向こうから語りかけてくる

それは言葉ではありません。
でも、
何か、目では見えず手で触れることもできないながら、何か。なんとなく。
それが生命のエネルギー波動だと知り得ます。
しかし、
その周波数に合致しなければ決して感じることができないもの。
きっかけとなるキーは、
「色」かもしれません。
「匂い」でしょうか。
あるいは、
「音」なのかもしれません。
ですので、いきなり目に見えないものなど感じられない...と落胆する必要はありません。
まずトリガーとして、五感で受け取ることができる波動があります。
それを受け取ることから始めてみます。
この場合は「色」でしょう。間違いなく。
対比・コントラストが強いので目を引きます。そこに意識が合います。
補色関係の赤と緑。
逆光の光と影。
その強いコントラスト。
そう感じた瞬間に、その色や光の周波数に合致していることをまず認識する。
その入り口をくぐったならば、そうすればこそ、
「その生命存在が放つエネルギー」を「なんとなく」感じるはずです。
そういうもの。
そういう感触のものだと。
もっともっとその波動へと合わせてゆきます。
すると、
小雪がちらつく氣温であっても、暖かい感触を得ることがあります。
曇っていた空が瞬時に晴れ渡ります。朝からずっと厚い雲に覆われていたはずなのに。
これを偶然だ、たまたまだ、と片付けてしまうのは自由です。
けれど、
この先に心のふれあいを大切にし自然と共存する世を創り上げるためには、そんな「些細」で「手で触れることも目で見ることもできない」感覚・感触が必要になります。
幼児期に言葉を覚えてゆきました。
満足に理解もできないながら、物に名前があることを理解し、状態や状況を示す言葉があることを知ります。
それは、手に握ることも口に入れて味わうこともできません。
でも、言葉として「名前や表現」をする手段があることを理解し知識として蓄積してきました。
目に見えないから信じない。明確に触覚がないから信じない。
乳幼児が、口に入れて味がしない・食べ物じゃないから、言葉なんて・物に名前があるなんて信じない!
などと拒否していては一切の成長が閉ざされてしまいます。
同じではないかと感じるのです。
凝り固まった悪しき洗脳を自分でクリアしなければなりません。
モノを捨てたから浄化が完了したのではありません。
そして同時に、
静かに過ごす。
穏やかに生きる。
必要とされないノイズから離れる。
そうしなければ、微細で繊細なエネルギー波動は感じられないのだと知ることも必要でしょう。
だから静かに過ごすのです。
朝っぱらから、前代未聞の大雪だ記録的な寒波だ、なんだ、とオールドメディアに触れ続けている愚を。
朝起きた瞬間から、人と比べ負の周波数に落とし込まれるタイムラインに触れる愚を。
もっと言えば、
仕事だから仕方ない。生活のために仕方ない。そういう言い訳そのものも、もうやめる時間はとっくの昔に終わっています。
それを続けるのは自分の選択。
そして、自分の選択が自分に降りかかる結果を生み出します。
向こう側から語りかけてくる感覚。
向こう側から話しかけてくる微細な感触。
静かに、穏やかに生きるからこそ感じ取ることができます。
そして、その感覚・感触を大切にする人たちだけが、この先の世を創り上げ歩むことが可能になるはずです。


