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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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顔に出ているのは見えないエネルギー?

陽の光に輝く photo 宮本章光

昨日の記事、
【見た目で判断「できる」世の到来】2025/03/04(Tue) [ Link ]

にて触れていました、内面から生み出され表出する「その生命が保持しているエネルギー」について、あと少し掘り下げてみたいと考えています。

目に見えるか見えないか。
それは見えると思えば見えるのであって、見えないと思えば見えない。
それだけ。

見えないものは「見ようと試みてみる」能動的な動きが必要でしょう。
いつまでも叫び続ける人が後を絶たない「行動せよ」という言葉は、まさにここが語られているはずなのですが、体を使って走り回ることやデモに参加することだ、などと勘違いしている人は、その人自身が、自らそのタイムラインを生み出すので、もはや触れる必要がありません。その波動から離れる。その一択。


行動とは、意識的に自分からフォーカス先を選ぶことでもあるはず。
フォーカスしなければ、その対象・そのポイントには焦点が合わないわけで、周波数が合わなければ「そのエネルギー」にシンクロはできないわけです。
こういう至極当然の仕組みを「思い過ごし」だと刷り込んだ教育洗脳は強烈だったことがわかります。

で、顔に出るのはエネルギー。その存在の周波数の表示。
だと思われるものの、そこに「表出している」のは、過去の成果物。という部分。
意識せずに「単に目に見える」と言葉を置き換えてみると理解が早いのでしょうか。

単に見えている、とは、その周波数に合致せずシンクロが起きていないようにも思えるのですが、少なくとも、その対象の存在を認識している限りは、その時点ですでにフォーカスされているはずでしょう。
面倒なことが多いようです。この物理・物質次元の約束事は。
そして、
人間は、単独単一の意識(植物のように種族全体の集合意識とされるものとは違う)が極めて強力に認識されるため、すべてが自分の能動的な感覚で感じたもののように捉えてしまうところにそれらの課題があるように思われます。

行き着くところ、
目に見えていようが見えていまいが、どちらも自分の意識で感じた、と思ってしまう。
それが人間の特性・特質なのかもしれません。
であれば、
望ましいもの・期待するエネルギーを思い描けばそれでよい。となって、何ら答えを導き出せません。
何か論点のすり替えのように思えてなりません。しかし、それが本来の姿であり、脳内変換を繰り返す「ゲーム」をするために、ここに来ていたのですから、それで良いのでしょう。

そして結論。
だから、思い描くもの抱くものを「誤らない」限りは、望んだそのままの周波数、そしてそのフォーカス対象・事象が顕現化されてゆきますよ。
とやかましいほどに語られてきたことに氣がつきます。
それが選択であり、選択した周波数とはフォーカスした先のことであり、このようにして「自分の現実」は自分自身で創られていますよ。と、結局は振り出しに戻ります。永遠の無限ループはここにも見つかりました。


顔に出ているのは、その存在のエネルギーであることに間違いはないでしょう。
でも、顕現化したものは時差を経ていることを知るならば、この先に望むものだけを描けばよいこと。
それがさらにこの先に時差を持って現実化・物質化・結晶化すること。
この難しい部分を学ぶための対象であり教材だったに違いないと感じます。






見た目で判断「できる」世の到来

そこにある波動 photo 宮本章光

見た目で人を判断してはなりません。
と、そのように教えられてきました。

間違いではありませんでした。
これまでの世においては。


しかしいま、すでに「見た目」だけで、ほぼ大きな誤りをせず判断できる世になったように感じます。
いえ、もっと適切な言葉にするならば、
「見た目で十分に」その存在の持つエネルギー波動が伝わる世の中が、ついに訪れたのだと。

あらゆる生命存在。
それは植物も動物も、そして一人残らず人間さえも。

見た目は、その生命が維持しているエネルギーそのもの。
見た目とは、その生命が放つ波動そのもの。
よって、
見た目が「そのまま」その存在の表現となっていることが理解できます。


もちろん、人間においては、立居振る舞いによって雰囲氣は大きく変わります。
また、言動によっても、受け取る感覚は相当影響を受けます。
けれども、
その一番外側に纏ったコートを脱いだ中身・中心部から、なんとなく感じる「感触」とでも言うような、言葉にできない「雰囲氣」。
そして、
それは、実際には目に見えていないものだったことが判ります。
目で見ているように思えて、実は、その内面から湧き出す力を見ているのだと。
それが「氣」。
それこそが、その存在が維持するエネルギー。その存在そのものだったことに。

そしてそれは、
大変穏やかで平穏な波動、しかし大きく力強く存在する感覚であることも。

目に見えていたのは、実は過去の結晶物。因果の成果物だったことを。
ようやくここまで辿り着きました。





創造・そして出づる

芽吹く photo 宮本章光

想念・思念がまずありき。
そして顕現化。

創造はエネルギーの創出から。
そして出づる。


新たな道を創り出し、切り拓いてゆきます。
それが創造。
そして開闢。





開闢・まさに生まれいづる時

春を迎える photo 宮本章光

開闢(かいびゃく)。
天地創造。

それは遠い神話の中の作りごとではなく。
それが真実かどうかは関係なく。

いま、自らが創り出すのです。
いま、自分自身が想い描き、それが時差を伴って顕現化するのです。


何も精神世界に偏ったなどと批判されるべきものではなくて、自分で青写真を描きそれを具現化し生きてゆく。
そういうことでしょう。
開闢、まさに、いま「生まれいづる」その瞬間を過ごしています。





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