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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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周波数が変わると変化する風景

真夏の空間に触れる日比谷公園 photo 宮本章光

太陽の色が異なって見えることがあります。
自分のその時に立つ場所・地域によって青っぽく、あるいは黄色っぽく。

また、降り注ぐ超高周波のような響きの質や量が異なることがあります。
激しく耳鳴りのように強く響いたり、弱くスカスカなエネルギーに過ぎないと感じたり。


--単に体調の変化でしょ。
--思い過ごしでしょ。それを氣のせいと言うんではないかい!

そういう声が大半だった世の中。
その世界線から足を洗いたたい。そう願えばこそ、より一層大きな変化・差異として感じるようになります。
まさに、思考が現実化している証でしょう。


人の手によって作られた公園であっても、そこに息づく生命の存在は大きく穏やかです。
雑踏や交通量の多い幹線道路の騒音が、静かにフェードアウトする瞬間があります。
代わって、
噴水の滴る水音や、鳥の囀り、夏を謳歌するセミたちの合唱が響き渡ります。

自らの心にシンクロする周波数が、その波長に応じた現実という目の前の風景を顕現化させてゆく。
その実地・実体験を重ねてゆきます。


日影で休む人たち、池を眺め穏やかな風に身を任せる年配者。
なるほど、
その周波数に合致した瞬間に、レイヤーを跨いだ感覚がしっかりと理解できるようになりました。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。




自分で創りあげる・究極の理解

珊瑚樹の実がなる photo 宮本章光

自分で創り上げる。
言葉面は綺麗です。もちろん間違いなどどこにもありません。


---行動せよ。
もう終わりました。体を酷使することにしか意識が拡大できていない証です。

望むモノ・コトへフォーカスすれば「自動的に行動できる」ものです。
周波数が大きく異なっているもの・ことへ、無理矢理に望みもしないことをやる。
それが行動だと間違って思い込んでいる姿。大変滑稽です。

---意識せよ。
これも終わりました。心から生み出すところまでを「知り得た」のは立派です。それ以前の状態も数多いゆえ。
でも「本質を理解」していない可能性が高いように見えます。こちらは痛々しく且つ同じく滑稽でもあります。


自分で創り上げる。
それは、望み願う目的地点への道を作ることだと解釈していますが、それさえ必要なかったことを知ります。

わくわくして過ごしましょう。とのその本質はここが伝えられています。
無理矢理に、楽しくもない目の前の現実から「目を逸らして」現実逃避するために、エセわくわくすることがいかに恥ずかしいことでしょうか。
本心から望むものに周波数が合致している限りは、自動的に顕現化「してしまう」ものです。
まさに、無理して道を築き上げるプロセスさえ超越してゆきます。


わたし自身も、道をコツコツと創り上げて行かなければならない、と思っています。
物理次元に物理実体をお借りしている以上は。
でも、
そのプロセスが苦にならない感覚として維持できれば、その時間は楽しめる行程になるはずです。
これを「苦行を積んで」目的地へやっと辿り着く、という感覚が「なくなる」と同意だと解釈しています。
実際、楽しくて楽しくて、と感じる取り組みをしている時には、時間の感覚も希薄ですし、何よりも苦痛とは無縁である経験を振り返っても容易に理解できます。


苦しんで辛い修行を積み重ねる。
それがこの地では必要なプロセスだったことを否定しませんが、中学校を卒業し高校へ進学しようか...という段階に至ったのなら、苦行を楽しみに変えてしまう中級編の「心の使いこなし」を体得してくださいよ。ということではないでしょうか。

いつもいつも間違って勘違いするのは、
学びや修行の工程が「要らなくなる」んだよ、高次元に行けば。わくわくして待ちましょう...。それまではもっともっと苦しむこと・学ぶことを否定してはダメなんですよ。今の段階では。
などと、やってしまうのです。その界隈のビジネス然り。
学びは永遠です。無くなりません。
けれど、その学び方や教材が、成長度合いによって大きく変わりますよ。と、ここを理解せねばなりません。


自分のキープする周波数が上がれば、その瞬間に目の前の風景は一変するはずです。
周波数はデジタル的に変移するからです。
ピアノの鍵盤A音をA#に変えるのは瞬間です。一瞬で音は変わります。
では、弦楽器でポルタメント・グリッサンドのようにグィ〜ンと徐々に変化させるのはどう説明しましょうか。

これもミクロ的に見れば、微小な段階を跳躍して上がり・下がりしています。
演奏者・鑑賞者の「定規」が仮にミクロな尺度に置き換わったのなら、これとて一瞬に音が変移・移動している様子が観察できます。
間は無いのだと。


量子重ね合わせ状態で「すべての選択肢が同時に存在している」ことを知ったのなら、
結局のところ究極の解釈は、「どれを選ぶのか」それだけだったのだと氣がつきます。
意識を合わせ(観測)選択をした瞬間に、その周波数に合致するものが顕現化します。誰も否定できない大いなる仕組みです。

生きているネコと死んでいるネコと。どちらも同時に重ね合わせで存在しているとされます。
その間となるまだ息を引き取っていない状態もあるかもしれません。
しかしそれは、中間地点があるのではなく、中間地点という状態も一つの選択肢として存在していること。
それにフォーカスした瞬間に「自分がその現実を創り上げる」とされます。まさに大いなる仕組み。


自分で創り上げる。とは、
苦行を重ねることではなく、どの周波数を選択するかによって一瞬で望むものが具現化することを。
これに加え、物質化・結晶化のための「時差がアキレス腱」として存在していることにも理解が至ります。
周波数は一瞬で変化します。でも結晶化には時差があります。
しかしそれとて、「時差があるという選択」を自ら行なった結果であると理解できます。
そして万人がすべて一人残らず、そのように解釈しているために、この世では顕現化には時差がある、という現実が顕現化します。


自分で創り上げる。とは、
究極の理解は、選択であったことを知り得ます。
だから、
この先に必要ない情報という名のノイズから離れます。
断捨離するのは、単にモノを捨てるだけではなく、心に染み付いた「思考のクセ」を一切合切捨て去ることが伝えられていたことを知ります。
そうしなければ、思考が現実になるからです。
そうでなければ、自分自身の思考が自分自身の現実を創り上げるからです。




「信じる」と量子論のパラドックス

真夏の光を受け取る photo 宮本章光

そういうクセがついてしまっているのでしょう。
「信じる」
その言葉を聞くと、途端に宗教だとか怪しい霊感商法に違いない、だとか思うように思考回路が固着していませんか。
けれども、このように発想すること自体が「誤った洗脳」「間違った刷り込み」だったと氣づき態度を改める人たちが激しく増えています。


目に見えないもの、という括りでも同じでしょう。
信じる。
その言葉に、言靈が持つ力とは「異なった・かけ離れた」明らかに正反対となる力を与えてしまうのです。

信じるとは、単純に「信頼し受け入れる」ことだと正しく認識できる感覚こそ、この先に必要だと思われます。


甚大な災害は、もうこの国では起きません。と何度も綴り続けてきました。
この国に上陸し大きな災禍をもたらす台風も何年もお目にかかっていません。海外の様子はどうですか。それと比してこの国は大変恵まれています。
それは、
この国の人々、この国の一人ひとりが「心から生み出す力」が、これまでは負の方向の巨大な集合体になり、結果として自分たちがその現実を作り上げていたことを知るに及んだからでしょう。
天気・天候さえ故意に負のエネルギーを生み出し、負の結果を導くように操作されていたことを。
知ったからには、もう「その手」には乗らない。あるいは、そんなことは眼中にないポヨン感覚の人たち(これはこれで問題ですが)が膨大に存在するから具現化しなくなったのだと。

何度も繰り返し記してきました。
ガスコンロに火花を飛ばす。それが支配者層が仕組む「きっかけ」。
でも、そこに膨大な量のガスを注ぎ込み激しく燃やすのは「わたしたち一般人の恐怖による心の集合体」エネルギー。
その負の巨大な力がなければ、何度火花を飛ばしてみても、いつまでも火がつかないライターのように...。
その恐怖心を必要以上に煽るオールドメディア。そしてオールドインフルエンサーさえ、カネに魅入られ魂を売り飛ばした、仕組まれたひとたちでした。


次に注目したいワードは間違いなく「信じる」だと思っています。
最初に文字に落とし込みましたように、これまでは真逆に刷り込まれていたのですから、それをストレートに言靈のとおりに受け止めてみます。

必ず思うように顕現化する。
間違いなく意識した通りに現実となる。
そう信じます。心底から。何の疑いもなく。

ここで宗教だとか怪しい商売だとか、微塵にも思わないことです。
それは誤った隷属化の仕組まれた過ちだったのですから。
そう思う瞬間にその方向のエネルギーを自分で生み出すのですから、結果は絶対に現実化しません。
巧妙な仕組みでした。


ここに最先端の量子力学が力強くバックアップしてきます。
量子もつれ、や、重ね合わせ。など、その深遠な構造の触りだけしか知識がない者にとってみても、容易に肌感覚として納得できるはずです。
ひとことで頷きます。激しく納得します。

「信じる」その信頼し受け止め受け入れる感覚なくして顕現化しないことを。
それが自分の選択であることを。
それこそが、観測者たる自分自身の立ち位置であることを。


本当に支配者層は巧妙に仕組んできていたことがわかります。
「信じる」その「タネ/seed」そのものが無きモノとされている以上、決してこの世には具現化しない仕組み。
信じる、そのワードそのものを「信じていない」のですから、絶対に現実化しません。

量子の世界で重ね合わせ、同時にすべての選択肢が存在しているにもかかわらず、
「信じない」を選択し続ける限り、絶対に具現化しない。見事に法則に則った具現化「しない」実験をさせられていたのです。


信じる。
そのワードに、奇妙な旧い洗脳を被せることなく、ストレートに受け止め受け入れ信用・信頼すること。
この先に求められる姿勢かと思われます。
その瞬間に、観測者たる自分自身が、この世に顕現化させてゆきます。
ここにパラドックスは生み出されません。

信じる。
宗教でも何でもなく、そのように誤って刷り込まれ間違って理解してしまった洗脳から心を解き放ちます。
その瞬間に、観測者たる自分自身が、この地に望ましい現実を顕現化させてゆきます。




不要なものと必要なもの

猿丸の懐で photo 宮本章光

この先に必要ないものを手放す。
これまでに物理的にモノを処分し掃除してきました。
でも、
心が一向に綺麗になっていないのではありませんか。

なぜなら、捨てるはずのゴミに波長が合致したままだから。
心とはそういう性質のもの。
心とは自らの存在エネルギーそのものだと、理解できていない時点で無理でしょう。


定例・定置でここの生命に挨拶します。
満足に陽が当たらない環境と思われるものの、その場所でしっかりと命を繋いでいます。
前回は昨2024年の9月。
いまの季節、葉振りも夏らしく。
【参考】
「何を想う・果たすべき責任」2024/09/03[Link]

定置定例観察は、生き物の成長や生きざまがストレートに見えるので欠かさず続けたいと思っています。
相変わらず、通り過ぎる人たちは目もくれず。

心に合致しないものは、その人にとっては存在していないのと同じ。
周波数が異なれば、そこには決して顕現化しない。量子力学そのもの。
他方、見て・聞いて、感じるものは、そのまま心にシンクロしその周波数そのエネルギーを拡大します。


いつになったら分かるんだ!
と思えば・言えば、
そのエネルギーを自分自身が生み出し続ける仕組み。
だから離れる。
だから意識を合わせない。

これを見て見ぬ振りをしている。と解釈するのさえも自由。
それが身魂相応。
自分の維持する波長以外のものは理解できないわけですから。


心の中が一向に綺麗に掃除できないのは、掃除しようとしていないから。
でも、当人にとっては掃除しようとしていない、のではなく、モノを捨てただけで終わってしまっているのでしょう。それで終わり。

心が合致しているエネルギーの波長・波動こそが、無限に生み出し続ける根源であることに理解が及ばないのです。
これが身魂相応。
自分に必要ない周波数を「維持し続ける人」は、この先には「自分にとっては不要」だということ。
それは同じ周波数は響き合い、異なる周波数は共振・共鳴しないという単純な物理法則そのもの。


不要なものと必要なものと。
ひとそれぞれ。
それぞれの地に相応しい周波数しかこの先には残らない仕組み。
不要な波長は自然と消滅してゆきます。

美しい生命には美しいと伝え、この先もともに歩みますと伝えます。
しっかりと自分らしく生きる存在へ。
ノイズに触れ続け踊らされることなく。
感謝とともに。




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