取り憑かれていることを知る

思考は瞬間的に乗っ取られてしまいます。
しかもそれを認識できません。
麻痺しています。
自分を観察・俯瞰し客観視する能力が。
乗っ取られている=憑依されているとも言い替えることができるのではないでしょうか。
そんなエネルギー存在があるわけない?頭おかしいやろ!
そうでしょうか。
だからあなたには氣づかないという永遠のスパイラル。
学ぶべき教程を達成できなかったので、わたしは来世以降、他の地で勉強し直します。最悪50億年間やります。
という意志表示をしていることにさえ氣づくことができない。悲しい状態。
同じく、
わたしは他星系の司令官と繋がっている!だとか仰る方々も、相当イタイのではないかなと感じます。
エネルギーを感じるのは言葉ではないと思われますし、何となく、でも押しの力が強いか弱いかという感覚だと思っています。
明確に言葉が聞こえるかどうかは、人それぞれかとは思いますが(わたしには聞こえません)、「そこに力」がある場合にはそれを明確に感じるはずです。
いえ、力があるぞ〜...などとも伝わってきません。
至って「自然に」「無意識に」自分の周波数と合致し、袖丈がビシッと決まった服を着ているように。
あるいは、「無意識に」呼吸していることを、ああ、いま息を吸って吐いていたんだ、と認識するように。
逆の場合は、
「大きな違和感」がアドバイザーとしてシグナリングしてきます。
大体、極端に強すぎる力や明確に言葉で伝わる、あるいは大きな違和感を受けるのは、多かれ少なかれ憑依されている証だと思っています。
時間が経てば、それが偽物であったこと、負のエネルギーであったことが証明されて行きます。
取り憑かれていることを知る。
そんな時代に突入しています。
いつまで物質至上、唯物主義のレイヤーに留まり続けますか。
いつまで沈みゆく泥舟に乗り続けますか。
そして、
偽物に取り憑かれながら救世主と繋がったなどと恥ずかしい勘違いをする「ごっこ遊び」を続けますか。
いえ、繋がっていない、というのではありません。負の方向へと誘導しようとする意図を持った力に繋がってしまっていますよ。と。
因果応報と償いの意志表示

枯れ、朽ち果て、地に還る。
そして、
新たに芽吹き、次の世を生きる。
生まれ変わり死に変わり、さまざまに体験を積み、魂の成長向上を目指す。
それが、生きる目的。
このように知り、学び、成長を得ます。
そのための、ひとつのこの世代。
お借りした体を十分に労り、使わせていただいたこと、期限が来れば万感の思いを込め感謝とともにお返しする義務を忘れず。
その期日まで、痛めず壊さず大切に。
毒を体に入れ・口にしたのであれば、的確さを欠いた判断と行為を詫び、相応の因果となる償いの意志表示と行動を。
仕組まれた罠に嵌り続け、今生・今世に騙され続ける選択をしたのなら、次の世で償う必要があることを心に留め。
そして、
その貴重な体験と大いなる仕組みそのものである神へ、重ねての感謝と礼を奉ります。
この国の先人が残した財産に無駄なものはないと知ります。
原因と結果で「因果」それが仕組み

因果の法則、因果応報といった言葉を耳にすると、途端に「何か悪いこと」や「過剰に見返りを期待する」だとかの、極論に意識が飛んでしまうことが多いかもしれません。
文字の通り。
原因があるから結果がある。それを示してくれているだけだと、落ち着いて認識したいものだと感じます。
ハスの茎が全部「くの字」に折れ曲がっている。
なぜだろう、何かよくないエネルギーがこの池に溜まっているのか。あるいは向こう側の構築物に溜め込んだ念が影響しているのか?などと、極論に達してしまいがち。
けれども、単に頭の重みが枯れた茎にとっては重すぎるので折れたのでしょう。
そして、それが湖面に映り込むとともに境界線で対照形にリフレクトするために、余計に折れた部分ばかりのように強調されて見えてしまいます。
枯れた茎には頭の重量が重い。茎にそれを支えるだけの柔軟さと精氣が消滅しただけ。
原因があるから結果がある。何ごとも。
なるほど、
物質・物理実体があって、それが湖面に映り込む。必ず対照に。
鏡の法則。因果の法則。
ならば、より良い結果を導くよう、より良い原因を生み出せばよい。
それは法則だから。
それが大いなる仕組みだから。
そして大自然とすべての存在に対し敬意を払い感謝を忘れず生きてきたこの国の先人。
仕組みこそが「神」であることを知る瞬間でもあります。