道具に向き合う心構え

多くの方が勘違いする事項。
それは道具に対する心構え。
仕事で使う場合には「荒っぽく・ぶつけたり放り投げたり」しているように思われている。
だが、それは大きな間違いだ。
よくメーカーがPRの一つとして、堅牢性や耐久性を大々的に謳うので、業務使用の場合には誰しも荒っぽい使い方をしていると勘違いされる。
これはむしろ反対で、仕事で使う道具だからこそ丁寧に扱うのは基本中の基本である。
荒っぽい扱いをしてトラブルが起きると仕事を遂行できない。
出来れば雨の中では使いたくないし、潮風を受けるところも避けたい。
なのに、無理にそのような環境で使ってトラブルを誘発させるような人たちも存在しているようだ。そして、メーカー批判や機器批判をする。
あるいは、トラブルにならなくても、そんな過酷な条件でプロは仕事してんだよ!とアピールしたい一握りの人たち...。
幼少期に初めて買ってもらった「ゴム長靴」が嬉しくて、わざわざ選んで水溜りばかりを歩いた経験は誰しもあると思うが、「無理に」道具を傷めることは愚かである。
その環境でなければ仕事が遂行できないのか?
その環境を避けることで違う提案やアウトプットができないのか?
こうした思考をアタマの中で一瞬でも考えることさえせず、これしか方法がない...的な行動に終始し、これだけキズだらけなんだぞ!と武勇伝にしてしまう一部のプロが存在するから勘違いが蔓延する。またそれがカッコいいと思っているから驚く。
キズが増えるのは事実だが、それは使用時間・回数が極端に多いために必然的に増える訳で、荒い扱いで増えたものではない。
昨年は、多くの生徒さんの機材購入のご相談に回答させていただいた。
それと同時に、機器に不要なストレスがかからない置き方などにも言及している。
一人でも多くの方が、道具を大切にする気持ちを忘れないでいただきたいと思う。
プロは決して荒っぽい使い方をしない。仕方なくそうなってしまう環境もあるのは事実だが。
(こう書くと、今度は防湿庫から出せないとか、埃がつくから使わないとかの意見が出てくる...直前の記事に書いた「On,Off」の両極端思考だ...。これは違う。)
Lumix FX100 f5.6 1/8 ISO200 MWB 卓上蛍光灯1灯 型番部分にスポットレフ
デジタル思考というのか?

デジタル思考という言葉があるのかどうか不明だが...。
何か、電源スイッチのごとく「二者択一」しかないような事柄が増えているよう...。
色々な機器や機材も、特性や操作性にあまり変化が見られないと思いきや、突然破綻するような極端な現象が起きる。そんな機材が増えているように感じる。
一次直線のように、自らの操作の度合いと特性変化が予想できることが道具としての必須条件だと思うのだが、それはもう過去の遺物なのだろうか?
これは、操作を行う人間側が、On 、Offの二者択一的な思考をするようになったこともあるのかもしれない。
公道を走る車にも、アクセルとブレーキを、On 、Offのまるで家電のスイッチのように扱う運転を見るケースがある。
こんなクルマに同乗すると間違いなく酔ってしまう。そんなドライバーに限って全く意識がない。
且つ、自動車メーカーも「少し踏むだけでガバっと動くことがレスポンスが良い」とし、「過剰に踏んでも急発進しないことが危険回避になる」という感じのアルゴリズムを組んでいる。
だから、微妙なコントロールが行いにくい。
人間がそんな感覚になってきた一つの例。
「写真はボケることが偉い???」「背景がボケない写真はダメだ???」
このところの記事でも、背景ボケを大きくとったイメージを掲載したが、どうやらこうした「ボケ具合の大きな写真」が偉い...と勘違いしている人が増えているようだ。
これは、対比を語る一つの手段としての背景ボケであり、コンデジではそうした絵作りが難しいために、一眼レフが注目されている。
だが、ボケ以外にも「語る方法」はあるわけで、「背景がボケない写真がダメ」とは決して言えない。
「良い写真、悪い写真」というのは存在しないし「こうでなくてはならない」という決まりもないはずだ。
背景がボケないなら、それを利用したイメージを作れば良いし、そこに感性を盛り込んで欲しい。
さまざまな出会いがあった2009年に感謝!
Lumix FX100 内蔵ストロボ ON(ティッシュ一枚を使った間に合わせディフューザー)、ワイヤレススレーブストロボ2灯使用。 ISO125 F5.4 1/30 AWB。
「何を使うか」ではなくて

大切なことは...
「何を使うか」ではなくて
「どのように使うか」だと思う。
道具は自分の手足となり、また時には声や文字に匹敵する力さえ発揮する。
携帯電話は、音声通話にとどまらずwebへの「どこでもドア!」であり、
コンデジは、写真撮影にとどまらず映像や音声記録の「アーカイブツール」となり、
手帳は、スケジュール管理にとどまらず「思考展開の場」となる。
コミュニケーションを図るには、より高機能を持った電話機でなくてはならない...?
写真を撮るなら一眼レフでなければならない...?
映像を録るなら高価なビデオカメラでなくてはならない...?
イメージを膨らませるには、大きな手帳でなくてはならない...?
形から入る方法も必要な場合があるが、目の前にある限られた道具を使って、いかに高度かつ高付加価値な仕事を遂行できるかが本当の実力なのではないかと思う。
当然、道具の違いによる歴然とした差があり、その道具でなくてはアウトプットできないものがあるのは事実だ。それが求められている場合に限ってはその考え方は必要だ。
○○でなければ、○○はできない。
ではなく、
○○だけれども、○○ができる。
と置き換える。
実際に、私はコンデジでも仕事をしている。
それは一眼レフには出来ない仕事でありそこに価値を創り出しているからこそ代価を得ることができる。
「形から入る」ことは一つの方法として有効だと思うが、「形から入る人」には違和感を感じる。
大切なのは「何を使うか」ではなく「どう使うか」だ。
5D mark2 50mm f1.4 ISO400 絞り優先AE f2.0 -1.0EV
意表をついた表現

「変わった表現でなくてはならない」
「今までとは違う方法が必要だ」
そんなコトバを聞く機会があった。
「人目を惹く」ために必要な手段ということだった。
過去に存在しない価値ある創作という意味においては敬服するに値する。
また、それがアートとしての表現手段や作品創作という範囲においては。
だが、その「非日常的」部分をレギュラー商品やサービスに落とし込まれると、何か違うぞ!と違和感を感じること甚だしい。
味の世界、写真の世界、映像の世界しかり...。
理解できないのは自分の感性が低いから。だけでもないように思う。
それを「芸術」のコトバに包んで押し売りされると大変辛い。
私が理想とし追求するのは「非日常的・非現実的」ではなくとも、訴えるものがあり伝わること。
基本を磨き叩き上げて、初めて得られるものがあるはずだ。
それは進化を否定するものではないし、機械や技術の進歩による機能も享受して活用すれば良い。
ここで勘違いする人は、AFより自分の目が優れている、というような変な方向に話題が逸れる。
「訴え伝えるためには手段がある。それは非日常的な意表をついた表現ではない。」
今日のカットは目前を走り抜けるバトンタッチ。
静止状態を撮ったものではないし、連写したものでもないので一応...。