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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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「しっくりくる」を判断基準にする

2025年の春を迎える photo 宮本章光

例えるなら、
上着の肩幅が微妙に合わない。袖丈が短い。違和感を感じる。

この感覚と同じように「周波数/波長が異なる」エネルギーには、違和感を生じます。
音で言うところの不協和音。
(一応但し書きをするのなら、不協和音を意図的に採用しその違和感を表現の手段とする芸術的手法もありますが、周波数という物理指標・絶対値からの観点では、異なる周波数は決して響き合わないことは明白です。)

この世には、例えるなら不協和音が溢れかえっています。
それを体験するための地だから。
そして、それを生み出し、自ら享受しそのプロセスを学ぶための世だから。


いま、この異なる周波数ばかりを選択し、それに対して違和感しかない!とギャーギャー騒ぐ姿が目に余る状況です。
自分でそれを選択している限り、その現実がいつまでも続きます。

ここに氣がつくこと=この地での学びの主題である、と、この境地に達することが卒業証書授与の条件かと思われます。
そして、
卒業式のその日までに、この単位をすべて習得・履修済みでは「ない」人は、卒業ができません。留年・落第です。


今日3月24日、多くの実際の学校で卒業式が行われているようです。
同じように、このタイミングで、地球学校の「最終期生:もう後輩は存在しない」の卒業式を迎えようとしています。
そして、留年も落第も、この地では今後は存在できない、とされます。
この期に至るまでのロードマップは、もう何十年も前から示されていました。いえ、二千年前からでしょうか。
学校そのものが廃校確定であり、三次元物理実体のこの地は、これにて終了だと。

よってここで消滅するわけです。
それは、過去にも5回も6回も、水に流して完全に白紙に戻してきたのです。
その水とは、ポールシフトによる大津波だったとされます。

それなのに、7月になれば何が起きる、どうなる...と、いつまでもその種のエネルギーにフォーカスを合わせ続ける。
その状態。その心の感覚。その肌感覚。
違和感がありますでしょう?感じませんか。
肩幅が合わない感覚。袖丈が短くて氣持ち悪いでしょう。

その違和感がある状態こそ、自分が望まないエネルギーだと知る必要があります。
他方、
そのエネルギーにフォーカスし続けることで、自分はこんなに情報を持ってんだぜ!ドャ!すげーやろ、インフルエンサーの威力を思い知れ!フォロワー7桁超え〜!
だとかやっている人には、違和感は皆無かもしれません。
あるいは、違和感を感じるセンサーが腐りきっているのでシグナルを受け取れないのでしょう。

ええ、大変失礼ながら彼らは別の学校での再教育プログラム確定かと感じます。
それらは、もはや旧いレイヤーのエネルギーゆえ、崩壊・消滅が確定しているわけです。
沈みゆく泥舟の船頭をやっている限り、ともに沈むことは確定と。
ですので、
それを望まないのであれば、「このような違和感を感じない」ものを選択してゆく必要があります。


違和感のないもの。
それは、しっくりくるもの。コト・モノです。

肩幅がビシッと合い、袖丈ばっちり。ここには違和感はなく「心地よさ」のみがあります。
この先に望ましい風景と、望ましい道を創り出してゆくためには、「しっくりくる」感覚を忘れてはならないと思います。
それが、自分の選択。
それが、仕組みだから。

「しっくりくる」を判断基準にする時代の幕開けです。





平五郎へ詣る

平五郎稲荷へ詣る photo 宮本章光

そこには神は居ませんが。
呼ばれたように感じたもので。

その後、なんとなく感じるエネルギーはフェードアウトしてゆきます。
視覚ではなく。
触覚でも聴覚でもなく。
唯一、
嗅覚に近い感覚かもしれません。

見るのではなく、感じる。
そういう時代に入り、その感覚を取り戻しつつある世に生きていることを実感します。




もう道は分離したのです

夕日に輝く水仙 photo 宮本章光

---わからない人には、わかるように伝える。
---知らない人には、先に知った人が教えてあげる。

はい、間違いではありませんでした。
これまでの世では。
ですが、その延長線上の思考をキープする限り、自分自身がそのタイムラインから「脱することができない」と氣づいていない人が多数。


思考が顕現化・具現化する。
この重大なファクターそのものを、本質から理解できていないのですから、先に頭をさげて失礼を詫びた上で記すなら、
「もはや別の世界・別の次元の人々」でしかありません。
この先、ともに未来を切り拓く人たちではありません。

自分はどこを目指すのか。
自分はどこにゆくのか。
それは、自分が創り出すのです。
この世で死んだら終わりではありません。


デモに参加しなければ世の中変わらない!
そう豪語するのは、その人が「そう信じ切っている」から、ご自身でその現実を作り続ける。
じゃ、何もせずにぼーっとしてれば世の中変わるんかい!
そう攻撃的に返答するのは、その人が「そう信じて疑わない」から、ご自分でその現実を永遠に創造し続ける。
結果として、状況はさらに悪化の一途を辿る無限ネガループに落ち込みます。
分離・対立の負の力を欲する勢力が仕組んだワナに、まんまとハマり続けます。いつまでも。ワナだとさえ氣づかずに。


これは仕組みなのです。
これは大原則であって、誰が何と言おうとも決して変わらない仕組み。大法則。
この仕組みそのものと、生み出したエネルギーに対し結果を顕現化する力そのものが神なのですから。
ああ言えばこう言う、
今度は、キミの頭のほうが狂っているだとかスピってるだとか。

結局は、自分がもっとも正しく最も優れている。という大前提を崩そうとせず、我の塊のまま成長を拒否しているという客観的視点がゼロだと氣がつかない状態を示しています。
ですから、
このコア部分を理解できるまでは、永久に学び直しだと伝えられているわけで。
永遠に。です。

言葉が悪く申し訳ないのですが、理解できない人には何を伝えても理解できません。
それは、その段階に達する「時期」の違いだという客観事象に過ぎず、その人の優劣を語っているのではないことも「理解できない」。
いずれ氣づく時が必ずやって来ます。ご自身にその意志があれば、という条件つきですが。
それは、
50億年後かもしれませんし、25,800年一サイクルかもしれません。


腹立たしい。
そう感じるのは、自分が否定されたと思っているからでしょう。
そうではなくて、視点・観点がまったく異なっていることに氣づかなければ事態は打開できないのです。
つまるところ、
これまでの洗脳され隷属化された世を「基盤」に、世の中を変えよう。とする限り、その成長は著しく遅延することが明白です。
(成長しない、と言っているのではありません。激しく遅れますよ、ということです。
それまでは繰り返し他の地・他の星で再教育を受け続け、短くても数万年単位だと伝えられている通りです。
また、せっかく人間という立場とともに学びの機会を与えていただいておきながら、それを有効活用できなかった「因果」は、来世以降に償いが必要であることも忘れずに。)
しかし、
この先の世に求められる「学び方」「成長の仕方」次の世のスタンダード/デフォルトメソッドを選択し採り入れてゆく限りは、飛躍的にそのプロセスが加速することが約束されているわけです。


それは何なのか。
喉から手が出るほど欲しいかもしれません。
わたしも「最終寝坊助組」でギリギリセーフだったと感じています。

この国においては、
口にするもの「二つ」。この場では、これでもか!と数多く綴ってきました。
徹底的に・劇的に変えてゆけば、結果は自動的についてきます。
人体実験した者が語っています。


すでに道は分離した後です。
目の前には残像があるだけ、と語られています。
異なる道を歩む「選択と意志表示」している人は、大変残念で申し訳ありませんが、もう接点を見出すことは不可能です。
世の中には、言い切る=100パーセントの物ごとなど存在しない!と、会社員時代に説教されたことを思い出します。
ですが、それこそが洗脳でした。

異なる周波数は、絶対に「響きあう」ことがありません。
不協和音。
不協和音にこそ新たな芸術的価値を見出すんだ。現代音楽を知らんのか!と叫ぶのは、それこそ論点のすり替えであって、新たな価値があるかどうか、正しいか正しくないかを論じているわけではありません。

決して揺るがない物理法則。
異なる周波数は決して響き合うことはありません。
異なる周波数でスマホが通信できることは絶対にありません。

いま、ここまで理解が至ったのであれば、これまでのさまざまなご縁と接点に感謝を申し上げ、離れます。
もう道は分岐・分離した後です。





この先どんどん良くなる・間違いなく

飯舘はやま湖の早春 photo 宮本章光

混乱の世の中。
欺瞞に満ちた風景。
心を引き締め、足をしっかり地につけて。

そういった言葉が溢れかえっています。
この先、もっともっと悪くなる。さらに苦しみが増してくる。と。
まだまだ激しくなるから頑張れ、と。


果たしてそうでしょうか。
視程の利かない、暗雲立ち込める向こう側に「新しい風景・新しい世の中」を感じませんか。
目に見えないかもしれません。
けれど、その暖かく大きく力強い力に満ちた「氣」を。

見えないものを見る。
それはナンセンスだとされてきました。
それは思い過ごしに過ぎないと教育されてきました。

しかし、見えなければ感じればよいのだと。
もう氣がついたはずです。


まだまだ激しく・苦しくなるから頑張れ。
と語るのは、
一見、善行をアピールしてはいるものの、しかしながら反対方向に波動を拡大しているだけかもしれません。
まさに、本人は知らず知らずのうちに「善の仮面を被った悪」に成り下がっている可能性が大であることに氣がつかないのではないかと。

真っ暗闇の向こう側には、確かに「心地よさと力強さ」をともに備えた新しい波が存在しています。
感じます。
そしていずれ近いうちに、それは目に見えるようになるはずです。

この先にはもっともっとよくなる。
間違いなく。
それは、おまじないでも何でもなく、そう思い描き出すからこそ、この地に顕現化してゆきます。





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