色づくまでもうしばらく

熟すまで、まだしばらく。
それまではカラスも突つきにはやって来ません。
然るべき時期がくれば、然るべき成熟を果たすもの。
それは、彼らの本能的なスケジュールに刻まれていることを再認識します。
今年は暑いから...、今年は寒いから...。
人間が勝手に決めたそんな感覚に揺らぐことなく。
まして、オールドメディアに揺さぶられ、故意に負のエネルギーを生み出すなどもっての外。
自分で自分の道を切り拓く。
見習うべきお手本は、身の回りいたるるところに・あらゆる対象に満ちています。
言葉に色を感じられるように

花に色があるように。
「言葉にも色がある」ように感じることが増えつつあります。
まだ、文字の状態ではそこまでの感覚を持てないように思われますが、空間に放たれた「声」からは、明快に色を受け取ることがあります。
きっかけは、ドス黒いグレイ系の重たい色を強烈に感じた瞬間のことでした。
その昔、アルミ製の鍋を焦げつかせ、スチールたわしやクレンザーでごしごし擦ると、鍋本体のアルミが削れてしまい洗剤成分と混ざり、何とも言い難い奇妙な色と臭いを目の当たりにしたものです。(ご経験のある方も多いでしょう)
このときのドス黒い灰色の泡のような色、まさにそのものズバリでした。
意味もなく迷惑な大きすぎる声で周りにアピールする。
その響きに、ドス黒さが滲み出るのを感じたのでした。
あるいは、
同じように単に大きいだけの声でも、精神的未熟と幼稚性が滲み出るエネルギーが乗っている場合には、オレンジ色が色褪せ傷んだ果実にカビが生えたような色でした。
残念ながら、美しく咲き誇る花のように心地よく感動的な声としての言葉にはまだ出会っていません。
発言は、言靈のエネルギーを「乗せて」空間に放たれているのため、そこにエネルギー存在として織り込まれているキャラクターが明確に表出するのではないでしょうか。
裏を返せば、
自らの心にある波動が、そこに放たれている声と同期しているからそのように感じるわけであり、その根源は自分の心の奥底で振動している周波数であることを氣づかせてくれる瞬間でもあります。
人によって、これらを「どのように認識するのか」は違いがあるでしょう。
ストレートに音響的にその違いを受け取る人もあるでしょう。
あるいは、匂いの差異かもしれませんし、同じく色によってかもしれません。
味の向こう側にあるエネルギーが見えるようになったのと同じように、
そして、
人が醸し出すエネルギーをオーラとして感じる感覚が戻りつつあるのと同じように。
言葉がエネルギー存在である以上、そこに固有の波長を示す色があって当然だと理解できる時期を迎えたように感じています。
言葉は周波数・周波数はエネルギーそのもの

話し、語り、伝える。
聞き、理解し、受け取る。
これらの媒体として利用される「言葉」は、
そのものが特定周波数の振動として存在しています。
存在固有の振動数を認識し、存在そのものがエネルギーであることを思い出す期を迎えています。
この国には言靈という表現により、それら見えない波動を共通認識とし共有してきました。
すべてのモノ・コトは、固有の波長を維持したエネルギー存在であることを理解したならば、その力を「使いこなす」ことは容易であるはずです。
然るに、望むエネルギーを表現する周波数を選択し、その固有の波長を言葉に託し、自らの意志表示として描き出す。
心の手綱(たずな)を握るのは自分しかいないことを知ればこそ、その言靈を使いこなすのも自分だけであること。
すでに世界は多極化し道は決定したのですから、自ら決定を下した選択肢に合致した周波数に共鳴しながら、その波動を拡大すること。
自分の存在は何なのか。自分探しに...。
などといった隷属化仕様のまやかしに囚われる必要性は消滅したのです。
行動する、とは、言靈によってこの世に振動を生み出し伝えることでもあります。
望ましい言葉には、望ましい生命が宿ります。
望ましい言葉により、望ましい未来が創造されてゆきます。
言葉は周波数であり、周波数そのものがエネルギーであるからです。
この地を心地よい波動で満たす

この地を望ましい波動で溢れさせること。
この地を心地よい周波数で満たすこと。
御神木は、いつもこの地に根ざし、この地この世で啓示を伝え続けます。
ありがとうございます。