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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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植物たちは知っている

花たちは知っている photo 宮本章光

おかしな天氣ですか。
100年に一度の異常氣象ですか。
地球温暖化の影響ですか。

「この世」という名のVRゲームセンターでいつまでも騒ぎ続ける未熟な地球人。
木々や花々は、横目で観察して呆れ返っていることでしょう。
いや、彼らはそんな低レベルな感情は持たないに違いありません。

下から激しく熱する「床暖房」が無くなりつつあるからでしょう。
「地下」や「上空」から毎晩不穏な音が響き渡る状況に氣がついていますか。
メディアが言わないことは誤りでしょうか。
いえ、言わないからこそ正解だったのではありませんか。
この5年間で何を学びましたか。
亡くなった方々から、何を学びましたか。


このうえなく伸び伸びと。
これまでになく大きく目一杯。
そして、自在に拡大する彼らの素晴らしいエネルギーが見えていますか。

眼で見ることもさることながら、その周波数の力を感じようとしていますか。
目に見えないエネルギーこそが、膨大な情報量と力を持っていることを感じていますか。

植物たちは知っています。
この地で繰り広げられている驚くべき真実を。
この地で進みゆく滅亡と崩壊、そしてその次に実現する新たな世を。
だからこそ、
これまでにない美しさと果てしなく拡大する大きな力を「ここに表現」していることを。

そして、その波長を維持するからこそ、彼らの現実は「その通りの望ましい」未来が約束されることを体現しているのだと。

地球というVRゲーセンで夜更かしを重ね、叫び踊り回るのは、もう終わりにしてはいかがでしょう。
ともに歩むべき仲間は、とうの昔に大人になっていることを知ればこそ、恥ずかしい生き方はできないはずです。





うわべだけの生き方は恥ずかしい

光も影もあるから際立つことを忘れない photo 宮本章光

コンフォートゾーンから脱出する。
勇気が要るでしょう。
不安があるでしょう。
けれども、ぬくぬくと居心地がいいと感じるぬるま湯に浸かっていてもシフトは起きません。

いつまでも悪よ滅べ!節を叫んでいる限り、そのコンフォートゾーンに居続けたいとの意志表示。
いつまでも俺がオレがのヒーローごっこをやる恥ずかしさ。裸の王様。

どちらも認め、どちらも受け取り・受け入れる。
そのあとで、
自分が望むエネルギーを選択する。

選択は、両方を認め敬意を表した上で、そのあとに望むものを選ぶのです。
初めに、両方を認め、その仕組みに感謝を捧げるプロセスを忘れています。
未熟な自分の精神性を高めるために、騙してもらい苦しめてもらい、そしてその仕組みを知ることができたのですから。
極論すれば、騙されるだけの未熟さゆえに、あろうことかお借りしている体まで失う人が現れるのです。
この仕組みに感謝を忘れてはなりません。


光り輝く部分と、影として支える部分がともに存在するから、この一枚の中にエネルギーを込めることができます。
どちらか片方だけでは、この地では存在できないのです。
当然、それを形に落とし込むには撮影や編集のテクニックが必要とされる部分もありましょう。
けれど、
まず初めに、先に、その対比を感じる感覚ありきです。
その両極がセットで存在していること、そのものを認識する必要があります。


いつまでやりますか。
悪党ども消え失せよ。我こそはヒーローなり。我こそ世を変えるインフルエンサーなり。
行動しないかぎり世の中は変えられないんだ。行動せよ。叫べ走れ。行動こそが世の中を変えるんだ!
いつまでやり続けますか。恥ずかしい。

耳タコを通り越して単なるイタイ人になるのは避けたいので、今日もここで終止符を打ちます。


両方・善悪・表裏をともに認める。
両方を体験させていただけたからこそ、自らの精神性を拡大することができ魂の成長が叶うのです。
そこに感謝が生まれます。
無理矢理に一日10回感謝する言葉を書いても本心からの感謝の波動は生み出せないでしょう。
うわべだけわくわくしてみても、心の底から湧き上がる感動や恍惚感は味わえないでしょう。


すべては仕組み。そして因果。
その仕組みとその力、それが神だと。
ここに感謝が生まれるのです。





いまこの瞬間のエネルギーに自分から合わせる

いまこの瞬間のエネルギーに合わせる photo 宮本章光

繰り返し書き綴る必要があるように感じます。

「ボーッと口を開けて待っていれば自動的に流れてくる」
という感覚から卒業してはどうですか。と。

テレビなど最たるものでした。
そうやって感覚を麻痺させる目的でメディアが作られていたこと、もう繰り返す必要はないでしょう。
SNS然り。
単に媒体が変わっただけ。画面がPCやスマホにとって変わっただけ。


エネルギーという言葉に拒絶反応があるのでしょう。
波動だとか波長という言葉が嫌なのでしょう。
そして、目に見えない...と接頭語が付くだけで頭ごなしに目を逸らす。
その判断とそのアクションが、石ころから学び直しコース50億年を希望します。との意志表示かもしれないことを。

他方、
キレイなもの・コトにフォーカスするのは望ましいに違いありません。
少なくとも、悪よ滅べ”と叫び走り回るよりは、何百倍も何千倍も好感が持てます。
けれど、見た目だけ「綺麗ね・可愛いね」「わくわく」だけで、その本質に「繋がろうとしない」のも、もう一方の極右政党ならぬ極右派閥たる、その道のビジネス業界のように見えます。


ともに共通すること。
それは、
「教科書や教祖様が言うこと」を盲信する。

美しいものを美しいと言いましょう。
わくわくしましょう。
そう仰るから、そのように真似てみる。

ええ、形から入る。否定しませんし確かに効果があるはずです。
でもね。そこに自分の感覚やその瞬間の意識はどこに行ったのでしょうか。


また別に、第三勢力とでも言うべき派閥もありましょうか。
何〜にも感じない。わたしはスピに染まらないし自分軸を持ってるし。
そんな人たち。

これも同じではないかと感じるわけでして。
自分から「合わせにゆかなければ」絶対に何も感じることなどできません。
繰り返し繰り返しここに書き綴っていますが、彼らの存在が閾値を越えなければ、この地は変化しないでしょう。

重要なカギを握るのは、この第三勢力であることが判ります。
現時点では上記の二大勢力とまったく同じニオイがします。いまのままでは、決して第三勢力が最適解ではないことが。

「もう地球を堪能したから卒業したいなんてのはダメなんだよ。それ、永遠に学びが必要なこと忘れてない?」
などと、自分から枠を作ってその枠の中で悦に入る。
あろうことか、有名インフルエンサーも同じことを言ってるし。といったような、もう終わったはずの古く悪しき洗脳と同じ図式に、再びハマり込んでいることに氣づいていないように見えます。


---自分で卒業したい。と思えばそれでいい。
---自分でその道を創り出し切り拓けばいい。
それなのに、
「自分で苦労することを否定しては成長が期待できないんですよ。学びは永遠なんだからさ。」と、やってしまう。
これ、いつか来た道。期待のホープ第三勢力がこの始末。
成長できるかどうかは他人に指示されるものではないでしょう。
まして、
それを経験しなければそれを学べないことを十分に「学んだ」のですから、それをとやかく説法される必要などありません。
(逆説的ですが、わたしがここで論説を記すのも同じ図式であり同じエネルギーを焚くので、ここで終えます。)


肝心なことは、
「自分が抱く波長と同じエネルギー」が増幅され時差を持って顕現化すること。です。

いまこの瞬間に望むエネルギーにシンクロさせること。これこそが心のイメージをこの世に具現化する、極めて重要、そして唯一無二の方法であることを忘れてはなりません。

合わせる。
とは、自分から能動的にあわせねば絶対に響き合うことがありません。
口を開けて待っているだけでは何も受け取れませんし、何〜にも感じないのはあたり前。当然です。
これは不変・普遍的な大法則に他なりません。それはわたしが勝手に述べているのではなく。


きれいね・あたたかいね。と、webに溢れる見た目だけキレイな桜とは、まったく異なるエネルギーをここに伝えます。
そこに「自分から合わせに行けばこそ」、ここにある膨大な生命力の片鱗を感じ取れるはずです。
感じないのではなくて、自分から行かないから何も得られない。
そして、合わせに行かなければ、何〜にも変化も成長も成し得ないことを。さまざまな経験を経るからこそ成長と進化が生み出されることを。

これが本質だと学び終えるまで、あとどれほどの時間がかかるのでしょうか。

【画像データ直リンク】
全画面でこの力を受け取ってください







自然:「じねん」とともに歩む

2025年の桜に感謝を奉る photo 宮本章光

通行の障害になるから枝を切り落とす。
害虫の発生が問題になるから切り刻む。
そして今度は、
監視カメラの障害になるから、と根こそぎ切り倒す。

犯罪抑止とはいかにも方便であろうと思われ、一般臣民の監視化が目的だと。
そしてそのための費用は血税から賄われ、利権に群がりその汁を吸い尽くす寄生虫的企業の懐にカネが転がり込む仕組み。
(わたしも何社かの企業に在籍していた時期があり公的機関との接点も少なからずありましたので、裏側で行われていることは、嫌というほど見てきました。)


大なり小なり、そうした仕組みでこの世が成り立っていることを知ったなら、
それをけしからん!悪よ滅べ!と叫びデモすることではないはずなのです。

可能な限り多くの声を伝え届けることに意味がある。
多くの行動が少なからず世を変える原動力になったはずだ。
と、結局は自己満足と自己承認欲求の塊のまま。
そして、拡散せよ拡大せよ、我こそは有名インフルエンサーなり〜、というアピール。
この期に及んでさえも、まったく成長できなかった様子がありありと。


昨日の記事にも記しました「人が消える」という言葉。
これを会話の中に取り入れるや否や瞬間的に反応があります。「え?人が消えるの?どうやって、どこに行ったんや?」と。

あの〜、それは意識の中から外れると言う意味で、意識されなくなる状態が、実際に物理的に消えたと同じレベルで認識しなくなることを語っています。
この瞬間に、あぁこの人は「物質的観点の思考」から脱していないな、と判ります。
すべては、モノの発想。
すべてが、物質的観点と唯物主義の範疇にある思考。

そのためのこの地ですから、ここを否定するものではありません。
その体験をするためにやってたのですから、それが良いとかよくないとかを言うものではありません。
けれど、この先の世には、そうではない「もう片方の」重要な要素となる精神面での成長が望まれますよ。
ということを話しています。


実際、悪事をはたらく存在が消えることはないわけで。
善悪・表裏・両極は等しくバランスしなければ存在し得ないのがこの地です。
そこに意識をフォーカスするから、自分自身がその現実を作り出してしまうのですよ。という部分にまで学びを拡大し、そしてこの先には、望ましい風景・望ましい世を、自分たちの心が生み出す波動としてのエネルギーから、この地に顕現化させてゆきましょう。といったレベルにまで成長する必要があったのです。
(機を改めますが災害を生み出すのもしかり。わたしたち自身が創り出しているということを。)
もう時間切れですから、それを学ぼうとしない人からは離れるのみ。


では、
わたしは、そしてともに望ましい道を切り拓こうとなさる方々は、何を生み出せば良いのでしょうか。
それは、
自然とそこに生存する多くの生命に意識をフォーカスすることではないかと感じます。

それは「しぜん」ではなく「じねん」だったことを知ります。この国の言霊に包まれたエネルギーは。
自然(じねん)を蔑ろにしてきたから、その因果がいま降りかかる。
自然(じねん)とつながる心を切り離してしまったから、その結果が因果である負のエネルギーとして生み出されたのではないでしょうか。

至極当然。自業自得。
それを、悪よ滅べ!と責任転嫁し、自分が生み出した因果に抗う限り、望ましい世は絶対に実現することがありません。
学び、とはそういうことだと。
洗脳のための学校教育の試験で満点を取ることではありませんし、言われたことに忠実に従うことが美徳でもありません。


自分で考える。
自分で認識する。
だから自分で行動できるのでしょう?

切られても枝打ちされても、盛大にその美しい姿を、必要な時期になれば必ず披露する彼ら生命存在。
どれひとつ取ってみても真似できないでしょう。
人間という存在の驕りが、過去に激しく溜め込んだ負のポイントが、いま一氣に表出していることを知るならば、「自然=じねん」とともに歩む未来を、自らの心によって創り出す責任を感じないはずがないと思うわけです。

もはや言い飽きたレベル、「これからは発言に責任を持つのではなく、心に描き生み出すエネルギーに責任を持つ。」です。
ひとこと、
人間の勝手で数知れずの多くの仲間を切り倒してしまい申し訳ありません。
過ちは繰り返しません。
と、立派な樹々にお詫びのことばを伝えてから。





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