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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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すべては内側から外側へ

美しく煌びやかな photo 宮本章光

すべては、内から外へ。
すべては、内側から生み出し外側へ顕現化する。

思考は現実となる。
だから、
望まないものにフォーカスしない。

見て見ぬ振りをする、というパラドックスに惑わされない。
その思考そのものさえも、自ら生み出していることを知るならば。


すべては、内側から外側へ生まれ出づる。
大いなる仕組み。
大いなる氣の力。



人は自然から離れるほど勘が鈍る

谷あいで涼むひとたち photo 宮本章光

人は自然から離れれば離れるほど勘が鈍る。


これは実体験・実感として得ている感覚です。
人によって違いはあるでしょうし、まったく関係ない。と仰る方もあるでしょう。
ただ、
自然の中に身を置くと爽快感に満ちた感触があるのは事実ですし、否定できない部分だと思われます。


谷あいのベンチで休むひとたち。
この先・これより上へはサンダル履きでは困難かとは思われますが、サンダル履きで訪れ氣軽にその波動に触れることができる環境があること、そのものが大変貴重です。

繁華街へ繰り出しファーストフードを口に放り込むよりは、
あるいは、
ビルの谷間でスマホ三昧に浸るよりは、
少しでも多くの時間を、大自然とともに過ごしてみたいものです。


そこには膨大・圧倒的なエネルギー、ポジティブな氣が満ちています。
そして、
この地で生きるために絶対必要である「空氣:酸素=光合成」を供給してくれる仲間の生命存在にも意識を馳せることで、そこに感謝の念が湧き上がります。


自然に触れる。
そこでは、忘れ去っていた「天とつながる感覚」を取り戻すことができるはず。

人は、自然に接し自然の中に身を置くことで、生きるための氣を取り込み、天と繋ぎ直すことができるように思います。



良きも悪しきも顔に出る

刻まれる歴史と顔 photo 宮本章光

人の顔。
その人の歴史が刻まれていることが判ります。
そして、現在のその人の魂レベルや精神性さえも表現されているのだと語られます。


年齢とともに変化するのは容易に理解できるでしょう。
けれども、それが醜いほどにまで劣化・悪化するのは、その人の内面が現れている証。
他方、
細胞レベルの変化ではなく、内面から滲み出す美しさを感じる「顔」があるのも、これまた事実です。

見た目で判断してはなりません。
と、これまでの世では教育されてきました。
しかし、見事なまでに「その人の精神性」がそこに描かれていることを知るにつけ、見た目・第一印象として強烈に伝わってくる、その人の「心すべて・人すべて」が判ります。


ここからは、一般論から外れますので、お断りしたうえで続けます。
「顔」。
瞬時に伝わるのは、精神性・内面だと理解できたのであれば、そこに「激しく違和感」を感じる場合は、どう解釈すればよいのでしょう?

ひとつは、自分のその時点での周波数と限りなく「乖離」している場合。
もう一つは、人間ではない存在だろうと感じる「勘」そのものが示す事実です。

前者は説明の必要はないはず。
では、後者はどういうことなのか。
単刀直入に。

これまでは、この場に文字として残すのは極力控えてきました。
けれども、ここまで覚醒が進み、諸外国を初めとする公の場での開示が進んでくれば、もういいでしょう。

人間とされる存在は、多くのクローン(アンドロイド:スマホOSのことではない)がその中に混じっているとされること。むしろその数のほうが多いかもしれないとさえ語られていること。著名人や支配者層は、ほぼ間違いなくその存在があること。
この国でも過去から示されてきた言葉があります。「影武者」。
この言葉なら少しは精神的抵抗感は和らぎますでしょうか。

ええ、もう思考が拒否している様子が想像できます。
そんなものがあるわけない。あり得ない。きみの頭は狂ってる。あんたアホちゃうか。と。

この5,6年間で、どれほどそうした展開・どんでん返しを余儀なくされる体験をしてきたでしょうか。
ことあるごとに、それは「覆され」既存の知識や思考を完全撤回する機会を味わったはずです。
まして、自ら毒を自分の体に入れ、この世での借り物の体を失ってしまう、あるいは取り返しのつかない状態に陥ってしまった人々を目の当たりにして、何も学ばなかったとは言わせません。
(あまりにも失礼がすぎるでしょう、亡くなった人たちに対して。彼らは自分自身の学びでありましたが、この地に残った人たちにも劇的なメッセージを与えてくれたことを忘れてはならないように感じます。)

この事例についても、同様にこれまでの自分の知識と思考回路を完全に逆転させる必要があると思われます。
まだ言い続けますか。
「これだけは違う」「それとこれとは別の問題や」などと...激しく聞き飽きました。もういい。


逆説的な証明になるかもしれません。
見事なまでに内面を表現する顔。その顔に「生命としての鋭氣」が皆無で、且つあり得ないほどに「違和感」が強烈に伝わるのは、まさに人間ではない証明でもあるかと。

今日はここで止めておきます。
まだ免疫ができていない人たちには完全に逆効果だとされる内容を掲げ、ここに自己顕示欲を押し出す意図はありません。
(学生時代から、君の言うことは大体5年から10年早すぎる。早ければええってもんやないんや、と言われ続けてきたことを思い出しています...。
その度に、あぁ自分はこの星由来の存在ではないんやな、と感じたものでした。)


御神木よりも絢爛豪華な祠を選んだ人たち。
こうした人たちにより、この樹木としての生命はこの地から消滅しました。
切り倒されたあと、材木として次のお役を果たしていることを願うばかりです。
もうここに参ることもありません。

ありし日の顔を、ここに残します。



自分は何者か・繰り返す歴史

そこにそのまま photo 宮本章光

いつまでも歴史は繰り返す。


自分は何者か。

そんなことを考えるヒマがあるなら、一円でも売り上げを上げてこい!
と、走り回る。(走り回らされる)
そんなことを考える余裕があるのなら、もっともっと勉強して有名大学を卒業し立派な医師になりなさい!
と、洗脳教育と宗教的恐怖エネルギーに基づく思考を強固に刷り込まれ。

そしていま、精神世界を語る、一見救いの手が差し伸べられているかに見える観点でも。
そんなことを考える必要はありませんよ。そのままでいい。そのまま。
と、フォーカスを故意に外される。


ええ、でも一度くらいしっかりと考える必要がありましょう。
そして、その結果「そのあとで」手放せばいい。
このプロセスは非常に大切かと感じます。

いつでも、
何か「成長や進歩のきっかけ」を、わたしたち自身が見つけそうになると、その瞬間に意図的にフォーカスが外れてしまうのはどうしてでしょうか。
でも、
それは、自分が「まだまだ味わい足りない」と、深層心理レベルで思い願っているからこそ、自分で自分の意識を操ってしまうのではありませんか。


じっくりと考える。
それは、
じっくりと「見つめる」ということでしょうか。
見つめる、とは、
心の奥底にある周波数を見極めること。
自分が何者かと俯瞰してみること。


何に合致しているでしょう。
どこにフォーカスしシンクロしているでしょう。

それとて、自分で意図的に狙っていることを知り得ます。
まだ味わい足りないから、もっともっと苦しみたいです、と。


ここを理解し、この手綱を手懐けるまでこの地の学習が続きます。
フワフワビジネス界隈では、ここを置き去りにしてしまう傾向があるように見えます。
けれど、
それとて、わたし自身が生み出している想念の波動だと第三者視点で俯瞰して理解に及びます。


いつまでも歴史は繰り返す。
そのわけは、
わたしたち自身が、心の奥底に固着した強烈にネガティブな「この地で味わいたかった」エネルギー波動のタネを温め続けているからではないのかと。


自分は何者か。
ここに意識を巡らせるとき、凝り固まったそのタネを見つけることができるように感じます。
そのタネを拾って捨てる。
ここまで到達できたでしょうか。
手放し、とは、ここまで深く理解が必要でした。


このあと・そのあとに初めて、
このまま。そのままでいい。
と、
その境地に足を踏み入れることが許されるのでは、と思われます。
そして、ようやくその次のフェーズに移行できたように感じています。


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