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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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本当はもっと緩やかな

天に向かう photo 宮本章光

力一杯。目一杯。
わたしたちは、ずっとそういった印象操作をされてきたのかもしれません。


何かを達成するには努力をしなければならない。
何かを得るには力を目一杯注がなくてはならない。

それは間違いではないでしょう。
けれど、力んで余分な力をかけてしまうと、成るものも成就しないこと。
すでに人生の大半で学び得たはずです。

いつまでもガァ〜と不必要に緊張を強いる。自分から自分自身に対して。
だから力を抜いた瞬間に、答えが導かれる。
ですから、力をフッと緩めた瞬間に、結果が現れるのでしょう。

それは、努力が不要だという意味ではないはずです。
少なくとも、物質化・結晶化した物理・物質次元に生きている以上は。
いつまでも、この二者択一問題のように、どちらか「だけ」に偏る。まるで屁理屈をこねる子供のように、何かを変化させれば、何かは完全に拒否する。
じゃぁ止めるわ。
じゃあどうしたらええねん。などと。


真っ直ぐに自分らしく伸びてゆく彼らの姿、その存在。
彼らは、この野郎〜!と力んで四六時中緊張したような状態で生きているのではないと思われます。

本当は、もっともっと緩やかに、より自由にこの地の体験を謳歌しているのではないでしょうか。
わたしたちは、無理にそして必要以上に緊張を強いる洗脳によって、答えを得られないように仕組まれていたことに氣がつきます。





あとからは何とでも言える

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ジャンケン後出し。
それは違反とされています。
なぜなら、
答えを見た後で、必ず・絶対に自分が有利な立場を得ることができるから。

まったく異なる概念ながら、
後になってから、ああだこうだと言うのも似ているかもしれません。
その場その瞬間ではなく、後になってから批判するのはどうなのでしょう。


審査の立場で他者の撮影作品を評価する場合にも似た感覚を感じたものでした。講評を書く段階では特に。
よって、第一印象に重きを置いて評論(業務上)してきました。
特に配慮したのは、
撮影時点で感じる感覚と同じ「感触」を得られるかどうか。

どことなく、何か分からないけれど良い。なんとなくイイ。
その「感触」が、ほぼ100パーセントに近く正しいことを。

後付けで、構図がどうだ、光の質がどうだ。などと言うのではなく、自分がそのシチュエーションで「撮る」人だったら何を感じるだろう、と。
残念ながら、
そこに「同じ波長」を感じないものは選考から外して行きました。
一般論としては優秀、といった確かに印象的な作品が存在します。でもそうした作品は、他の審査員が選定するので、わたしが選ぶ対象ではないことを。
(一時、それは個人的主観に偏りすぎているのでは?と答えのないループにハマり悩んだことはありましたが。もうフォトコン審査もなくなりました。)


いま、世の中に対する地球人の集合意識。
ああだ、こうだ、と、負の周波数にしきりにフォーカスし、そこに燃料を注ぎ続ける。
その負の力が欲しい支配者層が仕組んだ落とし穴に、いつまでも自分から落ちて悦に入る。
あぁ確かに、幼稚園から小学生時期には、わざと落とし穴に落ちて遊んだこともありました。それがその場を盛り上げる潤滑油になることを知っていたからでしょう。

これまでは、後になってから自分に関係のないものを評論家氣分で、どうだこうだ、とやる。それが少し前までの大多数の意識でした。
それが心地よかったからでしょう。
しかし、もはやその感覚には違和感しか感じなくなっています。
そうではない、わたしがフォトコン審査でやってきたような「なんとなくいい」波長を大切にする。
そんな波長へ合致し始めている人たちが急増しているはずです。


同じ感覚を持つ人たち。その人たちの波動は合致・合一化を起こし新たなエネルギーとして拡大してゆきます。
これが「選択」の結果。

フォーカスするエネルギーを変えれば、不要な周波数のエネルギーは、少なくとも「自分からは」生み出さないわけで。
当然、二極化二元化の地なので、表も裏もセットでなければ存在し得ない。悪は雲散霧消してしまうことはないのですが。
けれど、
その自分が望まない側の波長に合わせなければ、それを増幅し油を注ぐことは決してないのだと。
これが「選択」の極意。

選択を積み重ねて行くことで、自分の現実が創り上げられてゆきます。
---こんなはずではなかった。
---こんなこと望んでいなかった。
でもそれは、タイムラグがある、それよりも前の時点で自分が作り出したことを忘れています。
過去の残像。という言葉で語られますが、まさに残像を見て騒ぎ立てるのはビギナーすぎる所作ではありませんか。

あとからは何とでも言えるのです。
まるでジャンケン後出しして叫ぶように。





人の都合で切り刻むのはやめて

人の都合で切り刻まれる樹木に詫びる photo 宮本章光

枝が伸びる先、伸びる先を、次から次へと切り落とす。
監視カメラの障害になるから...。
5G電波の障害になるから...。

四六時中、一般臣民を監視し、思考と意識が自分以外の意思により電波を通して操られる。
それが究極の未来生活だと?
そんな未来は、まっぴら御免被りたいものです。

大義名分は、犯罪抑止のため。
その財源には、一般人から取り立てた税金から捻出され特定事業者の懐にカネが転がり込む仕組み。
そうした抑止効果に意味がないとは言いません。
しかし、
切り落とされる樹々の身になって考えるという発想自体が皆無なのだとわかります。
いつまでも、今だけカネだけ自分だけ。


そんな世の中。
まもなく崩壊することが決まっているのにもかかわらず、いつまでも継続し続けます。
悪事を知れ、悪よ滅べ。
と、叫び続けるから、そのエネルギーが終わることなく焚き続けられます。
誰が燃料を注ぎ続けるのですか。
誰がそのタイムラインを創り続けるのですか。

誰がその道を望むのでしょう。
望まない道にエネルギーを注ぐのを一切やめてしまえば、狂った世は終わるのです。
それを知るために、この地で学んできたのではなかったのでしょうか。
そして、
ともに生きる木々の命にも、もっと心を配る必要はないのでしょうか。


望むものにフォーカスする。
そうしてこそ、その波長に合致するエネルギーが想念から具現化してゆきます。
望む世を創り出すのは、自らが描き抱く思念・想念が元となり顕現化するのです。

犯罪抑止が最重要だ。と叫びたい人は、それを繰り返し学ぶために用意された別の地でやってください。
人の都合で彼らを切り刻むのはもう終わりにしたい、と切に願います。





続ける・やめるその判断

美しく photo 宮本章光

人間は、居心地のよい場所(こと)から動きたくない。
それは、この先いずれ生命の危険に晒される場所(こと)であっても。
まさにコンフォートゾーン。
そして、危険が迫ったその瞬間に至ってから逃げることを考える。
しかし、その時点ではことすでに遅し。

卒業後、企業に在籍した瞬間に「この激しい違和感」を感じたものです。
寝かせる、だとか熟成させる、という言葉に包んで問題を先送りする。もちろんそのメリットを感じたことも幾度となくありますが。

居心地のよいほうを選択する悪しき癖。
そりゃ電卓片手に(昭和はそうでした)PC画面と睨めっこ(平成初期からこのように変化)残業するよりは、冷たいビールや熱燗とアテを口にするほうが、何倍も心地よいこと、否定できないでしょう。
さらには、立場がそう語らせるのか「やるべきことはきっちりやるのが平社員の役目」だと上司は宣う。
毎晩、残業時間になれば電話で呼び出される部下は、いつ山積した作業をやればよい?のか。

結局、明け方まで作業をするので、日中は事故多発。
結果、体が音を上げる。
違和感を感じ取るはずの心のセンサーも、毒に近いよろしくない食べ物を口にし続けるので、まずもってその貴重なアドバイザーの声が届かなくなります。

わたしの場合には、鉄の胃袋も鋼の大腸も持ち合わせいなかったのが幸いでした。
逃げ出す、という判断へのショートカットが作成され、それを数回選択することを繰り返しました。
最後は、危ない一線を超える寸前だったこと、幾度となくこの場にも綴りました通りです。


見事に嵌められています。
いえ、それは就業時間のあとに電話で飲み屋へ呼び出す上司のことではなく、よくないものを口にするように世を仕組み、心のセンサーが麻痺するように過剰な労働を強いる社会を作り、支配者層への富の一極集中を実現する資本主義という名の監獄。
まさに松果体が腐ってしまって、直感も勘も一切利かなくなります。
こうして隷属化の世の中が作られてきたこと。
しかし、
そこに「まんまと乗っかってゆく」のは、自分の判断と自分の選択であることを忘れてはなりません。
誇らしく虹色の丸いバッジを胸に掲げたグローバル企業の社員。無知とはいえ恥ずかしげもなく、よくまぁやり続けられること。
さようなら。これまでお世話になりました。

知らなかった。
ええ、それが身魂相応。
けれども、それを選択しない道があることを学びました。この地のこのサイクルが終わる寸前、滑り込みセーフだったでしょうか。
続けるのかやめるのか。
それは自分だけにしかできない選択。


そして今、悪しき世が終わります。
新たな世を創り上げるのは自らの心の波動によって。
ここまで学べば、あとは実践のみ。
コンフォートゾーンに居続けますか、それともやめて新しい世を生み出して行きますか。

誰に教えられずとも、誰に指導されずとも、常に美しくその姿を披露し、次への世代をつなぐ。
美しい生命とともに歩む道を。





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