いわく」好きな日本人の眼中から消えたかのようだ。
しかし、本当にモーツァルトの音楽が好きな人は、生誕250年の記念など関係がない。

そんなファンや音楽家の想いによって建てられたモーツァルトの像が日本にある。
1991年11月2日に記された銘板には、「この像は、偉大な音楽家W.A.モーツァルトを追憶し、没後200年を記念して、全国有志のご協力により建設されたものです」とある。

オーストリー本国で製造された像の設立除幕式には、オーストリア大使も列席するイベントであった。16年前のことである。

今日は、この像を写真撮影する必要があり足を運んだ。
像の前の広場は、校外学習に来ている多数の学生が走り回っていたが、その集団が去ってしまうと周囲はひっそりと静まった。

ザルツブルクに旅行し、記念写真をwebで公開する人は数多い。
しかし、この日本のモーツァルト像を載せているのは私だけではないだろうか。
もっと注目されても良いと感じた。
あと34年すると、今度は没後250周年で盛り上がるのかも知れないが...。

ちなみに、私は幼少の頃から音楽に親しみながら、音楽家にならなかった(なれなかった)人間である。
社会へ出てからも大きく遠回りをしながら、今は「記録する 形に残す 感動を伝える」役目に徹している。
私の事業は写真撮影だけでなく、ビデオ撮影・録音に始まり最終のディスク化までトータルコーディネイトすることである。
------ ご存知?

お願いします!って何?

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最近、目に付いて仕方ない言葉。
「お願いします!」

当然、私もクライアントさんとの間でよく使う。
しかし、それは目的と手段とすべての提案事項を伝えた上での「ご発注をお願いします」
である。


11日掲載の「商品に感謝する」に対して届いたあるメール。
ご本人には説明し、ここでの掲載も許可を頂いたので載せてみたい。

「どんな機材と照明で撮ったのか教えてください。お願いします!」
はぁ?
アナタ間違ってませんか?

別に出し惜しみするつもりは無いし、そんな高度なテクや設備は私には無い。
でも、聞き方というマナーがあると思う。

このサイトの左サイドには私の使用機材が書いてある。
であるなら、
「Bodyは1Nですか1D2N。それとも10Dですか」とか、
「ライティングは2灯か3灯のように見えるのですが差し支えなければ勉強の為に教えていただけますか?」とか、
言い様、聞き様があるはず。

まず、自分はこう思うのだがいかがですか?合ってますか?
という聞き方がスジだと思うのだが。

過去にも似たようなコメントをアップした日があったように思う。
それに某有名メルマガでも似たようなことを書いている人が居た。


な〜んか、日本、おかしくないですか?
中年のたわごとで笑って去ってください。
でも、ちょっと変です。

今日の画像。
コメントの内容と全く関係ありません。

でも...。
「このカット、どこで撮ったんですかぁ。教えてください、お願いします!」
ってメール。届きそうやな...。

とにかく撮る!は間違いだ

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デジタル化が進むと同時に
「とにかく枚数を撮る」のが上達への近道!
と、誰しも口をそろえる。

しかし、これは、もう一つ言葉を付け加えなければ間違いだと思う。

そのもう一つとは...。
「何をどう撮りたいのか事前にイメージすること」

単に撮る枚数だけが多くても意味がない。
「今日は桜の写真を100枚も撮ったよ」
という人。

「それは素晴らしいですね。」
と私は通り一遍の答を返す。

しかし、その人の写真は ”どれも同じものばかり...”

「何を撮りたいの?」

別にいいじゃない。その人の好きなようにしておけば...。

ええ、確かにそうなんですが。
いい加減、見せていただくの、飽きてきました。

今日は花嫁さんの美しいカットで眼を休めたい。
と思った。

「忍」の一文字

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寒さを忘れ、陽だまりで身を休める猫。
ほのぼのとした雰囲気を感じる。

しかし、これは野良猫。
私は(近隣住民も)これでもか!というほど、ノラ迷惑の限りを被っている。

確かにかわいい。
事実、私は被写体としてレンズを向けた。

が、ノラに餌付けをする行為は間違っている。
かわいさの対極には、近隣住民への迷惑という避けて通れない事実が発生する。

自分の費用で餌をやって何が悪い?
といわんばかりの態度は、近所付き合いと住環境の悪化以外、何ももたらさない。

苦情の言葉が喉モトまで出かかって飲み込んだ。
続いて発したコトバが新年の挨拶であった。

「忍」の一文字を忘れてはならない。
という教訓か?
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