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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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何でも極端にすれは良いのか?

アンダーな世界にも光が必要
いわゆる「インパクトを与える方向への自動補正」というパラメータには、コントラストとブライトネスを極端に上げて処理するものがある。

極端に暗く撮っても、その中に「光を感じる部分」があったり、反対に過剰なまでに明るめに撮っても、そのギリギリのところまで「階調が残っている」から表情豊かに見える。
ローキー、ハイキーという表現はこの階調が命。

他方、見る者に対しハイコントラストでストレートに圧力をかけてくる絵もある。
どちらが良くてどちらが良くない、というものではない。

これらは、撮影者の意図が第一であるはずなのだが、世の流れは「とにかくハイコントラスト、とにかく高ブライトネス、とにかく高彩度」に処理すれば良いといった感じになってきたようだ。

何でもとにかく極端にやればいいんだ、という単純発想ではなく、両刀使いでありたい。
と思う。

フォトコンにエフェクトはどうなのだろうか

写真で伝えたいものは何なのか安易にエフェクトに頼らない

長期間の作業が続く案件のため、web系の活動は少しお休みをいただいた。
桜の便りが届く頃には再び色々な公開が可能になるものと思う。

さて、標題について。
私は一定期間ごとにフォトコンテストの審査をさせていただく機会がある。
今回も力作揃いで、選別という非常に辛い作業をしなければならなかった。
今回、初めて目にしたのが「アートフィルター」と呼ばれることも多い、画像エフェクトを適用した作品。

これが良いのか良くないのか。
主催者側で明文化されていなければ適用した作品を応募しても良いのか?
といった、根本的な部分を考えざるを得ない時代になったのかもしれない。

ただ、極端にデフォルメされてしまうと写真作品ではなくなってしまう。
今でも、フォトコンの応募には、基本的にトリミング不可、画像処理不可、など、加工を歓迎しない条件であることが多い。
それは、写真撮影という手段によって撮影者の意図したものを表現する場であり、作品によってそのスキルを競う場であるからである。

このような決まった枠の中でどれだけのアピールができるのか、といったデリケートな部分をすべて崩壊させるほどの「強すぎるエフェクト」は、時代が変わってもやはり「No.」だと思われる。
ソーシャルの世界では、エフェクトがまずありき、といった風潮だが、これがデフォルトになる時代はまだ先だろう、あるいはそのような時代は来ない可能性も高い。

光と影、色の対比、コントラストや画面内配置...。
自分の表現をアピールする手段は、エフェクトに頼らなくても無限にある。
エフェクト遊びは自由だが、少なくともフォトコン応募作品は、エフェクトに頼らない。
これはまだまだ当たり前だと考えて良いはずだ。

大きく色が異なる光の条件では

IMG_6657_400.jpg
本日(2013.2.18)のソリオステップアップクラスより。
店内の電球色と雨天の屋外光という、大きく色温度の異なるミックス光源環境において、大きく色転びが起きないような調整を行うというテーマ。
元々異なる色が混ざっている条件では、どちらかに転ぶことが多いと思われる。
基準となる定規を一つ持っていれば、後調整の負担も軽減されるのではないだろうか。

間違った加工はしない

IMG_5511.jpg

料理には適切な加工や味付けが必要であり、生の食材だけでは料理になり得ないはずだ。
では写真作品はどうなのだろうか。
これも似たように、撮影者の意図を反映すべき味付けや加工があってしかるべきだと思う。

多くの方から、写真のエフェクトについて意見を求められることが増えている。
基本的な考え方は「料理と似通っている」部分が多いように思われる。
生のままでは料理ではないし、美味しいとも言えない可能性が高い。
写真も「撮って出し」では作品ではなく記録や素材レベルでしかないかもしれない。
適切な加工は必要であるし、加工処理自体を否定しない。

しかし、「より美味しく食すために味付けや加工処理」を行っているはず。
ここを間違える人が多すぎるのではないだろうか。
美味しくならない方向への加工は、もはや料理とは言えず、食材に対し失礼ではないか。

撮影画像を劣化させ、見る人に不快感を与える写真...。
間違ってはならないと思う。

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