画像処理も大きな楽しみの一つ

「画像処理」と聞くと、何だか難しそう。といった声が返ってくることが多い。
でも、スマホカメラのフィルターは無条件にそして無意識に掛けている人たち...。
そのフィルターは作品構築に際し必要がないであろうことが多く、且つ元に戻すのは難しいレベルのデータ破壊がなされるものであっても「それしか知らないし、それ以上面倒なことはしたくない。」と。
階調と色についてほんの少し知るだけで、そして高価なソフトを購入せずともOSがデフォルトで備えるレタッチソフトをほんの少し操作するだけで、まさにスマホカメラのエフェクトの感覚で「更に魅力的な」結果を得ることができる。
こうした事実を知らず、面倒なことはしたくない。と仰る。
撮影時点でのちょっとした楽しさを知って欲しい、もっともっと世界が広がるよ。
とお伝えしてきた。
だが、これからは画像処理部分にも限りなく広がる楽しさがある。といったことを伝える必要があるように感じている。
それは、用意されたプリセットフィルターに自分の感性を押し込むこととは桁違いに大きく広く、楽しい世界だと。
触れば触るほど劣化する

濃い味付けに慣れた平成の世。
本来あり得ない色彩感のポスター、パンフレットが溢れる。
鮮やかで人目をひくことが大命題。
他方、データとして見ると、明らかに破綻していたり酷いbandingが出ていることも。
しかし、アイキャッチの目的を果たせればそれで良いのだろう。
(この画像もかなり酷い綻びが表面化している)
似たような事例。
制作の現場においても、編集者やマネージャーが抽象的すぎる指示を出す。
「もっと活き活き感が出せないか?」
「更にイマドキ風のイメージが欲しい...。」
責任者がOKを出すことが大命題。
でなきゃ、進行がストップするから...。
いずれの事例でも共通すること。それは、
「触れば触るほどに劣化し、本来の目的から遠く離れ出口の見えない迷路に入り込む」ことが多い点。かもしれない。
公式サイトのフィルターミスマッチ

「見て欲しい私の作品はこれです!」
といった主張があるなら、どんな加工をしようがそれはその人の自由。
高価なソフトウエアを買う考えなどサラサラ無いし、難しい加工なんてできない...。
結局、用意されたチープなフィルターを適用...っと。
いつもの但し書きを一応。
どのように遊ぶかはその人の自由だ。
ただ、
見ていただく人に「どのような印象を与えるだろう?」といった観点を持っておくことは必要ではなかったか。
企業アカウントなら尚更。ましてお遊びの範疇ではない。
看板商品の写真とフィルターのミスマッチを感じさせる時点で、企画室やデザイナーへの投資を怠ったことが伝わってしまう。
中の人のセンスが判る恐ろしい時代になった。
未だに理解できない?経営陣を説得する管理職諸氏の努力が報われるのはいつになるのだろう。
いや、既に彼らの思考回路も大切なものが欠落しているかもしれない...。
自分の記憶に近づける

「画像処理の重要性は判ったけれど、何をどうしたら良いのか?」
こうした声が増えている。
一つの解は「自分の記憶」に近づける。といった方向性を追求してみること。
撮影してみても、思ったほど綺麗に写らない。
と仰る。
ならば「思った」のは「どのような色で、どのような明るさで、どのような階調」を持っていた被写体だったろうか?
その印象に近づけて行く。
多くの場合、カメラがデフォルトで備えるコントラストは高めで明暗差が強い傾向にある。
これは、パッと見の印象でインパクトが強くメリハリを感じるような味付けにしているため。
また、一次直線的に露出と階調が変化する。
画像処理時点で、安易に露光量だけを触ると、ハイライトは直ぐに飛ぶしシャドウは潰れたかのように沈む。
結果として、カメラが記録してくれたデータをいとも簡単に無くしてしまう。
ピアノの胴はしっかりと締まった黒を維持しながら、ロゴは煌びやかに。
アール部分のハイライトは飛んでも良いが、装花のハイライトは飛ばさない。
背景のブルーの深さはどうだった?
と、自分の記憶を元に仕上げたい最終イメージに近づける。
思ったほど綺麗に撮れない。
と仰る、その「思った」部分を言葉にしてみる。
そこから必要なプロセスが見えてくる。
そして、処理を経て望む結果を手に入れる。その楽しさを味わいたい。